Subject: 現代日本反動勢力の韓国史認識(3) Date: Mon, 14 Sep 1998 11:49:10 +0900 From: FUJINAGA Takeshi <funtak@las.osaka-sandai.ac.jp> W.日本型歴史修正主義の登場 日本型歴史修正主義の論理 日本型歴史修正主義は、表面的には、これまで述べてきたような右翼勢力の 歴史認識を否定する形で登場した。自由主義史観研究会の代表・藤岡信勝は、 彼らの目指す「自由主義史観」なるものについて、同会機関誌の「創刊の辞」 で次のように述べている。 近代日本が行った戦争の評価については、日本だけを悪者にする「東京 裁判史観」も、日本は少しも悪くなかったとする「大東亜戦争肯定史 観」も、ともに一面的です。日本がとる政策によってあの戦争は避ける ことができたのではないかという観点から、戦争回避の可能性と現実性 を歴史の具体的脈絡の中で追究する必要があります。/右のような「近 現代史」へのアプローチを「自由主義史観」とよぶことにします(33)。 ここで藤岡は「自由主義史観」に明確な定義を与えていない。彼は「戦争回 避の可能性と現実性」の追究という、ごく一般的な課題を提案しているに過ぎ ないのである。それが何かしら実体を持つように思えるのは、従来の日本の歴 史研究や歴史教育の動向を「東京裁判史観」と「大東亜戦争肯定史観」に二分 し、両者をともに一面的と批判する、藤岡独特のレトリックによる。「自由主 義史観」が現場の教師を中心に、それなりの反響を呼んだ要因の一つは、この ような中立を装った論法にあるように思われる。例えば、自由主義史観研究会 の会員となった教師たちの中には、もともと保守的な教育団体・研究団体に所 属いていた者もいるが、左翼体験をくぐって転身した者や、教職員組合の活動 に疑問をもち職場で孤立していた者なども含まれているという(34)。暴力集団 というイメージが強い右翼勢力の歴史観を「大東亜戦争肯定史観」として批判 し、これと距離をおくポーズをとることによって、自由主義史観研究会は、現 在の日本の歴史教育のあり方に不満を持つ教師たちを組織することに、ある程 度成功したと言えるだろう。 しかし「大東亜戦争肯定史観」と「東京裁判史観」の両者を批判すると言っ ておきながら、実際のところ、藤岡の批判は「東京裁判史観」に集中している。 藤岡の著書の中で「大東亜戦争肯定史観」に対する批判を行った箇所もあるが (35)、その叙述のほとんどすべては彼の定義するところの「東京裁判史観」な るものに向けられているのである。すなわち「自由主義史観」の目標は、結局、 「東京裁判史観」と決めつけられた、第2次大戦後の日本の歴史研究あるいは 歴史教育の成果を、解体するところにあると見てよい。 藤岡も加わって1996年12月につくられた「新しい歴史教科書をつくる会」 の「創設にあたっての声明」には、次のような一節がある。 どこの国にも独自の歴史像があり、それぞれ異なる歴史認識があり、他 国との安易な歴史認識の共有などあり得ない。[中略]/われわれはこ こに戦後五十年間の発想を改め、「歴史とは何か?」の本義に立ち還り、 どの民族もが例外なく持っている自国の正史を回復すべく努力する必要 を各界につよく訴えたい(36)。 このように修正主義者たちは、外国や他民族との歴史認識の共有、あるいは 相互理解というものを全面的に拒否し、自国の「正史」なるものの回復を主張 する。(「正史」とは本来、国家の手により編纂された権力者の立場を正当化す る歴史を意味する語である。)彼らの国家至上主義的な立場は明確であり、こ の点で既存の右翼・国家主義者たちと大きな違いはないと言える。このような ナショナリズムと不可分なものとして出現したところに、日本型歴史修正主義 の特徴の一つが指摘されている(37)。 また藤岡は「一九二八年からの日本の国家行動はアメリカの国益にもとづく 東京裁判史観が断罪し、それ以前の明治以後の日本国家については一九三二年 のコミンテルン・テーゼによるコミンテルン史観が断罪するという米ソ分担の 同盟が存在した」として、敗戦国日本は米ソ両国の「国益にもとづく悪意に満 ちた日本近現代史像を注入され」、これこそが「「暗黒=自虐史観」の出生の秘 密」であったと主張する(38)。すなわち藤岡によれば、第2次大戦後の日本の 歴史研究・歴史教育の骨格は、米ソの謀略、プロパガンダにより形成された「暗 黒=自虐史観」ということになり、「戦勝国史観」への異議申し立てを自らの 存在意義として位置づける歴史修正主義の論理が、ここで典型的に表明されて いるのである。 なお藤岡は「慰安婦」問題への攻撃を開始してからは、一般に馴染みの薄い 「東京裁判史観」という用語よりも、むしろこの「自虐史観」というセンセー ショナルな用語を多用しはじめ、これによって自らの主張を宣伝することに成 功した。しかし「自虐史観」なる語が、本来、彼が批判の対象としたはずの「大 東亜戦争肯定史観」のイデオローグ・中村粲の著書に見られることは、すでに 指摘したとおりである。日本型歴史修正主義は、右翼勢力の語彙を借用するこ とによって、はじめてその論理を構成することが可能な存在なのである。 「慰安婦」問題への攻撃 冒頭述べたように、自由主義史観研究会は、中学校の歴史教科書から「慰安 婦」に関する記述の削除を要求したが、その理由の1つとして、「慰安婦」の 強制連行を示す証拠が存在しないことを掲げている。1996年8月、自由主義 史観研究会が発表したアピール「中学校の教科書から『従軍慰安婦』記述の削 除を要求する」から、該当する部分を引用する。 この慰安婦問題の背景としておさえておくべきことは、戦前の日本では 売春は合法的な商売として認められていたということである。内地で売 春が商売として行われたのと同じく、戦地でも軍の保護と承認のもとに 売春業者が男性の集団である軍隊を相手に商売を行った(日本で売春が 法的に禁止されたのは、戦争が終わってから何年も経ってからのことで ある)。/そこで、いわゆる「従軍慰安婦」問題で非難されるべき点が あるとすれば、日本軍が戦地で働く意志がない女性を人さらいのように して強制的に連行し、慰安婦をさせた方針をとっていたというような場 合である。/しかし、日本軍による強制連行を示す確実な証拠はただの 一件も存在しない。ただし、自分が強制連行したと称する日本人が現れ て、著書まで出した[吉田清治の著書をさす――引用者]。ある歴史家 が朝鮮の現地に行って調べてみると、まっかなウソであることがバレて しまった(39)。 このような粗雑な議論については、すでに多くの反論が出されている。私な りにその要点をまとめれば、@「強制連行」の意味をきわめて狭く解釈し、「人 さらい」(暴力による連行)だけを問題として、詐欺や甘言といった手段を除 外しようとしていること、A被害者の証言を根拠のないものとして否定してい ること、B当時の公娼制度の欺瞞性・不法性に目をつぶり、これを是認したう えで、「慰安婦」制度を公娼制度と同列に位置づけていること、C「強制連行」 だけが問題なのではなく、慰安所の管理・運営全体に軍が関与し、監禁状態で 暴力的に被害者に「性的慰安」を強要した点が重要であること、などが指摘さ れている。しかし藤岡は少しもひるむことなく、「慰安婦は、時には兵士の収 入の百倍にも当たる収入を得ていた」(40)「軍は関与したが、その関与の中身 は、誘拐(強制連行)などが起こらないようにせよという関与に他ならなかっ た」(41)などと、ここでも先の中村粲の主張を下敷きにしたような、女性差別 的な暴論を繰り返している。このような「性差別主義の過激化」も、日本型歴 史修正主義の特徴として指摘されている点である(42)。 ところで注目されるのは、自由主義史観研究会が歴史教科書から「慰安婦」 に関する記述の削除を要求する以前から、右翼勢力と結びついた自民党国会議 員の中に、これを先導するような動きが起こっていたことである。1996年5 月28日に、日本遺族会顧問の板垣正・参議院議員(前出の自民党「歴史・検 討委員会」事務局長)が、高校教科書の「慰安婦」記述を批判し、続いて6月 4日には、「終戦五十周年国会議員連盟」の後身団体である「明るい日本・議 員連盟」の結成総会が開かれ、奥野誠亮会長が「慰安婦は商行為」などと発言 していた。教科書批判の動きがこうして再燃する中、6月7日に中学校教科書 の検定結果が発表され、7冊の歴史教科書すべてに「慰安婦」に関する記述が 盛り込まれたことが明らかになったのである。 これに対し7月2日、自民党総務会で現行の教科書検定のあり方に対する批 判意見が出され、9月22日に「明るい日本・議員連盟」は「慰安婦」の記述 の削除を求める決議を採択した。時期を同じくして9月20日には「日本を守 る国民会議」が、前年の「戦争謝罪国会決議」に反対したときと同様に、「慰 安婦」記述の削除を求めて1カ月の全国縦断キャラバンを開始した(43)。この ような一連の動きを総合してみると、1996年の教科書批判は、中学校教科書 の検定結果発表という時期に照準をあわせた政治的キャンペーンと言え、自由 主義史観研究会の活動は、右翼勢力と連携しつつ、主としてマスコミでの宣伝 活動を担当する役割を果たしたと位置づけられるのである。 自由主義史観研究会の韓国史認識 自由主義史観研究会の活動が注目された背景には、同会が1996年1月から 『産経新聞』紙上に連載していた「教科書が教えない歴史」という読み物が単 行本化され、ベストセラーになったという事情がある。この連載は1997年8 月に終了し、その内容は全4巻の単行本にまとめられたが、連載も終わりに近 づいた97年6月、「日本統治下の台湾・朝鮮」というテーマで、12回にわた って日本の植民地支配の問題が取り上げられた。 その個別の題目は、以下のようなものであった。@経済的利益を得ていなか った日本、A高砂族を融和させようとした樺山総督、B安全保障と深く関わっ た朝鮮半島、C韓国の間接統治を目指した伊藤博文、D恨みを残した一進会の 日韓合邦論、E近代林業発展に寄与した阿里山開発、F経済・社会を大きく変 えた鉄道建設、G米の生産性高めた増殖計画、H地方機関に強制されて創氏改 名、I高倍率になった志願兵募集、J台湾人の反日感情緩和した「長谷川仁政」、 K同じ日本と思って投資(44)。 題目を一瞥しただけで、日本の統治政策の弁護、美化につとめる姿勢が読み とれるが、ここではシリーズの第1回目、藤岡信勝の執筆による「経済的利益 を得ていなかった日本」の内容を紹介しておく(45)。 藤岡の主張は、次の3点にまとめられている。 第1点は、「今の時代の基準で過去の出来事を裁いてはならない」、帝国主義 時代の「当時は植民地を領有することが悪だとは見なされていなかった」とい うものである。現在の基準で歴史を評価してはならないというのは、藤岡のし ばしば用いるレトリックであるが、この論法はここでは全く通用しない。植民 地支配を受けた民族にとって、「植民地を領有すること」は、「当時」も今も、 「悪」以外の何物でもない。 第2点は、「日本の植民地を、ヨーロッパの植民地と同列に並べるべきでは ない」、なぜなら「日本人は植民地を本国なみの水準に引き上げようと懸命に 努力をし」「ヨーロッパ諸国が植民地から大量の富を収奪したのとは大違い」 であるからというものである。これは典型的な植民地統治美化論であり、日本 の植民地支配の独自性を強調するのも、前出の1947年の日本政府の報告書に 見られるような、第2次大戦前の植民地統治者の見解を引き継ぐまことに陳腐 な議論である。日本の植民地政策をどんなに美化したところで、それはあくま でも日本の繁栄を目的とするものであり、韓国人や台湾人のために実施された 政策でなかったことは、改めて言うまでもない。 第3点は、被支配民族の「怨念が今も人々の胸にうずいていること」は認め るが、「誇張された部分は正す必要があり」、「有色人種では日本人だけが植民 地支配者になったという事情」や「統治の任に当たった人物の人柄や方針」に も留意すべきというものである。この部分はとくに韓国の反日感情を念頭に置 いているようである。「有色人種では日本人だけが植民地支配者になった」こ とや統治者の「人柄や方針」を持ち出して、日本の国家としての責任を曖昧に するとともに、韓国の反日感情を誇張された言説にもとづく非理性的なものと 印象づけようとする意図が感じられる。実に姑息な手段と言うほかない。 このような藤岡の主張にもとづいて、連載では先に紹介したような、日本に とって有利に解釈できそうなエピソードが寄せ集められる。植民地支配の全体 像を描く作業などは、歴史修正主義にとっては、はなから関心の対象外である。 そこに見られるのは、日本の「誇り」なるものの回復のためには、韓国人を侮 蔑することも厭わない、ひたすら日本人だけを対象とした弁明の繰り返しに過 ぎない。 X.おわりに 歴史修正主義が出現した背景に、現代日本の閉塞状況が存在していることは、 誰もが感じている点である。敗戦から高度経済成長を遂げ、経済大国にのし上 がった日本であるが、経済的な繁栄が精神的な豊かさをもたらすものでないこ とは、1980年代にはもはや明白となっていた。1990年代にはいると、バブル 経済の崩壊により、頼みの物質的繁栄の基盤さえ脅かされることになった。そ して自由主義史観研究会が誕生した1995年には、阪神・淡路大震災が発生し、 オウム真理教が地下鉄サリン事件を引き起こした。前者は、第2次大戦後の日 本が作り上げた物質文明のもろさ、はかなさを証明し、後者は日本社会の精神 的荒廃が極限状況に至ったことを示して、私たちに大きなショックを与えた。 また官僚腐敗の構造化が象徴する国家システムの制度疲労と、高齢化と少子化 により予想される日本社会の将来像は、未来への期待を打ち砕くに充分であっ た。 多くの日本人が未来への希望を持てない状況の中で、歴史修正主義の「日本 人としての誇りを回復せよ」というメッセージは魅力的に響くのであろう。し かしそれは、個々の日本人を日本という国家に同一化させるための罠である。 本稿で明らかにしたように、修正主義者たちの主張は、もはや戦前体制の復活 を目指す右翼・国家主義勢力と、ほとんど区別できないものとなっている。 日本型歴史修正主義の克服は、基本的に日本社会の力で成し遂げるべき課題 であることは言うまでもない。ただ一つだけ韓国の人々に希望を述べるとすれ ば、政治家の気まぐれな「妄言」をセンセーショナルに報道し、日本への不信 感を表明するにとどまらず、こうした「妄言」を生み出す土壌、すなわち本稿 で述べたような日本社会の思想状況にも、いっそう関心をもっていただきたい ということである。いま日本で繰り広げられている「記憶の内戦」は、決して 韓国の人々にとっても無関係なものではない。多くの韓国の人々が関心を持っ てこのような日本社会の動向を見つめて下されば、必ずや私たちは歴史修正主 義の挑戦を退けることができるものと確信している 注 (33)『「近現代史」の授業改革』第1号、1995年4月、p.1。 (34)村井淳志「自由主義史観研究会の教師たち」『世界』第633号、1997年4 月。 (35)藤岡が批判の対象とした「大東亜戦争肯定史観」の代表的な議論の中には、 先に紹介した林房雄と中村粲の著作も含まれている。 (36)新しい歴史教科書をつくる会編『新しい日本の歴史が始まる』幻冬舎、1997 年、pp.320-321。 (37)鵜飼、前掲論文、p.59。 (38)藤岡信勝『汚辱の近現代史』徳間書店、1996年、pp.98-99。 (39)『「近現代史」の授業改革』第5号、1996年9月、p.82。 (40)藤岡信勝『「自虐史観」の病理』文芸春秋、1997年、p.18。 (41)同前、pp.34-35。 (42)鵜飼、前掲論文、p.59。 (43)「日本を守る国民会議」は1997年5月31日、「日本を守る会」と統合し て「日本会議」という新たな組織を発足させた。「日本会議」は、皇室の尊重 や新憲法の制定などを運動方針としている。 (44)これらは、藤岡信勝・自由主義史観研究会『教科書が教えない歴史』第4 巻、産経新聞ニュースサービス、1997年、に収録され、その際「強制性は薄 かった朝鮮での徴用令」という1章が追加された。 (45)前掲『教科書が教えない歴史』第4巻、pp.136-138。