記事タイトル:[文化初級日本語]メインにするとなぜか… 


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お名前: 秋月 康夫    URL
 みなさんが投稿しやすいように、管理人から、投稿のヒナガタのつもりで
ひとつ、書きます。手元に教科書がないし、大した内容でもないんですが、
あくまで投稿の「例」(決して「見本」とは言えない)として、ご理解くだ
さい。

 『文化初級日本語』(韓国では『BUNKA JAPANESE』)なん
ですが、副教材として、コピーして使うと、非常に効果的なんですが、私の
場合、どういうわけか、メインテキストにすると、だんだんおもしろくなく
なってきてしまうんです。どうしてなのでしょう。

 やっぱり、文法事項は他の本で押さえておいてからしたほうがいいからな
んでしょうか。そういうのは、この本の使い方としては邪道のような気もす
るんですが。

 ちなみに、4年前に韓国で教えていたときは、韓国人の先生が、韓国語の
説明のある本で初級文法を全部終わらせてから、「会話」の授業という名目
で、この本を教えるように言われました。

 今は、はじめて日本語を勉強する人たちのクラスで、わたし一人が初めか
らこの本を使って教えていますけれども。
[1998/03/29 17:41:31]

お名前: 横尾 恵子   
私は、直接、メイン教材として「文化初級」を使ったことはありませんが

(中級1はあります)、使われた方の意見を聞くと、やはり文法の定着が悪いとか。

内容はとても楽しいのですが、楽しさにまぎれて、学習事項のポイントが薄れてしま

うのではないでしょうか。
[1998/03/30 09:27:28]

お名前: 秋月 康夫    URL
 横尾先生、レスポンス、ありがとうございます。

 韓国で使っている環境について説明すると、多くの人が、
高校とか、大学の第二外国語で、一応の入門期の文法の講義
をうけたり、全くの独学の人でも、市販の文法書を持ってい
たりします。だから、文法の説明自体は韓国語で与えられて
いたり、読むことができたりするんですね。もちろん、そう
は言っても、全然話すことができないから、ほとんどの人が
最初から勉強し直すことを希望して、「学院」に入ってくる
わけですけど。

 で、わたしは、文法の「定着」というのは、そういう、大
学の講義や、文法書に書いてあるような説明や機械的な練習
ではなくて、「楽しい」内容を使って、話したり、ゲームを
したりすることで達成されるのではないかと思って、この教
科書を使おうとしているんです。
 もちろん、「定着」以前に「理解」が不完全であっては困
るでしょうけど、「内容の楽しさに紛れて定着がおそい」と
いうことであれば、「定着」のプロセスというのはどうやっ
て確保されるのか、わたしには見当がつかなくなってしまい
ます。

 「定着」が悪いのではなくて、「何を」定着させようとし
ているのか、つまり学習項目が、教師にも学習者にも見えに
くいということなら、ある程度、納得できるんですけど、そ
れが問題なのでしょうか。

 わたしはむしろ、実用的な文型を先に出そうとするあまり、
語形を変換する負担が大きくなっているところがあるような
気がして、気になっています。

 たとえば、「テ形」を提示するのに、「〜テもいいです」
「〜テはいけません」がかなり早く出てきますが、「テ形」
じたいが大変な時期に、この二つの文型は、意味の把握、話
す際の文型の選択、発音の長さ、会話での質問と回答の形式
の不一致などを考えると余りにも負担が大きくはないでしょ
うか。わたしは、「テ形」は「〜テ ください」から入るこ
とが多かったのですが、最近は、「〜テ、〜テ、〜ます」か
ら導入するように変えました。 
[1998/03/31 10:57:48]

お名前: 横尾 恵子   
楽しく勉強できるのは、とてもいいのですが、

それが前面に出すぎると、

結果として、その時はその文型をうまく使いこなせても

終わった後で、あれ、今日は何を勉強したんだろう?

と学習事項のポイントが記憶に残らないのでは?



> 「定着」が悪いのではなくて、「何を」定着させようとし

>ているのか、つまり学習項目が、教師にも学習者にも見えに

>くい


ということだろう、と私は推測したのですが...
[1998/03/31 11:28:21]

お名前: 秋月 康夫    URL
 横尾先生、再度の登場、ありがとうございます。

 『文化初級日本語』は、教科書の中に、あまり練習問題を
いれていないでしょう。でも、創造的な活動だけで十分だと
考えて、そうしているわけではないようです。

 と、いうのは、この教科書には、付属のOHPシートがあ
って、制作者である「文化外国語専門学校」の先生のするデ
モンストレーションを見た限りでは、かなり機械的な反復練
習をOHPを使ってやらせているようなんです。

 わたしの想像ですが、機械的な反復練習は、基礎体力をつ
けるようなものだから、それをしないでいきなりゲームに出
場させるわけにはいかないのだけれど、そういう反復練習や
パターンブラクティスの類を教科書に載せると、どうしても
「読んで」しまうからじゃないかと思うんです。
 デモンストレーションを見ていると、かなり速いテンポで
てきぱきあてて、答えさせていたんですね。これは、文字を
介さないからできるので、文字を介さないでやる以上、書く
としたら教科書ではなくてティーチングマニュアルに載せる
べきですよね。
 そう考えてみると、『新にほんごのきそ』(スリーエーネ
ットワーク)なんか、見ないでやらせる建前のものが全部書
いてあるのは、すごく変だと思えてきます。

 話がわき道にそれましたけど、やはり、『文化初級日本語』
だけを使う場合には、機械的な練習を意識して補わないとい
けないように思います。ちょうど副教材に『文化初級日本語』
を拝借していた時の逆が必要になるのに、拝借していた時の
心地よい記憶が強すぎると、そのことを教師が忘れてしまい
がちになるのかもしれませんね。
[1998/03/31 22:15:28]

お名前: 鈴木紀子    URL
 (ここでは)はじめまして!新潟の鈴木です。
 31日の秋月先生の書き込みを読まずにOFF書きしたので論点がずれましたが・・・。

 文化初級のテキストはメインではちゃんと使ったことがないのですが、一度だけ文化
初級を基本としてどう料理してもかまわないからというお達しのもとで仕事をしたこと
があります。その時に感じたことも含めてちょっと書かせてくださいね。

 まず、文化初級のテキストは、絵もたくさんで、本文もストーリーになっていて楽
しそうだと、これを見た誰もが思うんじゃないでしょうか。その割には学生の反応は
いまいちですけど。
 でも、実際は横尾先生や秋月先生がおっしゃるように、大事な文法事項がかすんで
しまうようなところがあると思います。それこそ料理の仕方でどうにでもなるんでしょ
うけど。

 私が使ったときは、学生に持たせない方式だったので、チームを組んだ先生とその課
の新出事項を抽出して、本文は使えるところだけ適当に使うという方法をとったので、
何も文化初級でなければならないという必然性はなくなってしまいました。

 このテキストの1課の文法事項や語彙は課によって量にバラつきがあるので、分担し
にくかった覚えがあります。文化中級気發修Δ任垢韻鼻■渦櫃砲弔い討匹里らいの
時間で履修するという考え方はできないみたいですね。会話あり、読み物あり、手紙
ありというような内容ですから、各課かかる時間を均一にできないというのはよくわか
りますし、それが悪いとは思いませんが、教える(それもチームティーチング)側から
すると、予定をたてにくいと思います。

 これをメインではなく、これに関連した「楽しく聞こう」「楽しく読もう」「楽しく
話そう」も含めてサブ的に使うのは、個人的には好きです。

 * 初めて書き込んだのですごくドキドキしました。とりとめもなく長くなって
   すみません。これからもよろしくお願いします。
[1998/04/02 14:23:56]

お名前: 秋月 康夫    URL
 鈴木先生、書き込みありがとうございます。

 一カ所、よくわからなかったんですが、「学生に持たせない方式」というのは、
教科書を配らないという意味でしょうか。

 そうそう、忘れかけていましたが、日本では、何人かの先生が交代で同じ教科
書を教えることが多いのでしたね。こういうことになる条件はよくわかっている
のですが、一度、それがいいことなのかどうか考えた方がいいように思います。

 何人かで教えるにしても、ただ、「ここまでやりました」と引き継いでいくの
ではなくて、機能別の役割分担みたいにするとかいうことはできないのでしょう
か。みんなで話し合いながら進めていくのはいいことですけど、それが強いられ
たものだとしたら、窮屈になってしまいます。………おっと、教科書に関係ない
ことを書いてしまいました。ただ、「文法事項がかすんで見えなくなる」という
ことの裏には、こういう教師の入り方にも原因があるような気がして。そこまで
教科書のせいにしたらかわいそうな気がするんですよ。本当のところ。
[1998/04/02 23:15:27]

お名前: 鈴木紀子    URL
 新潟の鈴木です。

>  一カ所、よくわからなかったんですが、「学生に持たせない方式」とい
> うのは、教科書を配らないという意味でしょうか。

 あ、教科書を「配る」なんて久しぶりに聞きました。(^^;)私が今まで教えて
いた所って、ほとんど「買わせ」てましたから。
 意味は秋月先生がおっしゃっている意味です。

>  何人かで教えるにしても、ただ、「ここまでやりました」と引き継いで
> いくのではなくて、機能別の役割分担みたいにするとかいうことはできないので
> しょうか。

 これは組む人たちの話し合いによるんじゃないでしょうか。
 私は「テキストのどこそこまでやりました」というように引き継いでいくという
方法はとったことがないのですが、日本語学校のように授業が毎日で朝から晩まで
というような授業形態の場合、そんな風に引き継ぐようなるのかもしれません。

 役割分担というか、一人が一回目に学習事項を全部導入して説明してしまい、次
の回はドリルと応用練習、まとめというような方法をとっているチームもあります。
 ただ、この方法も一長一短あるらしいですけど。

> ただ、「文法事項がかすんで見えなくなる」
> ということの裏には、こういう教師の入り方にも原因があるような気がして。そ
> こまで教科書のせいにしたらかわいそうな気がするんですよ。本当のところ。

  話がそれたので、「文化初級日本語」に戻します。
  「学習事項がかすんでしまう」というのは、教師側の入り方の問題ではないと思
います。もし、複数で教えているせいだとしたら、他のテキストを使って教えた時
でも同じことがおこるはずです。

 みなさんがどんな風に授業をやるのかはわかりませんが、私はあるテキストの課
を教えるとき、「文型の導入、ドリル、応用」をその課の文型数繰り返し、まとめ
として会話とか本文をやります。

 「文化初級日本語」では最初のうちは絵だけで会話がないのですが、5〜6課あ
たりから会話がたくさん出てきます。一つか二つくらいの学習事項に対して会話が
出てくるので、学習事項が定着したかどうかを見るためのまとめという感じではなく、
会話を読むために学習事項を理解させるというような気にさせられてしまいます。
 学習者も「定着」よりも「理解」の方に頭がいってしまうんじゃないでしょうか。
[1998/04/03 21:30:47]

お名前: 秋月 康夫    URL
 鈴木紀子先生、ご意見、どうもありがとうございます。

>「学習事項がかすんでしまう」というのは、教師側の入り方の問題ではないと思
>います。もし、複数で教えているせいだとしたら、他のテキストを使って教えた時
>でも同じことがおこるはずです。

 ごもっともです。ただ、教師の引継のしやすい教科書の構成と、そうでない構成が
あるのではないかと言うことです。一課の分量が不揃いだとか、新しい文型がチャート
のようにまとめられていないとか、そういうことが、複数の教師が入るときのスケジュ
ールの立て方を難しくしている面があるのかなと、思ったのです。

 ほんとは、教師用マニュアルなんかをみれば、文型の選択や提出順序には、細心の注
意が払われている教科書だということがわかるんですが。

>                 一つか二つくらいの学習事項に対して会話が
>出てくるので、学習事項が定着したかどうかを見るためのまとめという感じではなく、
>会話を読むために学習事項を理解させるというような気にさせられてしまいます。
>学習者も「定着」よりも「理解」の方に頭がいってしまうんじゃないでしょうか。

 「理解」と「定着」の反復が、学習ストラテジーとして意識づけられるような、授業
の組み立てを工夫すべきだという意味に受け取ってもよろしいでしょうか。『楽しく聞
こう』や『楽しく話そう』を適時にはさみこむと、そのへんがうまく解決できそうな気
もするんですが。
[1998/04/06 08:46:33]

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