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Article #: 3248 Entry Date: 00/04/20 14:33:25
From: きんちょ
Subject: 西田哲学とその周辺
Message:  西田幾太郎が日本の近代哲学の第一世代だとすれば、西田の影響をうけて出発し、独自の たちばをきづいていった三木清、戸坂潤は、第二世代と いえるでしょう。この3人は、ともに1945年、日本の敗戦を前後して なくなっています。西田が敗戦をしらず 6月に ひっそりと なくなり、戸坂は思想弾圧により8月に獄死、三木は敗戦後、数ヶ月をへて、解放されることなく獄中死しました。GHQが戦中の思想犯を獄中から解放するのは三木の死が きっかけであったと いわれています。西田は戦中、大東亜共栄圏を賛美し、軍部に協力しました。しかし、かれが賛美し「善」の実現形態と目した日本軍国主義国家によって、その最良の弟子たちは うばわれてしまったのです。三木もジャーナリズムの世界で可能な かぎりでの抵抗をこころみますが、その文章の足跡をたどれば、客観的にみて時代に ながされざるをえなかったと いえます。そして、かれの改良主義的な抵抗の ばも、戦争末期には なくなってしまったのです。戸坂は、唯物史観に徹することで転向することなく弾圧をもろに うけました。わたしが いまになって おもうのは、この感受性がゆたかな哲学者は、もし自由な時代であったら、公式主義的なマルクス主義をもっと のびのびとしたものに発展させられたのではないかということです。 西田哲学にたちいって ここで論じることは できません。ただ、このような哲学者たちの結末をみれば、また、その哲学へ むきあう態度も かわってくるのではないかと おもうので、かきました。 ひとつ、日本語教育をめぐる議論に対しても示唆的なのは、西田が偏狭な国粋主義を批判しながらも、その批判がむしろ大東亜共栄圏の建設鼓舞に やくだったということです。内省と直観が無媒介に世界と つながってしまうような かれの哲学が、他者を認識する契機にかけたのではないか・・・というのは、あまりに乱暴な分析でしょうか。

# of Responses: 1

  1. "Re:西田哲学とその周辺" from 未知との遭遇 (00/04/20 19:40:27) #3252

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