|   |
このページは (月刊日本語 presents)に きんちょが投稿した記事のログを投稿者本人が保存したものです。 このサイトには きんちょの投稿しか おいてありません。 以下のリンク、および、ログのなかにあるリンクは もとの掲示板に つながっていますので、おまちがいのないように ご注意ねがいます。 |
| 記事検索|ツリー状に表示|タイトル&コメント一覧 | |
| Article #: 3191 (Res to #3180) Entry Date: 00/04/17 00:53:51 | |
| |
きんちょ |
| | 善の定義 |
| | まえにも かきましたが、わたしは「利害の基準でなく善悪の基準を」などと「利害」に「善悪」を おきかえたりは していません。梅の茶さんが「これさえも絶対的ではない」とした「利害」に対して、まさしく相対的なものでしかない「善悪」を対置しただけです。どちらか ひとつだけで たりるものではないでしょう。 わたしがイメージした「善悪」と いうのは、だれかが「国益」だと いっても、それと無関係に それが いいことか わるいことか かんがえる基準のことです。ひとつのことではなくて、たとえば「人権」とか「平等」とか「正義」とかいう ことばで あらわされるものを いっているのです。わたしは、いままでの議論で、これ以上に定義する必要を感じません。なぜなら、わたしは、この概念を「ふりまわした」ことは ないからです。ただ、「国益」をふりまわす ひとに対しては そういうものをもちだす必要があると いっているに すぎないからです。わたしは「国益のために日本語教師をする」と いわないかわりに、「善/正義/人権? のために日本語教師をする」と いっても いません。「学習者の利益になる範囲で自分の利益も かんがえる」とは いったけど、なんでも学習者中心主義が ただしいとは いっていません。ただ、わたしが いいたかったのは、自分の価値観にてらして「善」と いえないことが ひとつでも あるのなら、その「ために」日本語教師をするとは いうべきではない、と いうことです。だから、「国益」が つねに すべて「善」だと確信するひとには なにもいうことは ありません。わたしは、そんなことより、自分が たべるために日本語教師をしていると いうほうが はるかに真実だと おもうので、正直に そう いっています。そして、その結果、すこしの「善」が もたらされれば幸福というものです。 |
# of Responses: 1
| VALUE="Re: 善の定義" | |