記事タイトル:国語=日本語の不自然さ 


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お名前: ごんふく   
国語=日本語であると多くの人が思い込んでいるのは、教科名を「国語」
として定着してしまっている教育の現状があるでしょう。
そういえば高校時代「日本史」として習ったのに、私が入学した某大学
では「国史」という呼称の学科だったので、すごく違和感を覚え「国史
学科なんてなんだか国粋主義的だなあ」と思った記憶があります。
私は同じ史学科の西洋史にいたのですが、教員の中にも「国史でなく、
日本史というべきだ」と主張している方もいるにはいました。
しかし小・中・高と「国語」を刷り込まれた身には、「国文学科」には
なんの疑問も持たなかったのですから。(日本文学科と称して設置して
いる大学も多いと思います)。
自分が今しゃべっている言葉が「国語」だと思える日本国民は幸せなの
かもしれません。
私はずっとカフカってドイツ人だと思っていました。「ドイツ文学」と
して扱われ、彼もドイツ語で作品を書いていますから。
しかし彼はご存知のようにチェコ人です。なぜ彼はチェコ語で小説を書
かなかったのか、あるいは書けなかったのかを考えると「国語」なるこ
とばのお気楽さが見えてきます。
同様にミラン・クンデラもチェコ人ですが彼はフランス語で作品を発表
しています。母語でさえ文学表現が制限される、政治、国家のあり方を
考えるひとつの例ではないかと思います。
[1998年3月18日 12時32分0秒]

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