(1999年1月16日から)
日記のコーナー
以下の用語には注釈があります。 | 以下の資料をはりつけました。 |
表題リスト |
過去の日記 |
1.ハンガナ 2.結果の残存 |
1.漢字練習 (日本語部分) 2.漢字練習 (ハングル部分) |
1998.1.4 日本語能力試験の時程 1998.1.6 文化と比較構文 1998.1.8 文化と比較構文 その2 1998.1.13 文化と比較構文 その3 1998.1.14 どうして漢字を 1998.1.15 どうすると元気になりますか 1998.1.16 白衣 1998.1.17 合同授業 1998.1.19 「そば」と「よこ」 1998.1.20 「そば」と「めん」 1998.1.21 いいえ、食べませんでした 1998.1.22 今川焼き、大判焼き 1998.1.24 漢字語の読み |
過去の日記リスト 最新の授業日記 |
注意) 文中の【 】にはさまれた部分は、ハングルの発音を表すためのハンガナです。
旧正月前の最後の授業。合同授業になったので、みんなができるメニューをと、考えて、
漢字の読み方教室にした。
知っている人にとっては、何を今更なのだが、韓国語の漢字音と日本語の漢字音には、
かなり規則的な対応関係がある。だから、それに基づいて、読みの似ているものから順に
提出していけば、読み方を予測できるようになる(はずだ)。
もう少しレベルの上の学生だったら、そんな法則は日本人教師に聞かなくてもどこかから
ならうものなのだが、なんせ僻地の日本語教室である。「そんな法則はじめて聞いた」という
人も多い。いままでの授業で、漢字の読みの指導は何もしなかったので、ちょうどよかった。
日本にいてはできない授業。たまにはこういうのも楽しい。 top
今川焼き。大判焼き。
きょう、思い出せなかった日本語。最初級のクラスなのに、そんなことばが必要になった。
(韓国にいる人は、何がおこったかわかるでしょう。)
ああ、自己嫌悪。 韓国語がわからなくても別に困ることはないけれど、日本語教師が
日本語が思い出せないと商売にならない。
ところで、今川焼きと大判焼きと、どうちがうのでしょうか。
この前も日本にいる韓国人に電話して、どうしても日本語で言えない言葉が出てきて
しまって、向こうに助けてもらったばかり。その言葉って、……「為替相場」です。
ああ、このままの生活を続けていたら、日本語、話せなくなりそう。 top
日本語教師としては、書くのがはずかしいほど初歩的なミス。
動詞をならい初めのクラスで、つい、「ごはんを食べましたか」と、きいてしまった。
そもそも、「〜ました」の形じたい、「〜ます」の練習の中に混ぜるべきではないのに、
「このくらい大丈夫だから」と思って、やってしまったことからしてミスである。
確かに、韓国人のほとんどにとって、「〜ます」から「〜ました」に移行すること自体は、
大した困難を感じるものではない。しかし、ここには落とし穴がある。
「ごはんを食べましたか」
と質問すれば、必ず、
「ごはんを食べませんでした」
という答えに直面するのである。
この答えの当否については、別の日にメニューを組んで特別に教えなければならない
ほど、複雑な問題がある。そして、「どう教えるか」ということはもちろん、これに関連しては、
「日本語はどういう体系を持っているのか」ということ自体が研究課題になっているほどで
ある。たとえば、韓国人学習者を意識したほとんどの指導書が
「あなたは結婚しましたか」
という文について論じているが、そういうこととの関連で、統一的な説明をすることは、意外
に困難である。このことについては、いずれ書くことにしよう。
今日のミスは、始まって間もないクラスで、どうもまだ雰囲気が堅いことを気にするあまり、
犯してしまったもののようだ。Q&Aをしていて、どうも学習者の意欲が感じられないので、
苦し紛れに身近な現実に話題を持っていこうとしたのが悪かったのだと思う。
そういうときのために、別の活動のパターンを準備しておくべきだった。 反省。 top
またもや韓国語の話題で恐縮であるが、せっかく「そば」の話をしたので、これは、その余談で
ある。「ちかく」「あたり」と言い換えられる「そば」ではなくて、食べ物の「そば」であるが、これも、
韓国での日本語学習者によく誤解されているものだ。
これは、辞書をよく見れば、説明がないわけではないのだが、最初の訳語だけ見て、「そば」の
意味を「麺」であると、思ってしまう学生が絶えないのである。
「麺」といったのは、韓国語で【.クk*.ス】であるが、一般に食堂で【.クk*.ス】と注文して出てくるも
のは、そばではなく、うどんに近い。そばのことは、【めみl.+クk*.ス】と言うのだが、実は、この前半
の【めみl】の部分が、「そば」なのである。しかし、多くの韓国人学習者が、「そば」を【.クk*.ス】で
あると思っている。どうしてだろうか。
思うに、【めみl】という言葉は、まさしく、植物としての「そば」であり、そこから連想されるものは、
そばの畑であったり、そばの花であったりするのだろう。実際、これらは、かつて韓国の文学によく
登場していたらしい。一方、日本語の「そば」は、あくまで食べ物としてイメージされるものである。
そこで、【.クk*.ス】の部分が「そば」ではなかろうかと想像されたのだと思う。
これが極端になると、日本料理屋で「ざるそば」という言葉を覚えた学習者が、そば(【めみl.】)の
ことを日本語で「ざる」というのだと勘違いしたりする。
たしかに日本語でも、ラーメンのことを「中華そば」と言ったりするから、「そば」に、麺類全体を代
表させる使い方がないとは言えない。しかし、それでよしとしていたら、「うどん」と「そば」の区別も
つかなくなる。韓国でも「うどん」は【.う+ト~】と言うから、「うどん」は韓国語で、日本語は「そば」だな
どと言い出す人が出てこないとも限らないのである。 top
韓国では、韓国での日本語の流儀がある、といったら、言い過ぎだろうか。改善されてきていると
はいえ、韓国では広く信じられている日本語の「用法」が誤用であるということが、しばしばある。
私が今、使っている教科書では、「妹が二人あります」という言い方がひどく強調されている。
これなんかは、少し前まで、日本でもよく使われていた初級教科書にもあったから、誤用とは言え
ないのだろうが、ひょっとすると、
「妹が二人います」はまちがいだ。
と、信じる学習者や韓国人教師を「育てる」結果を生みかねない。
このようなことは、日本での英語教育でもけっこうあるらしいから、別に驚くべきことではないの
だろうが、どこかで修正されていくような仕組みを作ることが必要なのではないだろうか。
今日は、[どこどこに なになにが あります/います]の導入の授業。これをするたびに、私は、
「そば」が、「近く」の意味であることを言わなくてはならない。韓国の辞書には、「そば」を引くと、
まずさいしょに【,よp】と出ているからだ。これでは、「横」になってしまう。「駅のそばに何がありま
すか。」という質問に正しく答えられなくなるのだ。
いつから、どうして、こういうことになったのかわからないが、けっこう、『日韓辞典』には、初歩的
なまちがいが版を重ねて継承されている。困ったことだ。 top
土曜日だけど、今月は、新正月と旧正月と、休みが多くて、私が旧正月に一日休むこともあって、
合同授業をすることになった。すべてのクラスを集めて、2時間の授業。急に決まったので、メニュー
を考えるので頭が痛かった。
結局、一時間は、ゲームをして、一時間は歌の授業をした。
歌は好きだけど、歌の授業は苦手だ。自分が好きなふうに歌いたいのに、授業で歌わされるのは
イヤだと思う。自分がそうだから、他人に楽しく教える自信がないのだ。
はずかしさを捨てて、自分が歌い、サンハイ、とやると、ついてきてくれる。でも、最後までやって
くれるかどうか、本当に心配だった。
今日の歌は、歌自体が難しかったかもしれない。日本語でなくても、いっしょに歌うのは厳しいもの
があるのだ。でも、歌詞がぜんぜんわからない人も、読めるところだけでも声を出してくれたし、プリ
ントをみんな、大切そうに持って帰ってくれたから、よしとしよう。日本語教師は、本当に、何でもでき
ないといけない。
ちなみに曲は、【しn_す~.ぅn】の【な.+ポ+タ.チょ+_クm,ト.の`ぷn.+コせに+カい*_すl*.ぷn】を数年前に
和訳したものを使いました。
ゲームは予想以上にうまくいった。ぬいぐるみを投げて、取った人が順に数字を言うだけの単純な
遊びでも、けっこう盛り上がる。よくやることだが、次に、ある数字が出たときだけはそれをとばして言
うようにすると、神経のハリが出てくる。ほんとは、「分」とか、「本」とか、つけてやりたかったんだけど、
未習者が混ざっていたのですよ。孤独な学生時代を過ごすと、こういうときの盛り上げ方がわからな
くて後悔することになる。でも、もしかしてわたし、ゲームにはまってしまうかもしれない。それまでの
人生、とりかえすぐらいのつもりになったりして。
今日も、韓国語ネタになってしまうが、あやうく失敗しそうになった話を書いておくのは、世のた
め人のためである。
色の形容詞の応用練習をした。『にほんごかるた』の絵をコピーして、服の部分だけ修正液で
塗りつぶし、拡大したものをホワイトボードに貼りつけた。それで、色つきのカードを各自に分配
し、一人ずつ前に出て、
「*(かるたの文字)のカードはだれのですか。」
とたずね、カードを持っていた人に、
「この子どものセーターは何色ですか。」
などと質問しながら、答えに従って、色を塗っていく。
それだけのゲームだが、始める前に服の種類を表すことばを教えておかなければならない。
今回、ひっかかったのは、「白衣」のところだった。わたしも、知識としてはあったんだけど、うっ
かりしていた。
【ペ+キ】(白衣)という韓国語がある。時代物の韓国映画をご覧になったことがあるだろうか。
そんなにさかのぼらなくても、『西便制』ぐらいの時代でも、朝鮮民族の平民の服装が白い服で
あることに気づくだろう。【ペ+キみn+.チょk】(白衣民族)といえば、朝鮮民族の別称である。
韓国で教えていて、わたし自身が中途半端に韓国文化にくわしいものだから、学習者も、そう
いうものをわたしが例にあげたのだろうと考えてしまう。とにかく、念には念を入れないといけな
い。かるたの絵があったから誤解は招かなかったけど、医者の着るような白衣は、ふつう、
【カ.うn】つまり、ガウンと呼ぶらしい。しかし、日本語で言うガウンを含めてそう呼ぶのであるか
ら、本当に話は複雑である。
こういう問題の細かいところにこだわれるのは、外国で教えていてこそのことだ。誤解の元に
なるようなこういう情報を集めた資料も出ているけど、日本語教師の共有財産のようにしていけ
るシステムができると、もっといいと思う。 top
今日は、[ふにゃふにゃく/に なります]と、[ふにゃふにゃすると]の授業。二つの文型を組み合わ
せて例文をつくってもらった。
ちなみに、[ふにゃふにゃ]と言うのは、そのところには、何か好きな言葉をいれろという意味であ
る。日本語教育の場では、よく使われる(嘘)。別に[ほにゃらら]でもかまわないのだか、いつの間
にか[ふにゃふにゃ]が定着してしまった。
「春になるとあたたかくなります」
というのが、典型的な例文。でも、束草は、春がなくて、夏の直前まで寒いんだそうだ。
「なります」の前の形に気をつけなければいけないから、品詞別に分けてキーを出してやった。
「私は(将来)ふにゃふにゃ(名詞)に なります」というふうに指定したら、まだ十代の女の子が、
「【,ひょn.もや~,`チょ】になります」
と言って大笑い。え、え、何て言ったの?? 教師のわたしを置いてきぼりにしないでよ〜 と、
助けを求める私に、少しは話せる受講生が、「この言葉は難しいです。」
それでも、「難しいです」がヒントになって、四文字熟語だと思い至った。
そうです。「良妻賢母」は、韓国語で、「賢母良妻」なのでした。
次。な形容詞(形容動詞)を使った練習のあと、「ふにゃふにゃすると」の方も使ってみる。
「ふにゃふにゃすると 元気に なります」というふうに指定したら、
「彼女に会うと、元気になります」
という、よくある答え。でも、お約束通り、「彼女を会うと」と、間違えてくれた。
わたしね、のどまで出かかった言葉があるんです。受講生の**さん! わたしはね、
あなたに会うと、元気になるんですよ。あなたが授業に出てきてくれるから、やる気が出
るんですよ、と、言いたくても言えないのは、教師のつらいところですね。 top
次々と新規の学生がくる(その代わり突然いなくなる学生も多いけど)今の学校では、初級の
授業を何回も繰り返すことになる。こちらは何回も同じことをしていても、聞いている方は初めて
だから、気をつけなくてはいけない。
しかし、今日の質問にはおどろいた。日本語教師の仕事に慣れてくると、こういう新鮮な疑問
にいつの間にか鈍感になってしまうものなのか。
いちおう大学の日本語科に在籍しているらしいが、まったく話せない某君の質問。当然、韓国
語である。私がいったん板書したひらがなに「参考までに」と漢字を添えたときに一声。
「日本人はどうして漢字を使うんですか。」
なかなかできない質問である。他の学生も笑っていた。しかし、よく聞いてみると思いつきで言
っているのでもなさそうだ。彼が言いたかったことは、大略次のようなことであった。
「今、先生が最初に書いたように、ひらがなだけ使えば、私たちの言葉のように、読むのも
やさしいし、書くのもやさしい。ついでに自分たちが覚えるのもやさしい。それなのに、どうして
漢字を使うのか」
正論である。今まで日本で教えていて、非漢字圏出身の学習者が似たようなことを言ったことは
あったが、ここまで直裁明快に主張を述べる学習者は初めてだ。特に「私たちの言葉のように」
というところが、主張に大きな説得力を与えている。この件ばかりは、この言葉を韓国ナショナリズ
ムの反映などと言って切り捨てられないからだ。いったい、同じような文法構造と言語環境を持っ
ていながら、この半世紀足らずの間に漢字を捨てられた言語と捨てられなかった言語の違いは
何だったのか、真剣に考えなければ、最近とみに漢字使用の問題を含めて復古主義が台頭して
いる日本語学者の方が夜郎自大だと言われることになるだろう。
この問題について考えるひとつの糸口として、次のような見解を紹介しておこう。この見解はどち
らかと言えば少数派かもしれない。しかし、私はこの人の本を読んで、考え方を変えたのだ。自分
の学んだ大学の学部の先生でありながら、一度もこの教授の講義を聴かなかったことを、私は今、
ひどく後悔している。
「異文化、異言語を研究する、いわば道なき道を踏みしめて進まねばならぬ、こういう経験を
する人は現実にはきわめて少ない。多くの人が大言語、大文学、大文化を学ぶからであり、
そのような人たちには限りがないほどの便宜が提供されているのである。たとえば英語につい
て提供される情報の詳細さ、それに費やされるエネルギーの厖大さを考えると、その何分の一
かでも、よくは知られていない言語や文化の研究に回してほしいものだと思う。
じつはこのような大言語を学んで、ことばとはどんなものかと考えるイメージと、オトだけで文字
のない言語にとり組むのとでは、かなりちがう。さらにオトを表すオト文字と、漢字のように、オト
で読めなくてもある程度意味がわかるような文字にとり組む人とでは、ことばについて考える土台
がちがうのである。日本では漢字で考える習慣が定着してしまったから、日本人、とりわけ教養人
は、こうしたオトだけのむきだしの、ほんもののことばに出会う能力をなかば失ってしまっているの
である。いな、日本文化全体がオトに対しては回復不能なくらいに力を失ってしまっているので
あるから、外国語が身につかないのも、いわば当然のことである。
こうした環境の中から、言語学者は何とか脱出しようと試みる。文字によってずたずたに破壊さ
れてしまったコトバ感覚をとりもどそうとする。その経験は、ときに何か大変新鮮な発見をしたよう
な驚きを人々に呼び起すことがある。」 田中 克彦 『言語学とは何か』 岩波新書[新赤版303] p.80
この質問に、私は、簡潔に答えることができなかった。かといって、考えていることを全部話すこと
もできなかった。 top
外国語教育を異文化教育として考えたとき、比較の構文に前提にされる「共通の基盤」の問題
は、意外な広がりを持っていることに気がつく。
これは、教師の教え方がいい、悪いということにかかわらず、もし、実際に外国語で会話する場
面に遭遇したら、しばしばこのような「共通の基盤」にギャップが現れることが、予想できるからで
ある。たとえば、私はよく、「韓国と日本と、どちらが寒いですか」と、聞かれる。この場合、
質問者は日本の気候を熟知しているわけではない。そうすると、すでに質問の意図は、「ビールと
焼酎とどちらが好きですか」というのは質的に異なっていることになる。
答える側の私も、韓国の寒さと日本の寒さを比較の対象として意識していないことがある。第一、
北海道と沖縄と一緒にして「寒さ」を論じるのはばかげていると思っていたりする。
比較にともなう、この二種類の会話意図は、どんな言葉にでもあることだろうが、第二、第三言語
の習得に際しては、上の例で言えば後者のような例が強く意識されざるを得ないと思う。そのこと
は第一言語の自然な習得過程とは異なる点になるのではなかろうか。
従って、比較の構文に際しては、「どちらも**です。」「だいたい同じ(くらい**)です。」という
答え方はもちろん、
「**も**も、よく知りません。」
とか、
「それは比べられません。」
というような答え方も、導入時に用意しておく必要があるのではないだろうか。 top
比較の構文には、共通の基盤が前提にされているということに、もう少しこだわって考えて
みたい。 1998.1.6.の例で、「【チぇk_す`き_す】と【えい`ち.お`てぃ】(H.O.T)と、どちら
が好きですか」と質問した瞬間に、質問者は、この二つの音楽集団について聞き手が十分な知
識を持っていることを前提にしている。それだけではなく、その二つが比較の対象となるべき
存在であることを、暗黙のうちに相手に押しつけている。そして、きっと、相手がこのうちの
どちらかが好きであるはずだということも予想した上で質問しているはずである。
日本語教育の教室で、ある場合にはこの質問が有効で、ある場合には全く無効であるのは、
これだけの条件が整う環境が、偏在していると言うことなのだ。この質問は、韓国にある学校
であったとしても、対象者の年齢層によっては、全く意味をなさなくなってしまう。しかし、
だからこそ、ある場合には有効な質問だといえる。
と、言うのは、条件が偏在していることによって、学習者が、「自分でなければ答えられな
い質問だ」と、自覚できるからである。この自覚を伴って、はじめて、会話を「ならう」段階
から「体験する」段階へ入ることができるのだ。自分が答えるまで誰にも直されず、相手が
「正しい答え」ではなく、「私の答え」を待っているのだと感じ
られるところから、生きた会話が始まる。評論家でもない限り、
「いぬとねこと、どちらが好きですか」
という質問にこんな自覚を伴って答える人はいないだろう。そんな、教科書にあるような質問は、
ほとんどの場合、自分にとってどうでもいいことなのだから。
top
これから書くことはたいした内容ではないのだが、なんか大げさな表題をつけてしまった。
適当なタイトルが思い浮かばなかっただけなのだ。
比較の構文を教えるとき、最初はだれもが納得できるような客観的な内容の例文で入ってい
くのが普通だろう。たとえば、「ぞうはねずみより大きいです。」とか「東京は大阪より人が
多いです。」とか。
しかし、そのような例文ばかりやっていると、そのうちに飽きてくる。ことばを使う楽しみ
の大きな部分は自己表現することだから、文型が理解されたころを見計らって、人によって見
解が違うことを質問したりする。たとえば、「どちらが」を使った質問が導入されたら、
「いぬとねこと、どちらが好きですか。」とか、
「キムチとたくわんと、どちらがおいしいですか。」とか、
「日本のサッカーと韓国のサッカーと、どちらが強いですか」とか、
そんな質問をすれば、学習者の参加意識もかりたてられる。
だが、学習者の参加意識をうながす質問は、時として、全体化できないことがあるから、注
意しなければならない。比較をするときには、共通の文化基盤が前提にないといけないのだ。
私がよくする、
「【チぇk_す`き_す】と【えい`ち.お`てぃ】(H.O.T)と、どちらが好きですか」
などという質問は、まさか、日本で教えていたら通用しないだろう。
(ちなみに、この二つは、今いちばん人気のある新世代歌謡のユニットである。)
かといって、いくら目前の「共通の基盤」に依拠しているとはいえ、
「**先生と**先生と、どちらが好きですか」
と聞いたら、しゃれにならなくなる。こんなとき、日本で教えるのと、特定の地域でそこにい
る人に教えることの違いを、つくづく感じる。 top
日本語能力試験は、日本の公的機関が実施している唯一の日本語能力認定試験で、一級から
四級まであるが、そのうち一級は、留学生の大学入学試験を兼ねている。各級は400点満点
だが、一級だけはおよそ7割の得点で合格、あとの級は、6割で合格である。
一級試験が大学入試の一部として留学生選抜試験を兼ねる場合には、合格・不合格というこ
とよりも何点とったかが問題となる。当然のことながら、難関の大学では、合格点をとっ
ていても7割を少し越えたぐらいでは大学合格は難しいし、反対に、一級不合格でも、6割程
度の点があれば十分パスできる大学もある。
この試験は、毎年、12月の最初か二番目の日曜日に世界中の大都市で同日に行われる。時
差があるので同時刻とはいかないが、おそらく日本が一番早く試験時間を迎えることになるか
ら、日本語学校の学生が国際通信を使ったカンニングをすることはないだろう。しかし、日本
国内の試験場には管理面でいろいろ問題があるとも言われている。
ところで、この試験は、各級が同時に行われるので、大学入試を兼ねて受験する受験生は、
二級なら合格できる実力でも一級を受けることになる。最近は二級合格でも大学ごとの二次試
験の受験を認める大学も増えているようだが、そういう大学が志望校でない留学生は、合格が
難しくても一級を受けざるを得ない。その結果、級の認定を受けられない人がかなりたく
さん出ることになる。
この問題を解決するには、一日に二つの級を受けられるようにすることだ。実は、日本で
はこの試験は午前中にはじまり、外が暗くなりはじめるころまでかけて行われるのだが、韓国
で実施されている時程をみると、そんなに休み時間をおいていない。一級の場合9時40分に
集合、10時から45分間「文字・語彙」、11時5分から45分間「聴解」、12時10分
から13時40分まで「読解・文法」である。試験時間の短い2級は、13時5分、3級は
13時、4級は12時20分に終了している。このやりかたで、一級のあと一時間おいて2級
を開始したとしても、18時5分には終わる計算になる。
現在、国公立大学のほぼすべてと、かなりの私立大学が、日本語能力試験を留学生の選抜に
つかっている。そのわりに、日本国内での受験会場が少ないのも問題だ。もし、会場数が2倍
になれば、沖縄で勉強している人が福岡まで来なくてもよくなるし、席も十分に離して受験さ
せることができるはずだ。韓国の受験者には、試験場の配置表が事前に配られ、そこには
試験監督者の名前まで記されている。不正行為を防ぐためには、実施機関がこのように責任
を明確化する努力も必要ではないだろうか。
top
[注]私たちの言葉…… 韓国語で【.うりまl】。韓国語・朝鮮語のことを指す。
【まl】は、「ことば」の意味。
【.うり】については、12月28日の日記を参照されたい。
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