Subject: 現代日本反動勢力の韓国史認識(1)
   Date: Mon, 14 Sep 1998 11:48:58 +0900
   From: FUJINAGA Takeshi <funtak@las.osaka-sandai.ac.jp>


  SO@LASこと、藤永壮です。拙稿に関心をお寄せいただき有り難うござい
ます。
  在日MLでご案内したとおり、3つに分けてメールをお送りしますので、ご確
認下さい。


 おことわり

 この原稿は韓国の季刊誌『歴史批評』1998年秋号(通巻44号、1998年8
月)に発表した標題の論文の、翻訳用に執筆した日本語原稿です。以下の点を
ご了解下さい。
・韓国で活字になることを、前提とした記述になっています。日本での一般的
な表現にそぐわない箇所があります。
・『歴史批評』誌の編集方針から韓国語版では、日本語原稿の脚注は大幅に削
除され、段落も改めないよう変更された部分があります。


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   現代日本反動勢力の韓国史認識
    ――日本型歴史修正主義が登場するまで――

                          藤永 壯


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 目 次

T.はじめに
U.日本政府の見解
 第2次大戦直後の植民地支配美化論
 転換点としての「教科書問題」
V.右翼勢力の韓国史認識
 右翼勢力の復活
 林房雄の「大東亜戦争肯定論」
 「新右翼」「宗教右翼」の登場
 中村粲の韓国史認識
W.日本型歴史修正主義の登場
 日本型歴史修正主義の論理
 「慰安婦」問題への攻撃
 自由主義史観研究会の韓国史認識
X.おわりに

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T.はじめに

 日本が第2次大戦の敗戦から50周年を迎えた1995年、のちに日本社会を、
歴史認識をめぐる大論争の渦に巻き込むことになる、一つの「研究会」が発足
した。「自由主義史観研究会」と名乗るこの団体は、奇妙なことにその設立日
が明確でないが(1)、翌96年6月、文部省による中学校社会科教科書の検定結
果が公表されると、同会代表の藤岡信勝・東京大学教授を中心に、教科書から
「慰安婦」の記述の削除を要求する、猛烈なキャンペーンを展開しはじめた。
「自由主義史観研究会」は、96年12月に発足する「新しい歴史教科書をつく
る会」とともに、いま、日本の歴史教科書の記述と、その基礎となる戦後日本
の歴史研究のあり方を、激しく非難する運動を繰り広げている(2)。
 「自由主義史観」なるものの登場は、日本社会の中に、自国中心主義的・大
国主義的な歴史観が根強く存在していることを、改めて浮き彫りにした。この
ような歴史観は、必然的に日本の韓国植民地支配を正当化し、韓国民衆の歴史
認識に正面から敵対する議論を生み出すことになる。本稿は、現代日本社会の
底流にある反動的な歴史認識の論理と、これが再生産される歴史的な脈絡を、
概略的に論じようとするものである。
 ところで「自由主義史観研究会」「新しい歴史教科書をつくる会」などの主
張に見られる傾向は、ヨーロッパで1970年代後半に出現し、徐々に勢いを増
しつつある「歴史修正主義」との類似性から、「日本型歴史修正主義」と呼ば
れることがある。フランスやドイツ(3)を中心に勢力を拡大しているヨーロッ
パの「歴史修正主義」は、「第二次世界大戦の戦勝国史観に対する異議申し立
て」(4)と定義され、典型的には、アウシュビッツ収容所におけるナチス=ド
イツのユダヤ人虐殺が虚構であると主張するような類の議論として現れている。
ヨーロッパにおいて歴史修正主義が登場した背景は、次のように説明されてい
る。

  ヨーロッパの歴史修正主義の動因になっているイデオロギー的な根拠は、
  反共主義の突出であると共に左右の反米主義です。ソ連が崩壊した今、
  アメリカのヘゲモニーに抵抗するには、アメリカのヘゲモニーの倫理的
  根拠であった反ファシズムという大義を崩さなければならない。そのた
  めには、アメリカを物理的に打倒することができない以上、その根拠を
  文書操作によって揺るがし、疑惑の毒を注ぎ込む必要がある。そういう
  意図で動き出している人たちがいるわけです(5)。

 すなわち歴史修正主義は、第2次大戦の戦勝国である、アメリカとソ連の
歴史観への挑戦というモチーフを根底にもち、「戦勝国史観」にもとづくと見
なされた、あらゆる歴史研究の再検討を要求する。日本の場合は、敗戦後に積
み重ねられてきた、アジア諸国に対する侵略や植民地支配の実態を明らかにし
た研究成果が、「東京裁判史観」(6)として攻撃の対象となっているのである。
 もっとも日本において、反米・反ソ(あるいは反共)イデオロギーにもとづ
く、歴史研究批判・歴史教育批判は、以前から右翼や国家主義者たちによって
展開されており、この点だけ取り出してみれば、「自由主義史観研究会」など
の活動が、とりたてて目新しい動きであると言うことはできない。私たちが日
本型歴史修正主義をとくに警戒するのは、彼らが既存の右翼勢力の主張を批判
する形で登場したことによって、従来「右翼」や「国家主義者」とは一線を画
していた知識人・文化人を結集することに成功したからである。フランスで左
翼から修正主義者に転向するケースがしばしば見られるのと同様に、「自由主
義史観研究会」の代表である藤岡信勝・東京大学教授は、かつて日本共産党の
党員であったと言われている。「新しい歴史教科書をつくる会」の会員の中に
は、これまで自国中心的な歴史観とは無縁と思われた著名人も散見され、私た
ちを大いに驚かせた。歴史修正主義者たちの巧妙な資料操作にもとづく執拗な
攻撃は、実証主義的な歴史研究の信頼性を大いに傷つけ、学問分野を越えて心
ある研究者たちに、現代日本社会の「知」のあり方を再考させる契機となった。
現在、日本で繰り広げられている歴史認識をめぐる論争は、おそらく韓国で想
像されている以上に、深刻な問題を日本の知識人に投げかけているのである。
  しかしその装いの新しさとは対照的に、歴史修正主義の根源にあるのは、陳
腐な大国主義的な国益優先の歴史観であり、それは現在の日本政府の立場より、
いっそう反動的なものと言うことができる。本稿では、日本型歴史修正主義の
主張も、結局は第2次大戦後の日本の反動勢力の歴史観を再構成したに過ぎ
ないことを明らかにするが、対比のために、まず日本政府の見解の変遷を確認
したうえで、右翼勢力の主張、歴史修正主義の主張を紹介していくことにする。
紙幅の関係から、歴史修正主義に対する反論は最小限にとどめ、韓国の読者に
できるだけ多くの事実を紹介することに努めたい。


U.日本政府の見解

第2次大戦直後の植民地支配美化論

 李泰鎮教授は最近の論文で「韓国併合」に対する日本の政治指導者の「妄言」
は次の2つのタイプに整理されると指摘している。

  (1)併合はあくまでも東洋平和のためのもので、道徳的にも法的にもな
  んら問題がない。
  (2)侵略に対する道徳的・倫理的責任はあるが、法的には問題がない(7)。

 やや図式化すれば、第2次世界大戦後の日本政府の韓国植民地支配に対す
る見解は、(1)から(2)に移行していったと言うことができる。
 第2次大戦直後の日本政府の韓国植民地支配に対する認識は、戦前からの
立場をそのまま継承し、日本の韓国統治は正当であったとして、これを賛美す
る見解を露骨に表明していた(8)。敗戦は植民地支配に対する反省を、日本政
府に促す直接的な契機とはならなかったのである。しばしば引用される資料で
あるが、1947年に脱稿したと言われる次の政府報告書の一節は、敗戦直後の
日本政府の立場を端的に示すものである。

  第一次世界大戦前夜、二十世紀初頭の世界情勢並に世界思潮とその時ま
  でおかれて来た朝鮮の状態――即ち如何なる意味においても完全な独立
  国として自立する力を有たなかつた朝鮮の状態を顧みるとき、これは必
  ずしも日本のみが責められるべき貪婪なる膨張政策とは言ひ得ないであ
  らう(9)。
  ……朝鮮統治の根本方針が……所謂「一視同仁」政策を以て貫かれたと
  いうことは、朝鮮統治がその性格において決して植民地的支配を意図し
  たものにあらず……その意図においては頗る誠実であつたと言はなくて
  はならない(10)。
  朝鮮の経済がこのやうなミゼラブルな状態から、併合後僅か三十数年の
  間に今日見るやうな一大発展を遂げるに至つたことは、慥に日本の指導
  の結果であると言ふも過言ではない(11)。

 このような認識が日本政府の一般的な見解であったことは、1953年10月
に開かれた第3次韓日会談における日本側首席代表・久保田貫一郎の有名な
発言(いわゆる「久保田妄言」)からも裏づけることができる。久保田は、こ
のとき日本が「朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりしたし、大蔵省
は、当時、多い年で二千万円も持出していた」「当時日本が[韓国に――引用
者]行かなかったら中国か、ロシアかが入っていたかもしれない」「朝鮮の経
済のためにも役立っているはずだ」
(12)などと述べた。この「久保田妄言」が原因となって韓日会談が決裂したこ
とについて、当時の岡崎勝男外相は「何も間違つたことをいつているわけでも
ないし、あやまる理由は一つもない」と、久保田の発言を全面的に擁護してい
る(13)。日本の韓国支配に対する「道徳的」「倫理的」責任どころか、日本の
植民地政策を韓国人の前で美化して憚らないのが、このころの日本政府の態度
であった。そしてこのような日本政府の姿勢は、当時の日本社会の韓国植民地
支配に対する一般的な認識を代弁するものでもあったのだ。

転換点としての「教科書問題」

 しかし1960年代に入ると、日本政府関係者の韓国植民地支配を美化する発
言は、抑制されるようになる。東アジア反共体制の安定化を望むアメリカ、韓
国への経済進出を目指す日本、そして軍事独裁体制への批判を経済開発でかわ
そうとする韓国・朴正煕政権の意向が一致し、韓日国交正常化が急がれたため、
国交樹立の障害となるような言動を日本側が控えたからである。さらに1970
年代になると、日本の侵略政策・植民地政策を明らかにした研究成果が、次第
に日本社会にも共有されるようになり、マスコミや世論も韓国の抗議を正当な
ものとして受け入れる雰囲気が生まれてきた。日本政府としても、植民地支配
に対する道徳的責任は、認めざるを得ない立場に追い込まれていったのである。
そのような日本政府の立場を決定づけたのが、1982年夏のいわゆる「歴史教
科書歪曲事件」――日本では普通「教科書問題」とよぶ――であった。
 1982年6月に発表された日本の文部省による高校歴史教科書の検定結果に
対し、韓国・中国をはじめアジア諸国は、日本の教科書が韓国植民地支配や侵
略戦争の事実を歪曲していると批判し、大きな外交問題へと発展していった。
これに対し日本政府は、同年8月、次のような見解(宮沢喜一官房長官の談
話)を発表して教科書記述の是正を約束し、事態の沈静化をはかった。

  一、日本政府及び日本国民は、過去において、わが国の行為が韓国・中
  国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自
  覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の
  上に立って平和国家としての道を歩んできた。わが国は、韓国について
  は、昭和四十年[1965年――引用者]の日韓共同コミュニケの中におい
  て「過去の関係は遺憾であって深く反省している」との認識を、中国に
  ついては日中共同声明において「過去において日本国が戦争を通じて中
  国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する」との
  認識を述べたが、これも前述のわが国の反省と決意を確認したものであ
  り、現在においてもこの認識にはいささかの変化もない。[以下略]
  (14)

 この官房長官談話によれば、日本政府・国民は1965年の「日韓共同コミュ
ニケ」(韓日共同声明)で、韓国国民に「多大の苦痛と損害を与えた」過去の
行為を繰り返さないという「反省と決意」を、表明したことになっている。し
かしこの主張は欺瞞である。1965年2月20日、韓日基本条約の仮調印とと
もに発表された共同声明の該当する部分は、次のようなものであった。

  李[東元――引用者]外務部長官は過去のある期間に両国民に不幸な関
  係があったために生まれた、韓国民の対日感情について説明した。椎名
  [悦三郎――引用者]外務大臣は李外務部長官の発言に留意し、このよ
  うな過去の関係は遺憾であって、深く反省していると述べた(15)。

 すなわち日本政府は、過去の「不幸な関係」が「遺憾」であり「深く反省し
ている」と述べたに過ぎず、韓国民衆に「多大の苦痛と損害を与えたこと」を
反省し、「このようなことを二度と繰り返してはならない」という決意を表明
したわけではなかったのである。
 今日的観点から見て、この官房長官談話が重要なのは、韓日基本条約とセッ
トの形で発表された韓日共同声明を引用することによって、日本の植民地支配
に対する「道徳的」責任は認める一方で、法的責任はこの条約で解決済みであ
るという立場を、日本政府が婉曲に表明したところにある。周知のように、韓
日基本条約第2条は「1910年8月22日以前に大韓帝国と大日本帝国との間
で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」
と規定しており、日本政府はこの条文を「韓国併合条約」が「締結」された当
時は、これが法的に有効であったことを認めたものと解釈する立場をとってい
る。(韓国政府は逆にこの条文を、「韓国併合」が当初から法的に無効であった
ことを定めたものと解釈した。)韓国植民地支配に対する「道徳的」「倫理的」
責任は認めても、法的責任は認めようとしない現在の日本政府の立場は、1982
年の「教科書問題」によって固められたと言えるだろう。
 「韓国併合条約」が法的に有効であるという見解は、今日に至るまで日本政
府の基本的な立場となっている。例えば、1995年10月5日、当時の村山富
市首相が「日韓併合条約は、当時の国際関係等の歴史的事情の中で法的に有効
に締結され、実施されたもの」(16)と述べたことも――韓国では「村山妄言」
として問題になったが――実は従来の日本政府の立場を繰り返したに過ぎなか
ったのである。


注
(1)「自由主義史観研究会」のWebサイトに掲載された同会の歴史
(http://www.jiyuu-shikan.org/info.html)には、1995年1月に「「自由主義
史観」研究会の発足準備スタート」と記載されているだけであり、正式発足が
いつのことなのか明らかでない。
(2)「自由主義史観研究会」などの活動を紹介した韓国語の論文として、以下
のようなものがある。ガバン・マコーマック「日本の『自由主義史観』の正体」
『創作と批評』第98号、1997年12月、鄭在貞「横行する国家戦略的歴史教
育論の亡霊――歴史教科書批判と『自由主義史観』」『日本の論理――転換期の
歴史教育と韓国認識』ヒョンウム社、1998年。
(3)1986年以降繰り広げられた、ドイツの「歴史修正主義」をめぐる論争(い
わゆる「歴史家論争」)については、次の文献を参照のこと。具スンヒ「ナチ
歴史評価をめぐるドイツ学界の論争」『歴史批評』第20号、1993年2月。
(4)鵜飼哲「歴史修正主義と証言の問題――ヨーロッパの経験」『季刊戦争責任
研究』第20号、1998年6月、p.55。
(5)同前、p.56。
(6)この用語は、日本近現代史の研究者である伊藤隆・埼玉大学教授(東京大
学名誉教授)の造語と言われる。伊藤は「新しい歴史教科書をつくる会」の理
事として、同会による歴史教科書作成の中心的な役割を担おうとしている。
(7)李泰鎮「韓国併合は成立していない」(上)『世界』第650号、1998年7月、
p.300。
(8)以下の叙述の根拠となる資料は、高崎宗司『「妄言」の原形――日本人の朝
鮮観』増補新版、木犀社、1996年、に依拠するところが大きい。日本の政治
家の妄言の内容を整理した韓国語論文としては、姜昌一「戦後日本人の歴史認
識と妄言」中央日報統一文化研究所現代史研究チーム編『日本の本質を再び問
う』ハンギル社、1996年、がある。
(9)鈴木武雄「朝鮮統治の性格と実績――反省と反批判」『日本人の海外活動に
対する歴史的調査』第11冊、大蔵省管理局、1950年(影印版、高麗書林、1985
年)、p.4。
(10)同前、p.5。
(11)同前、p.25。
(12)『朝日新聞』1953年10月22日。
(13)高崎、前掲書、p.240。
(14)『朝日新聞』1982年8月27日。
(15)大韓民国政府『韓・日会談合意事項〈仮調印内容解説〉』1965年、p.87。
日本語版は『朝日新聞』1965年2月20日夕刊による。
(16)『朝日新聞』1995年10月13日。