(1999年1月16日から)

日本語授業日記のコーナー

以下の用語には注釈があります。 以下の資料をはりつけました。

表題リスト  

 過去の日記
1.ハンガナ 1.日本語をはじめて
 一日目でできる
 自己紹介
1998.2.2 方針転換?
1998.2.5 不意の客
1998.2.6 「兄はNorthKoreaにいます。」
1998.2.15 6色のつる
1998.2.17 異文化
1998.2.18 「ほしい」と「たい」
1998.2.23 「でしょう」
1998.2.24 「です」と「でしょう」
1998.2.25 失敗
1998.2.28 「ん」
 過去の日記リスト
 
 最新の授業日記


注意) 文中の【  】にはさまれた部分は、ハングルの発音を表すためのハンガナです。


1998.2.28  「ん」

 受講生がいなくなったり、クラスを一つにして空いた時間に、初めて日本語を勉強する人が入ってくることが繰り返される。すでにある時間に入ってくることもあるけれども、全く初めてだと、やはり続かないので、空き時間ができるのを待って、入ってくることもある。

 今度の受講生は、少し休んでいた後で入ってきた。簡単な会話をしながら、ひらがなも初めから教えている。こういう場合は、かなり丁寧に発音をみられるのがいい。

 ところで、
韓国で出ている初級の教科書には、ひらがなの表と簡単な発音の解説がついているのだが、「ん」のところの解説はあまり正確ではない。
 日本語の「ん」は、回りの音の環境によって(基本的にはすぐ後ろの音に従って)さまざまな発音がされるが、韓国語話者は、その違いに敏感である。それは、韓国語話者にはその違いが容易に聞き分けられるからであるのだけれども、かんじんの日本人のほうは、その違いに鈍感である。もっとも、鈍感だから、同じ「ん」だと感じられるので、日本語を話しているときに、いちいち、「今の""は"n"だ」とか、「今の""は"m"だ」とか考えていたら話せなくなってしまうだろう。だから、そういう日本人が鈍感な部分にあまりにも神経を使いすぎるのもどうかと思うのだけれども、だからといって、めちゃくちゃでいいわけでもない。

 韓国で出ている教科書が正確でないというのは、
「ん」の後に母音がくる場合だ。数年前の教科書には、これが「か・が行」のときと同じ「ng」の音だと書いてあった。それだと、「千円」「宣言」に聞こえてしまう。

 最近出た複数の教科書では、「ん」の後に母音がくる場合は、
「さ行」音がくるときと同様に扱われている。[n]が口蓋化した、めったに見ることのないような音声記号までついている本もあるが、明らかな間違いである。「n」「ng」の中間の音と書かれているけれども、結局のところ、「千円」「宣言」ではなくて「千年」に聞こえるだけのことだ。
 早い発音の時、後に
「さ行」が続くときの「ん」の発音が、後ろに母音が続くときのようになるというのは、ほんとうである。しかし、その逆ではない。後ろに母音が続くときは、よっぽどゆっくり、丁寧に発音しない限り(経験の浅い教師はここで丁寧に発音するがために失敗することがあるけれども)、鼻母音になる。韓国語には、.`こ.ソり】という、鼻母音を表す言葉もあるから、これを説明することはそれほど難しくもない。たとえ、鼻母音がうまく出せなくても、「千円」の発音は、「宣言」「千年」より、よっぽど「声援」に近い。「原因」「げいいん」と書いたり(ワープロで)打ったりした日本人は多いはずだ。「本を」「本の」になってしまう人は、「頬を」のつもりで発音するのがいい。

 後に
「さ行」が続くときも、母音が続くときと同じになることがあるというのは、「先生」「セーセー」に近くなることがあるという意味だったのである。      top


1998.2.25  失敗

 大きな失敗。「電車〈を〉降りる」と、「電車〈に〉乗る」というときの助詞と、何〈分〉というときの「ふん・っぷん・ぷん」の変化をおさえておきたかったので、『文化初級日本語』(韓国名は『BUNKA JAPANESE』)を使った。
 本当は、「新宿」とか「渋谷」などの地名があるので、韓国の地名になおしておくべきなのだろうが、東京の紹介をしたら少しは興味を示すかなと考えたのが甘かった。イラスト入りの地図までみせて紹介したけれど、かえってやる気をなくさせてしまった。
 ここ、束草には、電車がない。だから、身近な駅名といっても、ソウルでも東京でもあまり事情が変わらないということはある。そこで開き直ったのがまずかったのかもしれない。口慣れない地名を発音することに注意が奪われて、なんとか作業を終わらせたけれども、かんじんの助詞が全然覚えられていなかった。受講生からしたら、何を教わったのかわからない授業だったことだろう。

 
「ディズニーランドに何時に着きますか」というところで、かろうじて「**分」の発音の練習はできたと思うが、後味が悪かった。うまくいかないときは、続けてコケるもので、その次に用意していたホテルの会話のメニューも、そのまま覚えてほしいところに対して

    「まだ習っていません」

と言われる。気持ちがすれ違っているときに無理に作業をさせても学習にならないので早めに切り上げた。わたしは、一度はずれてしまった時に、自分の意図を伝えて仕切り直すことがじょうずにできない。明日また、来てくれたらいいのだけど、そうしたらあやまってやりなおせるんだけど、本当に心配だ。

 実はこの教材のその部分を使って、以前も失敗していた。同じことを二度してしまうのは度し難い。その失敗も、(東京ではなく)福岡で教えたときだった。

 次の時間は
「〜んです」の導入。やっと、この段階にまで達するクラスが現れた。これは、
得意分野だったからうまくいった。それまでに伏線もはっておいたので、理解も早い。
 
「〜んです」は、文全体を包むようにつくこと、包まれる文は"普通体"だけど、そのCタイプ(私が勝手につけた名称)になるという接続を説明し、簡単な文で接続してみる。使い方の説明が、どこに焦点を当てるかで悩むところなのだけれど、今回は、文全体を理由づけにした"結論"にあたる部分に省略があることを中心にして導入した。韓国人学習者はどちらかというと「〜んです」をわけもなく使いたがる傾向があるので、

 「お金がないんです」と言えば「貸してください」という意味になるけど、
 「わたしはキムなんです」と自己紹介したら、「だから何なの?」と思われますよ。

と、念を押しておいた。実際には言わなかったんだけど、もしかして、それが「キムなんです」ではなくて、「わたしは名前が金大中なんです」とか言うのだったら、それなりに成立するところだろう。今日は、新しい大統領の就任式の日であった。         top


1998.2.24  「です」と「でしょう

 昨日の日記に補足。私は、別の場所で、「"い形容詞"につく『です』は活用しない」と書いた。
 実は、国文法では、「活用する」ことになっている。「おいしいです」の「です」の部分は「おいしいでしょう」の「でしょ」という「未然形」に「活用する」。

 しかし、日本語教育の立場からすれば、こんな変なことはないだろう。そもそも、発音上、音節の区切り目になっていないところで「でしょ」と「う」を切り離すのは、言語の本質が音声にあるとする言語学の常識的立場を逸脱している。この「う」は、「う」と発音せず、長母音の後半部であることを示す記号のようなものだ。こういう実態のないものが「助動詞」であり、そのときの都合で「よう」という形にもなる、というのは、なんとも変な話だ。

 切り離せないものは、切り離さずに「活用形」として扱うか、切り離せる単位で品詞を立てればいいではないか。「未然・連用・終止・連体・仮定・命令」という5型にこだわるから、不合理なことが不合理なまま放置されてしまうのである。

 「です」は、動詞に直接つかない。しかし、「でしょう」は普通体のすべての形につく。だったら、「でしょう」は「です」と別物にしておけばいいのだ。ためしに、国語辞典で「です」の項目をひいてみてほしい。「でしょう」についての説明が載っているものはほとんどないだろう。それなのに、「でしょう」は「です」の活用形だとされるから、見出しにない。かといって、「う」を見たら、「でしょう」のことがわかるのかと言ったら、これは絶望的にわからない。そんな辞書が、外国人学習者の役にたつわけがないではないか。

 整理しよう。
「元気です」の「です」は、「でした」「ではありません」と活用する。「おいしいです」の「です」は活用しないので、これと別物である。さらに、「おいしいでしょう」の「でしょう」は、これらどちらの「です」とも別物で、動詞文を含めた普通体につくことができる。「でしょう」も活用しないが、普通体に「だろう」というペアをもっている。

 こういうふうにすると、すっきりする。韓国では、すっきりさせた日本語文法より前に国文法が入り込んでいるから、教科書の記述が混乱してしまっているのだ。        
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1998.2.23  「でしょう

 韓国人の先生と話していて気がついたのだが、私が見た韓国の教科書の多くは、「普通体」という概念をあまり重視していないように思われる。
 「普通体」というのは、国文法では「常体」と言われるもので、「です・ます体」に対する「だ体」に当たる。

 私の授業に先行して文法を先に教えているメニューを見たのだが、動詞や形容詞の活用形ごとに、いつくかの文型を紹介しているのだが、たとえば伝聞の「そう」の前は「基本(辞書)形やない(否定)形です」と言ってすませてしまっている。

 しかし、初級の文法の後半は、この「普通体」という概念を名実ともにマスターするかどうかで成否が決まると言っても過言ではない。

 と、おもっていたところで、私も忘れ物をしていた。「普通体」を効果的に導入するためにどのような文型を順に使っていったらいいか思案している中で、「でしょう」のことを考えるのをすっかり忘れていた。
 今日、「でしょう」を教えようと思って、授業の進め方を考えているうちに、これが、「普通体」の導入初期に使われなければならない文型であることを思い出したのだ。(つまりそれまでうっかりしていた。)

 「でしょう」は、会話の中で、初級の比較的早い時期に出てくることも多い。それだから、「普通体」をそれとして教える前にでも、教えてしまうことがあるのだ。それは、悪くないけれど、そういうときこそ、「普通体」を教えたときに、
もういちど
とりあげることを忘れてはならないと、反省した。                                               top


1998.2.18  「ほしい」と「たい」

 時間講師で来ている韓国人の先生が、家の事情で、急にお休み。ふたクラスを合併して合同授業になった。
 今の教科書があまりよくなくて、基本的と思われる文型が落ちていたり、極端に後ろの方に載っていたりするので、適宜、関連のある項目のところで順番を変えたりして補っているのだが、それでも、抜けてしまっていた文型があった。進度のちがうクラスの合同授業なので、急遽、そのなかのひとつで、「ほしい」と「たい」を教えることにした。

 中国人の学習者に比べれば誤用は少ないのだが、それでも、「ほしい」と「
(〜し)たい」の区別は重要。前者は「名詞+が」、後者は動詞が接続することはすぐわかるけれども、それだけですませると、

      わたしは 勉強が ほしいです。

などと、訳の分からないことを言い出さないとは限らない。細かく言うときりがないけれど、「ほしい」の方は「所有」の対象、「たい」のほうは「自分の行為」だと理解するのが一番穏当なところだろう。中上級になると、

      もう少し 努力が ほしいですね。

などという例も出てくる。これは、「(動詞のて形)+ほしい」が、「他人の行為」への期待を表すところから来ているのだろうけれども、初級で教えない分だけ、中上級で取り上げるのを忘れてしまいがちだ。

 「ほしい」の前の名詞を「もの」だけに限ると、「時間がほしい」とか「名誉がほしい」とかの例を排除してしまうことになるから、いくら初級でも、それはまずいだろうと思う。むしろ、そういうものも、「自分に与えられるもの」としてとらえるようにしていきたい。

 と、そこまで考えて、つい、

      金もいらなきゃ名誉もいらぬ、わたしゃもすこし背がほしい〜

と受講生の前で、ちびまる子風にうなってしまったのは、オヤジ度の進行が著しいとことのあらわれだろうか。しかし、わたしは、ひとことコメントするのを忘れなかった。

    これは、30年くらい前のギャグです。今だったら、
   「わたしゃもすこし髪がほしい」と言ったほうがおもしろいでしょうね。
                                      
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1998.2.17  異文化

 午前中、「学院」でオリンピックを見た。スキーの団体。KBSの衛星で見た。そうしたら、つい、話をしたくなって、授業で言ったけど、当然「この人、何いってるの?」という反応。
 原田という選手がどれだけおもしろい人物なのか、説明しても、そりゃ、興味はないよね。だいたい、日本は優勝したけど、韓国は最下位だったんだから。もっとも、わたしは、団体で出場しただけでもすごいと思っているんだけど。
 夜は、スケートのショートトラックをやっていた。明日、だれか、その話をするだろうか。でも、困るんだよね。何にも知らないよ。そんな競技があるなんて、前のオリンピックの時韓国にいなかったら、きのうまで知らずにいたかもしれないっていうのに。
 こういうのが、「異文化」ということなのだろう。

 そうだ、これをネタにしてダイアローグを作ってみよう。その使用報告は、しばらく後で。


 ここのところ、クラスをかえながら同じ単元の授業が繰り返されていて、こちらはマンネリ気味。新しい韓国人の先生が、文法を先行して教えているが、あまり連携がうまくいっているとはいえない。いちど考え方をつきあわせる必要があるのだけれど、時間もとれないし、抽象的に議論をしても話が空回りしかねない。でも、こういうやり方が思わぬ効果を生んでいる点もあるようだ。これも、別の回に報告しよう。                    top
   


1998.2.15  6色のつる

 束草の日本語学校にきて、最初に作った教材は、6羽の折り鶴だった。

 これが、けっこう、役に立つ。

 文具店で色紙を買って、赤・青・黄色・黒・白・茶色の鶴を作った。どうしてこの6色かというと、「〜い」をつけて形容詞がつくれるのが、この6色だけだからだ。

 最初は、
   
**さんの つるは、**い つるです。
などとするために作ったのだが、やりもらい(あげる/くれる/もらう)の導入の時なんかに使うと、忘れかけていた形容詞を使わなくてはいけなくなるから、ちょうどいい。

 この前は、
   
**(する)と、**(に/く)なります。
という文型のまとめに、つるかめ算をしてみた。そのときもこの折り紙を使いたかったのだけれども、鶴は折れても、亀が折れない。ちょっと残念だった。            top


1998.2.6  「兄はNothKoreaにいます。」

 新しく始まった、初級クラス(と、いっても、他も全部初級だけど)の受講生の主婦。

 自己紹介のしかたを教えて、やらせてみた。
日本語をはじめて一日目でできる自己紹介」という自作プリントに従って、すすめて
いくと、
   「きょうだいは……」
のところで、口がとまってしまった。
   「ひとりですか?、ふたりですか?、…いませんか?」
と、助け船をだすと、さいしょ、
   「いません。」
そして、しばらくしてから、
   「NorthKoreaにいます。」
よくよくきくと、お兄さんが3人も、北朝鮮に住んでいるそうだ。

 あとは、日本語の授業であることもわすれて、韓国語になってしまった。

 朝鮮戦争で(それでも、彼女は、「1951年に…」と、日本語で言おうとしてくれた)
離散家族になってしまったらしい。数年前、お父さんが大阪に行き、そこから平壌へ国際電
話をしてお兄さんたちと話したそうだ。お兄さんたちも、そのために平壌に出てきたのだと
いうから、たいへんな話だ。
 でも、このように、細い糸であっても消息が知れるのは、いい方だと言える。

 自己紹介の中にも、いろいろなドラマがあるものだ。               top


1998.2.5  不意の客

 男性一人の「主婦クラス」に、ほんとうの主婦がやってきた。予告があってから、二
日間、直前になって電話があって「欠席」を伝えられていたので、もう来ないのかと思
っていたら、今日は連絡もなく、約束の15分も過ぎてきた。もともと、この人は、別
の韓国人の先生が授業の前にすこし教えてから、「主婦クラス」に入るはずだったが、
今日はもう事情が変わっていて、院長に、その予習の時間も私がするように命じられた。
そうでなくても、もう3か月もほとんど一対一で勉強している男性のホテルマンと、ど
うやっていっしょに授業をするか悩んでは、結局、彼女が来なくて、従来のメニューで
教えていた私は、今日の不意打ちで、パニックになってしまった。

 一ヶ月くらい勉強したという話だったが、始めてみると、なにもできない。かろうじ
てひらがなの直音が読める程度。簡単なあいさつのことばも知らない。
 とにかく、ひらがなの読み方を簡単に確認してから、いつもの男性を教室に入れて、
なかば彼女を無視して、授業をした。

 しかし、人間、「全然わからない」と、一度あきらめると開き直れるもので、かえっ
てことばの端々から、少しでも読みとれるものから、想像して参加してくるから、不思
議なものである。いきなり、

 
  **は、**(だ)と 思います。

という文型で、例文を作ったりしてしまう。この二人の組み合わせは当分続く。これか
らも、こんなやり方でやっていけるかどうか、腕の見せ所である。        top


1998.2.2  方針転換?

 この「授業日記」の部分は、日本語教育関係の話題を中心に書いている。日本語教師にこそ読
んでもらいたいと思っている。でも、なんか、エピソード中心で、同業者には刺激の少ない内容に
なってしまったかもしれない。これではいけない。やっぱり本業で勝負できなきゃね。

 けっこう、今までの日記でも、オリジナリティのある主張を盛り込んだつもりだったんだけど、他の
教師の目には、「先刻お見通し」のこともままあったかもしれない。

 結局、授業に内容がないと、このページもおもしろくならない。他の日本語教師のページを見る
と、ほんとに、「いい授業してるな」って思うことが多いし。そろそろ、日記の分量もたまってきたこと
だから、今後はこのページを授業日誌に純化させて、「分析」の部分は「研究ノート」のページへ、
それから、日本語教育に関係ない部分は、「生活日記」のページへと分けて載せようかと考えてい
る。

 リニューアルは少しずつしないといけないので、しばらくはページ構成が混乱するかもしれないけ
ど、ご了解願いたい。

 今日は、スロースタート。休み明けで、頭もからだも動かない。様子見をかねて復習を多めにした。
教科書をはなれて自由に話そうとすると、どうしても単語が足りない。いちいち、訳していたら、自由
に話す意味もなくなってしまう。

 一ヶ月ぐらい勉強したという人が、面接に来た。明日から、昼のクラスに参加するという。今、男性の
ホテルマン一人だけでやっているクラス。いっしょにできるかどうか心配。
  「会話中心のクラスだから、いっしょにできるでしょう。」
と、院長も言うけれど、「会話」って、そんな魔法のようなものではないと思う。でも、一般クラスを一人
で続けることはできないことは承知しているから、何も言わず、引き受けた。今いる男性の受講生も、
一人だけだと練習しにくいことがあったから、プラスの面もあるだろう。でも、明日からのメニューを
どう立てたらいいか、悩む。

 休み明けだからか、欠席も目立つ。そのまま来なくなる人がいないか、心配だ。

 新しい先生も決まった。来週には編成替えもある。忙しくなりそうだ。                top



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