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| Article #: 3736 Entry Date: 00/05/22 01:12:18 | |
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きんちょ |
| | 罪悪感?(Re:#3780) |
| | おもしろい説明だと おもいます。でも、「罪悪感」うんぬんの部分は、まず、「いる」と「ある」の つかいわけが前提にあって、そこから派生してくる解釈だと おもうんです。そうでないと、日本語をつかうひとは、動物を食するときには おなじような罪悪感をいだいていなければならないということに なってしまう。それに、冷蔵庫の貝だったら(たとえ生物学的には まだ いきていても)「そこにある 貝を〜」と いうかもしれないけど、生け簀で およいでいる魚にまで、そんなふうに いうだろうかという疑問も あります。まさか、貝をたべるのには罪悪感が あっても、生け簀の魚を刺身にするのには 罪悪感がないというわけでは ないでしょう。 つかいわけには、基層にある基準と、そこから派生してくる解釈が あると いうことです。「解釈」は それで いいし、文学鑑賞のときなどでは たいせつな発想になると おもいますが、それをことばの つかいわけの「基準」に あてはめると、その場かぎりの説明に なってしまうということです。主語になるべき単語によって、「いる」か「ある」か どちらかに きまるという前提を勝手に たててしまうのも かんがえが あさすぎますが、おなじ単語でも場面や指示内容によって、選択が かわるとはいえ、あまりに特殊な場面での「解釈」をつかいわけの「規則」に してしまうわけにも いかないのです。 この話題で 投稿されたかたたちと、わたしの かんがえかたは ほとんど ちがっていないと おもいます。それでは、なぜ 何回か投稿したかというと、そういうことを もともとの質問者のかたにも わかってほしかったからです。 |
# of Responses: 1
| VALUE="Re: 罪悪感?(Re:#3780)" | |