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Article #: 3010 (Res to #3009) Entry Date: 00/03/29 14:52:06
From: きんちょ
Subject: 「んだ」に関する説の紹介
Message:  実は、「んだ」については、そういう説が あります。『日本語教育』91号の渋谷倫子氏の『もう一つの現実を表す「の」』という論文です。『日本語文型辞典』では、「のだ」を 1.説明  2.主張  3.疑問詞〜のだ(説明要求)  4.つまり〜のだ(いいかえ)  5.だから〜のだ(帰結)  6.〜のだから  に分類していますが、渋谷氏の説によれば、1〜5をひとつの意味素による説明でカバーできるということになりそうです。その意味素とは、「『現実とはこういうものだ』という認識」が くみかえられることだと いっているのですが、そこから、上記以外の習慣・予定・決心・真理・発見・納得・確認・再説・断り・難詰・助言・命令 等の多様な用法が派生してくることを説明できると いっているのです。こういうふうに かんがえるのは、fujitanさんが「んだ」の機能に着目して「んだったら」を説明しようとした方向に合致していると おもいます。もとの例に かえれば、「日本にいるんだったら日本のファッションを真似しなさい」で?はなしては ききてに ききてが「日本にいる」という現実をわすれているものと かんがえ、それを提示することで、ききての現実認識の わくぐみをくみかえさせようとしているのだと説明できるというわけです。これはfujitanさんが「反実」と いうのと すこし かさなりあうかもしれません。しかし大切なのは、「反実」では ありえない文なのに「反実」などと主張するからには、それが どういうことをさすのか かんがえぬくことだと おもいます。定説の不正確な理解から、用語だけ ひろってきて 自説を展開すると、大変な誤解をまねくからです。わたしはfujitanさんの着眼点まで否定するつもりはなく、むしろ、それを発展させるために そのことを指摘したかったのです。そして、このように文献や論文を紹介するのも、おなじ意図からです。

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