|   |
このページは (月刊日本語 presents)に きんちょが投稿した記事のログを投稿者本人が保存したものです。 このサイトには きんちょの投稿しか おいてありません。 以下のリンク、および、ログのなかにあるリンクは もとの掲示板に つながっていますので、おまちがいのないように ご注意ねがいます。 |
| 記事検索|ツリー状に表示|タイトル&コメント一覧 | |
| Article #: 3101 (Res to #3099) Entry Date: 00/04/09 16:11:13 | |
| |
きんちょ |
| | 日本語教育と国益3−2 |
| | >自国語の普及が国益でなくなるなんてことがあるのでしょうか。 こういう議論をしようとするのなら、「国益」をきちんと定義しなければなりませんね。つい30年くらい まえには、「外国人にへんな日本語をはなさせるな」という議論があったことをごぞんじですか? 80年代末に「日本語がわかる外国人をふやすことは国益にかなう」と しきりに主張した国立国語研究所の所長が いましたが、かれは「日本の内情をくわしく しられないようにするのが国益だ」という閉鎖的な国益論と たたかっていたのです。 「国益」とは、客観的な存在ではなく、国家をふりかざすことで、政治的な意図をつらぬこうとする ひとたちが つかうイデオロギーなのです。>「結果論にすぎない」などと言って、国益に深く関わっている>仕事をしているという自覚もなしに続けていることこそ、>「結局、「国益」のほうに 自分たちが ふりまわされてしまう」>ということ、そのものだと思いますよ。 「結果論にすぎない」と かいたのは、わたしが 日本語教師をしているのは、日本の国家のためでは ないからです。為政者が「国益」になるといおうと、いわなかろうと、そんなこと、関係ありません。極端な はなし、ピョンヤンの金日成総合大学から招請があれば、そこにいって日本語をおしえることも やぶさかでは ありません。 戦争中、アメリカの軍人に日本語をおしえた日本人も、立派な しごとをしたと おもっています。そこに 「国益」をこえた価値が あると信じれば、どこででも しごとをするでしょう。 警戒すべきは、ほんらい結果論にすぎない「国益」を、客観的な存在であるかのように ふりかざしている ひとたちの コクエキ「論」に ふりまわされないことです。たしかに、そのひとたちの おもわくに おおきく かかわっている しごとをしているのだという自覚は その意味で 必要でしょうね。 |
# of Responses: 1
| VALUE="Re: 日本語教育と国益3−2" | |