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| Article #: 3164 (Res to #3084) Entry Date: 00/04/15 21:10:27 | |
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きんちょ |
| | Re~4:「〜に〜ができる」(もも さんへ) |
| | #3130を かいたあと、『教師用日本語教育ハンドブック4 文法2 助動詞を中心にして 改訂版』(国際交流基金 日本語国際センター)に、つぎのような記述があるのを発見しました。(p.73)外国人にも使える辞書がほしい。[1]などと、動作・作用の主体にあることを実現させるに足る能力が備わっているかどうかを問題にする可能表現では、その主体を他と対比的に限定して示す場合に「ニ」が用いられる。特に対比性が意識されず、「だれがこの曲をひけるか」と問われた際の答えとしては、 田中さんがこの曲がひける[2]となり、「ニ」は現れないが、「田中さん」と「私」が対比的にとらえられる場面での表現では、 田中さんにこの曲がひけるなら、私にもひけるだろう。[3]となるのである。 執筆者は阪田雪子氏ですが、わたしは この論には賛成できません。 [1]は、「にも」を「も」にしても対比の意味はでるし、[3]も同様です。特殊なのは[2]のほうで、「ひけるのは田中さんだけだ」という「総記」の意味を「が」が もっています。この説明では、例文のえらびかたが恣意的なのではないでしょうか。 しかし、わたしとは ちがう意見もあるということで、紹介しました。それでは。 |
| VALUE="Re: Re~4:「〜に〜ができる」(もも さんへ)" | |