(1999年1月16日から)

日本語授業日記のコーナー

以下の用語には注釈があります。 以下の資料をはりつけました。

表題リスト  

 過去の日記
1.ハンガナ
2.て形
3.結果の残存
1998.9.2 はこを つくる
1998.9.3 毒ガス 
1998.9.5 「しっていない」 
1998.9.12 「すきがります」 
1998.9.16 はじめての一般動詞 
1998.9.19 「いっていました」ふたたび 
 
 過去の日記リスト
 
 最新の授業日記


注意) 文中の【  】にはさまれた部分は、ハングルの発音を表すためのハンガナです。


1998.9.19   「いっていました」ふたたび

  これから かくことは、6月24日の記事や、『結果の残存』5月2 9日の記事に、関係している。

  6月24日に、

という文について、「うまく説明できない」と かいたきりだったのだけれども、『文化初級日本語』では、このような[動詞て形+いた]が ひんぱんに 登場する。23課「ワンさんにあげるプレゼント」でも、

と いうような かんじだ。このなかで、いちばん うえの文は[動詞て形+いる]に なっているけれども、「いた」でも、「いる」でも、[動作の途中]とも[結果の残存]とも いいにくい例文であることには かわりないだろう。どちらかと いえば、後者にちかいが、意味内容にてらして いうのなら、[効果の継続]とでも いうべきか。とくに、冒頭の例や、うえの2・3番めの例では、[動詞て形+いた]の「いた」が、ここでいう[効果の継続]が いまでも有効かどうかを保留していることに対応している。つまり、ある時点までは、弟は友達と野球をみにいく」と いったのだから》《野球をみにいく》ということが 確実だったのだけれども、いまでも そう いえるかどうか 時間がたったので 絶対確実ではないのである。それでも、このいいかたは、完全に現在ときれているのではなく、それでも、《弟は たぶん 野球をみにいくだろう》 という推測はなりたっているのである。そこが、

  あのひとは、そのとき、結婚していました。

などというのとは、決定的にちがう。こういう みのがしがちだけど、はなすときに ひんぱんにでてくる表現に注目していることで、あらためて、『文化初級日本語』は すごい教科書だとおもう。
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1998.9.16   はじめての一般動詞

  きょうの商業高校の授業は、うまく いかなかった。
  ちょっと 準備(と いうよりは 計画)が たりなかった せいだと おもう。

  はじめての 一般動詞の導入ということで、いくつかの動詞の絵カードを 準備して、辞書形ない形だけをつかって、簡単な応答をさせようとした。

  ふつうは、
ます形をつかって、「〜ます」「〜ません」の くみあわせで やるのだろうけれども、いろいろな理由で、「ます」を つけない かたちから はいることにしたのだ。

  うまく いかなかったのは、週一回しかない授業で、もともとレベルがまちまちで、いちばん したの ひとでも 理解できるように くみたてたつもりなのだけれど、どうしても もうすこし できる ひとたちを あきさせないようになどと かんがえるものだから、プロセスを はしょって さきへ いそいでしまったり したからだった。実際、アクティビティーの手順も まちがえてしまった。

  わたしが 中学校1年生のときの 英語の教科書は 三省堂のだったけど、その当時、画期的だと いわれていた。なんでも、はじめての、”This is 〜” ではない はじまりかたを した構成だったらしい。ちなみに、第1課の 最初の文は、”I speak English.”だった。

  その提出順が 絶対にただしいとか、まちがっているとか いうことは できないだろう。ただ、そんなことを おもいだしたのは、日本語教育でも その程度の 発想の転換は あるにはあるのだろうけれども、全体としては まだまだ 既成の手順にたいして、それを かえることに おくびょうになっているような 気がしたからだ。
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1998.9.12   「すきがります」

  一般に”様態”を表すと 称される「そう」に ついては、4月の授業日記で ふれた。

  この「そう」と よく 対照させながら おしえることになるのが 「がる」なのだけれども、これは、「そう」が、

ことを そとからみて 推測しているのに たいして、「がる」は、おもに ひとの感情など、 そのままでは だしてみせることのできない こころのなかのことを ことばや態度にしてうったえる ことを あらわす。

  「がる」も ”様態”を表すと 称される「そう」も 感情をあらわす ことばに つくときは、ふつう、第3者の感情をあらわすと いわれるが、

   わたしが ほしがったので、おかあさんが アイスクリームをかってくれました。

などという わかりやすい事例もあって、ここでは、「ほしかった」と「ほしがった」の ちがいが よくわかるだろう。さらに、

と くらべると、おかあさんが しかたなしに かったのか、こどもの きもちを みこして かったのかが わかるのである。

  ところで、今回の授業で、受講生が

と かいた。「すきがっています」という 表現を わたしは 日本語のなかで きいたことがない。どうして、いわないのだろうか。

  以前から 問題になっていたことなのだけれども、すっきりした説明には まだ、であえていない。わたしの 単なる 不勉強かもしれないので、わかるひとは、おしえてください。
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1998.9.5   「しっていない」

  日本語教育の教科書では、「しっています」の 否定形は「しりません」と なるのが、常識である。

  さらに、このように、「[て形]+います」の かたちに 「[て形]+います」ではなくて、「ません」の かたちが 対立するのは、類例がないので、特に理由もなく、「とにかく、これは例外なんだ」と、おしえることになる ばあいが おおい。じつは、「気にいっている−気にいらない」などの類例はあるのだけれども。(拙稿結果の残存』 参照)

  ところが、このまえ、NHKの ばんぐみを みていて、こんな いいかたが でてきていた。

これは、この文脈にあった、いいかただと おもう。なにが、そのように させているのだろうか。

  いろいろ、おもいあたるところもあるのだけれども、次回以降に、考察することにしよう。
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1998.9.3   毒ガス

  単純な 韓国語ネタ。

  いわゆる 自動詞/他動詞のペアを さらっていて、「とかす」「とける」の ところで、ひとりが わらいだした。

  原因は、「とかす」が《毒ガス》の発音と おなじだったからだ。

  韓国語で《毒ガス》は、.トk*カ_す】。「どく」の「く」にあたる[k]と「ガス」の「か」にあたる[ka]がひっついて、「とかす」に ちかくなるのが 特徴。
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1998.9.2   はこを つくる

  なつやすみ あけ はじめての 商業高校の授業。 ひさしぶりだけれども、もともと いろんなレベルのひとが あつまっていて、しかも 週1回の 特別活動だから、勉強してくることは期待できない。蓄積がないという前提で、もう 10回目の授業である。 ひらがなも わからない ひとが いるという前提でメニューを かんがえてきたけれども、そろそろ ネタに こまっている。

  今回は、存在の『いる・ある』を テーマに、文字をつかわずに 口頭だけで できる練習をしてみた。ひさしぶりなので、最初は いっしょうけんめい やってくれたが、しばらくすると、何人かが「ついていけない」と あきらめの様子。こまった。

  でも、後半に、作業を計画していたので、なんとか たのしく おわることができた。『いる・ある』と いっしょに おしえた『まえ・うしろ・うえ・した』などを つかって、はこを つくることにしたのである。

  「学院」のポスターの うらを つかって、 はこの 展開図を コピーし、そこに「うえ」「した」など、完成時に どの位置に くるのか、指示をあたえた。それに したがって、かみをきって、はこをつくる。

  わたしの性格なのか、ついつい、複雑な展開図を かいてしまい、(単純なのでは、おもしろくないから)高校生たちを こまらせてしまったけれども、時間いっぱい、チャレンジしてくれた。失敗するひとも 半分ぐらいいたけれども、順にまわって、まちがいを指摘する時間がとれた。

  唯一の問題は、のりとカッターの代金が ジバラになってしまたことだ。また、別のところでつかおう。
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