(1999年1月16日から)
以下の用語には注釈があります。 | 以下の資料をはりつけました。 |
表題リスト |
過去の日記 |
1.ハンガナ 2.て形 3.五十音図と発音 |
1.《教材》でき る/わかる/ なる/しって いる |
1998.3.1 アルクのビデオ 1998.3.3 たばこをすっても… 1998.3.6 ひらがなカルタ 1998.3.7 できる/わかる/なる 1998.3.8 首相はいません 1998.3.10 子どもがなくなって… 1998.3.13 て形の提出順 1998.3.17 口蓋化のコントロール 1998.3.18 口蓋化のコントロール〈続〉 1998.3.23 普通体と[〜かどうか] 1998.3.25 え列長音 1998.3.26 将来は〜に… 1998.3.27 「はんぐらいかかります。」 1998.3.31 「つづける」と「はかる」 |
過去の日記リスト 最新の授業日記 |
注意) 文中の【 】にはさまれた部分は、ハングルの発音を表すためのハンガナです。
失敗談。月末の記事なので、4月のファイルに更新されたら目に触れることも少ないだろうと、どうしようもない話だけれども、恥をさらそう。
きのう、ある受講生が突然、
ときく。何でこの二つが混同されるのか、皆目見当がつかなかった。しかし、ノートを見せてもらい、いろいろ考えて、私が悪かったのだとわかった。
前の授業で、誰かが「わかる」を「はかる」と書き間違えたか、言い間違えた。そのとき、二つは意味が違うんだということを指摘したのだけれども、もともと「はかる」を教えるつもりの授業でなかったので、いいかげんな説明をしてしまったのだ。
脇道の話で早く切り上げたいのに、自分が考えもなしに触れたことを質問されて、予想以上にてまどってしまうとき、わたしはよく、丁寧さを書いた不適切な教え方をしてしまうことがある。自分が失敗したと思っているところに食らいついてこられるので、無理に振り払おうとしてしまうのだ。気をつけなければいけない。
このとき、わたしは、「はかる」を、例文をあげるとも、ボディーランゲージを使うとも、訳を与えるともつかない、極めて中途半端な教え方をしたのだと思う。正確には思い出せないが、「計測する」という類語を、苦し紛れにあげたのだろう。しかし、これは最悪だった。
こうして、「計測」は「継続」になり、「はかる」は「つづける」と理解されてしまった。ほんとうに、とんでもない教師である。
このクラスでは、少しずつ韓国語の使用を減らすようにしていっているところである。最近は、ほとんど日本語だけで授業のできる日もできてきたのだが、そんなことを心がけていたことも裏目に出た。「継続」という漢字語を出すこと自体が、すでに韓国語の訳を与えることに等しい。それを自分でも後ろめたく思って、「訳語」なら「訳語」として、【け_`ちゅk】と正しく発音するか、【チぇ+タ】(このとき、わたしはこの韓国語の単語を忘れていた)と言うべきなのに、それもせず、「はかる」よりももっとむずかしい漢字語をあげてしまったのだ。急いでいるときでも、こういうことは、してはいけない。
今回は、受講生が質問してくれたのでよかったけれども、こういうことを気づかずに毎日のようにやってしまっているのではないかと思うと、ぞっとする。 top 感想 メール
ソウルの【パ.+コ+タ】という「学院」が出版していた『最新基礎日本語』は、私がここに来る前から使っていた教科書だが、評判が悪い。そして在庫が大量にあったので使い続けていたのだが、、ついに版元でも絶版になったので、今後は使わなくてよくなった。その教科書を使っている「ゆっくり初級」のクラス。
本文を読ませていると、
〔この「読ませる」は、《強制》ではありません。このクラスの壮年の女性たちは、私が何も指示しないのに、勝手に教科書を朗読しだしたりするのです。だから、この「読ませる」は『読むままにしている』という、《放任》の意味です〕
突然、不思議な声が。
ん?!…。あ、そうか。「三十分ぐらいかかります。」だったのですね。
だじゃれついでに、高校生の受講生があちこちで吹聴して、スベリまくっていたジョーク。発音は韓国式でどうぞ。
英語で「赤い家」は?……【れ_+トぅは.う_す】
「白い家」は?……【ほぁい_`とぅは.う_す】
「黒い家」は?……【_プlれkは.う_す】
「黄色い家」は?……【いぇlろは.う_す】
じゃあ、「透明な家」は?……【…?…】………………………【ピにlは.う_す】!
きのう、束草商業高等学校の3年生が15人「学院」に来て、クラブ活動としての日本語の授業を受けに来た。全員女子生徒。これから、週1回一時間ずつ、勉強することになる。しかし、週一回と言っても、学校の都合でなくなることも多いので、年度で12〜15回ぐらいしかできないらしい。
スポーツ系のクラブ活動との公平のため、雨の日は中止になったりするという。
さて、最初の授業のテーマは、自己紹介にした。2名を除いて2年生のときに第二外国語の授業を受けているので、ひらがなを読むことはできるし、簡単な単語は知っている。それでも、実際にやってみるまではこういう情報はあてにならないものだ。実際、いきなりスクリプトを渡してしまうと、文字を読もうとする分、棒読みになってしまうので、なるべく耳から入って口から反復するように工夫した。
高校生に合わせた自己紹介と言うことで、名前や出身地の後に、
「将来は〜になりたいです」
という文をいれることにした。普通の自己紹介では、自分の職業を言うべきところの変わりである。代表的な職業のことばの言い方をリストにして、プリントに書いて渡しておいた。そして、発表。
「将来は 会社員になりたいです」
ばかりが目立つ。「社長」「建築家」「デザイナー」なんていうのもあった。
なにも困ったことはないのだけれど、ふだんの「学院」での授業では、「スーパーモデル」なんて言う人が5人にひとりはいるものだ。「歌手」とか、「女優」とか、「大統領」とか、さんざん教えた後なのに、自分だけバカを言っているみたいだった。
夢がなくなっているのか、最初の日なので緊張しているのか、いくら商業高校だからって、そんなに堅く考えなくてもいいのに。でも、この生徒たちは、今年、就職を控えているのだ。この不況下にしゃれにならない質問をしてしまったのは、わたしのほうだったのかもしれない。 top 感想 メール
最初級クラスの授業。開講してから3週目になるけれども、まだ、ひらがなの表記が終わっていない。
ひらがなについて教えることが全部終わる前に、あいさつや、数字、時刻、値段などに関する項目に入っている。これらは、文字の導入の前にも教えられるし、その方が発音に専念してくれるメリットはあるのだが、やはり、ひらがなが一応終わっていないと、板書したり、受講生がノートをとったりするのに不便だ。早く終わらせたいのだが、なかなか先へ進められない。
今日は、[長音規則]の導入。手をぬいて、五十音図を指して、
「この列を延ばすときは、”え”をつけるんですよ」
というふうにやったら、とたんによくない結果が出た。「この列」ではだめなのだ。やはり、一つ一つ板書しないと、わかってくれない。あまり準備がよすぎて、紙に書いてあるものを出すのも、この場合は考えものだ。「え・け・せ・て・…」と、一つずつ確認していく間に、理解のための余裕が生まれるからだ。
わたしは普通、え段の音(母音が”え”の音。え列というのも同じ意味)の音を延ばすときは、”い”をつけるのが原則であると教えている。しかし、文部省の「現代仮名遣い」では、原則が”え”で、例外が”い”になっているので、韓国の教科書の中では多少の混乱が見られる。これは、たとえば、
というような意識から、漢字音が崩れて長音になった場合を「原則」の中に入れたくなかったからのようだ。しかし、実際の数から言えば、漢字音が長音になったものがほとんどで、固有語のえ列長音は、ほとんどない。その、ほとんどない中の「ねえさん」と「ええ」だけが”例外”であると考える方がはるかに実用的である。そして、現代では「時計」を「トケイ」と言ったら、かえって不自然だろうと思うのだ。
以前にも書いたが、「せんせい」は、「セーセー」に近く言うのが、自然な発音への近道である。そう思って発音すると、自然にアクセントまで矯正されるから、不思議である。 top 感想 メール
『文化初級U』20課の授業。
普通体(この教科書では「基本体」)に[〜かどうか わかりません]をつける練習。
普通体をどのように定義するのがいいのか、悩むが、結論が出ない。[です・ます]を含む形が「ていねい体」で、それに対する文体が普通体だとするのが、国文法で言う「敬体」「常体」に則った理解だけれども、文型を教える便宜を考えると、その範囲を限定しておくのと、下位分類としてのバリエーションを4種類ぐらい設定しておくのが都合がいい。
範囲については、[動詞文・い形容詞文・な形容詞文・名詞文]×[非過去・過去]×[肯定・否定]の
に限定しておく。これは、[〜そうです(伝聞)]の場合を見ても、「しましょう」の常体である「しよう」には接続しないからだ。バリエーションについては、[な形容詞文・名詞文]×[非過去]×[肯定]の場合の語尾が、
という4つのパターンを設定するということである。これで[〜そうです(伝聞)]はAタイプ、[〜はずです]はBタイプ、[〜んです]はCタイプ、[〜でしょう]はDタイプというように整理できる。
本当は、この「限定」と「バリエーション」は、それぞれの文末表現によって微妙なところがあって、その意味や用法と絡んでくるのだから、あまり形式的にまとめすぎると、うそを教えてしまうことにもなりかねない。しかし、文法理解の便宜のために、接続の似たものはなるべく少ないコストでまとめて覚えられた方がいいに決まっている。だから、最初に提示するときの、「限定」と「バリエーション」をどうしておくかが、大切なのだ。
ところで、[〜かどうか]については、教科書ではDタイプということになっている。そうだと思うけれども、
あの人はほんとうに独身だかどうだか、わかったもんじゃないよ。
なんて使い方があるではないか。それに、どうも、「だ」が入るかどうかで、意味にも微妙な違いがありそうだ。これは、今までほとんど考えたことがなかったことだったので、気になったけれども無視して教えてしまった。まだ、そんなことを言って混乱させるのは無用の段階だから、というのを言い訳にして。
判断としてはそれでよかったと思う。でも、後でいつかこの問題にも触れなければいけないと言うことを忘れてしまうのが、ありがちなことで、最もいけないことだと思う。そのときまでに、研究しておかなければいけない。
読者のみなさんで、「そんなことも知らなかったの? こういうふうに違うんだよ」と、教えてくださる方がいらっしゃると、助かるのだが。 top 感想 メール
きのうの記事に補足することがあるので、書いておく。
「さんびゃくえん」が正しく発音できないのは、口蓋化のコントロールがうまくいかないことが原因だが、「ひゃく」もできない人が多い。発音の上では、「びゃく」と「ひゃく」は全く別の問題である。それではこの原因は何かと考えてみると、どうも、「ひ」の発音が、日本語と違っているということが関係しているように思えるのだ。
このことは、「ひ」だけを発音しているときにはほとんど目立たない。しかし、韓国語母語話者の発音では、「ひ」は、[hi]となる。[h]の出かたが若干弱くなることを除けば、英語と同じようになる。この音を日本語の「ひ」に置き換えても、それを聞いた日本語母語話者もそれほど気になるものではない。少し変だと思う程度か、全く気がつかないという場合が多いのではないだろうか。
しかし、日本語の「ひ」の子音は、発音するときには[h]よりかなり前、硬口蓋の後ろの方で出される摩擦音である。だから、しばしば「し」と混同されるのである。発音するときには「ひ」と「し」は少し舌の位置が違うだけなのに、聞くときには「ひ」がむしろ[hi]と同じように聞こえるというのは、おもしろい現象だと思うのだが。
ところで、「ひゃくえん」の「ひゃ」は、「ひ」と同じ舌の構えをしなければならない。このとき、[h]の発音のままだと、「ひゃ」に聞こえないのだ。むしろ、日本語母語話者の耳には、「は」に近く判断されてしまう。感覚的な書き方をすれば、「ほぁくえん」という感じになってしまう。「ひ」のときには目立たなかった違いが、「ひゃ」のときには、はっきりと違う音に聞こえるという形で現れてくるということなのだと思う。
裏返して考えてみると、こういうことがあるから、日本語母語話者は「ひ」の子音の発音を正しく獲得するのだろう。「ひ」が[hi]と、聞くうえで大差がないなら、そのうち[hi]が自由異音(個人差と見なされる発音の変種)になってもおかしくないはずだ。そうならないのは、「ひゃ」と[hja]が意識される違いであるからに違いない。
韓国語の[h]は、英語に比べても弱くなることが多いので、なおさら、「ひゃくえん」が「はくえん」に
聞こえてしまう可能性が高い。だから、「ひ」の発音は、初めからしっかり教えておかなければならないと言うことになるだろう。 top 感想 メール
午後8時のクラス。久しぶりに出てきたJさんは、どうしても「さんびゃくえん」と発音できない。
ふつう、この単元で発音がうまくできないのは、「せんえん」の前のほうの「ん」の部分が鼻母音にならないことなどが多いのだが、彼女の場合は、そういうことには問題がない。「きゅうひゃくえん」はできるのに、「さんびゃくえん」ではさんざん苦労している。「しゃんびゃくえん」になったり、「さんびゃきゅえん」になったりしてしまう。
これは、「びゃ」の部分を「ば」にならないように注意して、拗音の発音にしなければならないと注意するあまり、他の部分にまで過剰な拗音化をしてしまうからだと推測できる。
「拗音」というのは、かなの表記で「ゃ・ゅ・ょ」を伴う音のことをいうが、音声の現象としては、「や・ゆ・よ」や、い段の音全体に見られる「口蓋化」という現象を伴った音の一部である。ただ、日本語の場合、母音の「い」を伴うときには自然と「口蓋化」することが多い(そのために、英語のseeの発音は難しくなる)が「口蓋化子音」にそれ以外の母音がつくと、「口蓋化」していない子音についた場合と対立関係になるので、特別に「拗音」と呼ばれて意識されることになる。
ちなみに、「拗音」という用語の由来は、まだ舌の運動能力が発達していない幼児の発音に多く見られるからだと聞いているが、定かではない。
彼女のために、以下のような表を書いてみた。
さ | ば | く | ||
ん | えん | |||
しゃ | びゃ | きゅ |
この、白い行が、口蓋化しない発音、黄色い行が口蓋化した発音である。上だけで「さんばくえん」とすると簡単にできるし、「しゃんびゃきゅえん」も難しくない。これらが混ざると、うまくコントロールできないようだった。
結局、完全にはできるようにならなかったのだが、彼女は、何が問題なのかわかったので、それなりに満足そうに見えた……というのは、自分に甘い評価だろうか。 top 感想 メール
午後8時のクラスは遅い時間だが、看護婦さん一人と主婦二人でつくられている。主婦二人が遅れ気味でちょっと自信をなくすと欠席したりするから、ますます遅れてしまう。
それでも気をとりなおして出てきてくれたので、「て形」の導入をさいしょからやりなおした。
「て形」については、別のファイルに「ます形」から導入する場合のことを書いたが、正直なところ、どういう提出順がいいのか、迷っている。そこにも書いたように「辞書形」を後回しにして導入することもできるのだけれども、それが一番いいのかどうかは、場合によりけりだと思う。
韓国の学習者は、動詞を習うときに、初めから「基本形(=辞書形)」を意識しながら覚えることに抵抗が少ない場合も多いから、て形に入る前に、「辞書形」も導入しておければその方が都合がよい面がある。一方、文法は後回しにして、少しでも早く実際に使える形を覚えて、使いながら修得していくような教授法を使う場合、大人の学習者に「です・ます」抜きの会話から入っていくことは望ましいとは思えないので、「辞書形」は後回しにした方がいいだろう。
ただ、前のファイルで論じた時に書かなかったことだが、発音のことを考えると、「辞書形」→「て形」というのが自然の修得順序にも合致していて、アクセントの面でうまく移行できるという面がある。「ます形」は、全部の動詞が「ます」の「ま」にアクセントの核を持つので、そこからいきなり「て形」に移ると、アクセント面での負担が大きくなるのだ。
今回は、初めに「ます形」から「て形」に移行する形をとり、練習の中で徐々に「辞書形」→「て形」のタスクを忍び込ませるやり方をした。教科書など、ほとんどの本は、「辞書形」→「て形」の規則が掲載されているので、ひととおり理解した後でその記述を見直せば総合的に理解できるのではないかというねらいである。
最初はさんざん文句をいっていたが、機械的な練習をさんざんさせたあとで、教師が「て形」を言って、動詞絵カルタをとるゲームをしたら、意外にすらすらできてしまった。間をおいて、こんどは役割を変えてやってみる予定だ。
文法規則は、一つの流れ図に従って結論を求めていくようなやり方ではもろい。全体が構造をもった体系なので、入力のポイントと出力のポイントを交換したり、ずらしたりしながら、どの断片情報からも全体が復元できるような形にもっていくのが理想的だと思う。
ある学校では、「て形」を「ます形」から導入すると決めたら、他の方法はとらせないというような内部了解をすることがあるけれども、混乱をさせないような十分な見極めがあれば、他の方法も使えるようにした方がいいと思う。。できれば両方できた方がいいに決まっているのだから。 top 感想 メール
『文化初級日本語』19課の授業。
この教材のクラスが始まって一週間たったけど、まだ、最初の課の最初のスキットをやっている。
「どうなさいましたか。」−−−「子どもがいなくなってしまったんです。」
という会話を練習していたら、ある受講生が
「子どもが 亡くなってしまったんです。」
と言ってしまう。韓国語では「います」と「あります」/「いません」と「ありません」の区別がないから、「いない」と「ない」を混同することも当然予想される誤りだけれども、「いなくなる」が「なくなる」になろうとは、思っていなかった。
よくできる受講生が、
「なくなる」は、人(や動物)じゃないとき…
とささやいた。そのとおりにわたしが教えたのだけれども、人に使うことができて、「死ぬ」という意味になることは、教えていなかった。
ところで、この教材を使ったの初めてじゃないんだけど、今までこんなこと、気にもしていなかった。わたしはいままで、何も考えずに教えてきていたということになる。改心しなければ。 top 感想 メール
土日は授業がなかったので、久しぶりの韓国語ネタをかかせていただく。
ある時、「首相」という言葉を教えて、何も考えずに、「韓国の首相は誰ですか」ときいたら、
と、一人が答える。そして、回りの受講生も「うんうん」と、うなずいている。
こういうときは、日本語教師は何でも知っていないといけないんだなと、つくづく思うのだけれども、韓国に首相がいないわけではないのだ。事実は、「首相」と呼ばないと言うことである。
韓国語では、「国務総理」【.ク~.む.`チょ~に】と言う。そして、日本の総理大臣のことは「首相」【.すさ~】と呼ぶが、韓国の総理のことは、【.すさ~】と言わないのである。
だから、少し詳しい韓国人だと、
「日本は議院内閣制だから首相がいますが、韓国は大統領制なので首相はいません。」
なとど、もっともらしく説明してくれることになる。そういう説明までされて、
「いや、違うのではないかな、これは、日本語と韓国語の言葉の使い方の違いの問題ではなかろうか」
と、あたりをつけられる教師は少ないだろう。だから、ニュースぐらいは見て、日本のマスコミが「高建首相」と書いたり、「コゴン首相」と言ったりしていることぐらいはチェックしていなければならないのだ。
ところで、今、韓国の政界は「与小野大」つまり、少数与党なので、総理の国会での承認(韓国語では「認准」)が受けられない状態が続いている。 そこで、金鍾秘【きm.+チょ~`ぴl】という人が「首相代理」になっている。これも、日本では「首相代理」といっているが、韓国では「総理署理」【.`チょ~に,そり】という。「署理」という漢字の組み合わせは日本で見かけないものだが、ゆっくり発音すると、「そうり」と聞こえる。だが、正式の総理になれないから、【,そり】なのである。
ちなみに、代理【テり】という言葉も、日本語教師なら注意が必要だ。これは、日本語と同じ意味で使うこともあるが、会社の職位を表す場合には、多くの場合、平社員が最初に昇進してありつく役付きの名前である。(「係長」に相当すると思われる。)日本語で「部長代理」などといった場合、韓国人が正しく理解するかどうか、わたしには定かではない。 top 感想 メール
おとといときのうの授業。項目は、「できます」と「わかります」。
「できます」については、いろいろな名詞をつけて、「できますか」と、質問することにしている。まだ、この段階では[動詞+ことができます]は使えないので、こちらで名詞でできる表現を用意しておく必要がある。
わたしがよく使うのは、
運転・料理・さかだち・鉛筆回し・なわとび・スキー
などである。そこから、[どんな+名詞+が
できますか]と[名詞+で 何ができますか]の文型での練習に発展させることができる。
「わかります」が、同じ項目にあるのは、両者とも、対象に「を」ではなく「が」をとるからだが、意味的にも、微妙な問題がある。
・日本語ができます。
・日本語がわかります。
の二つは区別しなければならない。「できます」は、実行可能なことを表すから、「わかる」ことを形で表せなければ「できる」ことにはならない。ただし、「できます」には、他に、完成を表す使い方もあるから、気をつけなければならない。
韓国語では、「できます」に当たる表現に、【トぇ+タ】というのがあるが、これは、「なります」と訳される場合が多い言葉だ。「できます」が完成を表すのは、主に人為的行為の結果としてだが、「なります」は人為的な努力の結果でなくても、一つのものの状態や立場が変化することを表す。それらと、「可能」の意味の一部まで【トぇ+タ】はカバーしているから、区別することの指導が必要になる。
それから、「わかります」と「知っています」を、韓国語ではともに【あl+タ】で表しうるから、この区別も、難しい面がある。
とりあえず、そのへんの細かいことを、プリントを作って、説明してみることにした。これらの違いは、日本人が考えればそれほど難しくはないが、それをどう提示するかは、頭を使うところだ。批判を仰ぎたいところである。 top 感想 メール
きのうの夜のクラス。今のところ、高校に入ったばかりの女子学生一人だけだ。日本語の知識ゼロで入ってきた。韓国ではひらがなを独習してからくる受講生が多いので、初級者のクラスと言っても一人だけ仮名が覚えられていないと活動に制約が出てしまう。
目的によっては、文字の導入を後回しにすることもできるが、これから目標を遠くにおいて勉強するつもりのようなので、一人だけのうちに、少しでもひらがなを覚えてもらうことにした。
わたしがすると、発音までチェックしながらになるので、どうしても時間がかかる。彼女は少し依存心の強いタイプのようで、一人ではなかなか覚えてきてくれないので、二時間目に入っても最初の15字でとまっている。
あ行までの文字で書ける単語、か行までの文字で書ける単語、さ行までの文字で書ける単語別にフラッシュカードを見せて、読みと書きの反復練習をしたが、まだ、字母の認識が不安定なので、市販の『ひらがなかるた』(凡人社)で、かるたとりをした。
そのあと、かるたをきって、五十音図のようにならべさせるタスクをしたら、指示をきいた彼女は、自分の手元で15枚のカードを「あ」から「そ」までそろえてからテーブルに置こうとして、うまくできなくなってしまった。
わたしは、ばらばらのカードを一つずつ、見立ての位置に置いていくやりかたで、やってみせた。そうしたら、2回目は、それをまねして、すぐにできた。彼女は、ちゃんと、母音と子音の組み合わせで音ができていて、それにひらがなが割り当てられていることを理解していたのだ。よく観察すると、彼女の頭の中で混乱していたのは、字形が似ている文字ではなく、同じ行か、同じ列の文字をとりちがえていたからだということもわかった。
昔、中国の複数の場所で、たくさんの学習者の学習到達度を測るためのテストを作ったことがある。ひらがなの修得状況をみる問題で、五十音図にひらがなを書き入れる問題を作ったのだが、そのときの問題検討会では、紙面のレイアウトの都合で五十音図を5×10の表にできないかもしれないという問題が持ち上がった。そのとき、ある教師は、「表にしないで50音を一列に並べて、たとえば『の』と『ひ』の間はなんですか」というような設問ではいけないのかと、提案したのだが、私は強く反対した。
私は、自分自身に『の』と『ひ』の間に『は』があるという認識をしたことがなかったからだ。『な』のとなりに『は』があることと、『な』行のいちばん下に『の』があることはわかっても、『の』の次が『は』になるというような認識をしたことはない。
提案した方は、「どの教師も、ひらがなは五十音順に教えるでしょう」と主張したが、わたしは、そうは思わなかったのだ。同じ母音と同じ子音が一列に並ぶように工夫したものが五十音図である。辞書をひくために、一列に配列したときの順序の認識が必要だとしても、そこばかりを見て図の構造を壊すようなことはしたくない。だから、日本語教育の場では、最後の行に
『わ』『・』『を』『・』『ん』
などという並べ方をした図を使っては、絶対にいけないのだ。 top 感想 メール
朝のクラス。早朝、受講生を道の途中で拾いながら「学院」へ車で向かうので、どうしても直前の準備ができなくなる。プリントなどは前の日に準備しておけばいいが、細かい授業の流れのチェックは、おろそかになりがち。そうでなくてもあまり綿密な方ではないが。
[<動詞−て形>もいいです][<動詞−て形>はいけません]の練習。普通だったら、とっくに習っているところなのだが、教科書の関係などで、<て形>をしたときに扱わなかった項目を、新しい教科書(『文化初級U』)に入る前に使えるようにしておくねらいだ。
これは、<て形>といっても、「も」とか「は」とかがついて複雑な印象を与えるから、他の練習をして<て形>が十分定着してから始めた方がうまくいくと思う。同じことが、[<動詞−ない形>なければなりません]にも言える。ただし、『文化初級』のように機能を重視した教科書では、場面設定がしやすく、よく使われるという理由でこれらの文型から新しい活用形に入っていったり、そうでなくても比較的早い時期に提出されることがあるので、そういうときには、どちらを重視するかということになるのだろう。
ところで、練習していて、つまずいた。やはり、どんな質問を出すか、ひとつひとつ予定を立ててチェックしないと、いろいろなことがおこる。
ここでたばこをすってもいいですか。
に、否定で
いいえ、ここでたばこをすってはいけません。
と答えるところまではいい。しかし、じゃあ、「ここでだめならどこで?」と聞きたくなるのが人情というもの。でも、
では、どこでたばこをすってもいいですか。
なんて日本語はない。「どこですったらいいですか。」であるべきだ。
根本にかえって考えると、「<て形>もいいですか」の「<て形>も」は、「<た形>ら」と対応関係があることばである。だから、ほんらいは、「してもいいです」は、「してはいけません」とともに、「したらいいです」ともペアにして提示されるべきものである。そうなんだけれども、ここでは、前者のペアの方だけで理解しやすく、使いやすいものを先に出して、覚えてしまおう、ということで、計画が立てられているのである。
だから、どこかで、「<た形>ら」の影がちらつきそうになったら、巧みに回避しなければならなかったのだ。そのことを忘れて教えると、上のような失敗をしてしまう。
ただ、根本的には、いずれ、「しても」「しては」「したら」の三者をもう一度並べ直してどういうことになるのか検討しなくてはいけなくなるのだろう。そこを一度しっかりおさえていなかったから、うっかりミスも出てくるのである。その三者の関係について、いずれ続きを書きたい。 top 感想 メール
アルク(日本の出版社)から『VIDEO日本語の教え方実践シリーズ』というビデオがでている。これは、同様のタイトルの、「教え方」本のビデオ版で、ビデオとしては安価な、一巻3500円で販売されている。
日本に帰ったときにこの第1巻の『教え方のコツ 公開 授業のすべて』(清 ルミ)というのを買ってきていた。これが、なかなかおもしろかった。ビデオでは、第一日目の自己紹介を中心にした授業の模様を収録し、そのあとで、授業をする側のポイントを検証したり、舞台裏を紹介したり、反省点をあげたり、よくある(教授法上の)質問に出演者が答えたりしている。
「安価で販売するという英断を支持するために、ダビングだけはやめよう」という日本語書籍専門の本屋の宣伝に共感して買ったけれども、買って損な内容ではなかったと思う。無論、こんなものを見なくても同じ技術をすでに授業に取り入れている方が大勢いらっしゃることは承知している。ただ、そうだとしても、それをここまで、実際にいる学習者への授業として公開して、舞台裏の「仕込み」まで含めて批判にさらした例があるだろうか。
わたしは、このビデオの授業をそっくりまねすることは、容易ではないと思った。たしかに実際の授業では、単元がどんどん進んでいくから、いつもこのテンションで授業のレベルを維持することは難しいし、同じ単元の実験授業を繰り返しできる環境がのぞめる場所など、ほとんどないだろうけれども、とりあえず、何人かでこのビデオをみて、作戦を立てて「まね」っこしてみることから始めるのも、おもしろいと思う。 top 感想 メール
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