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| Article #: 4274 (Res to #4272) Entry Date: 00/07/01 20:13:04 | |
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きんちょ |
| | これは あげあしとりでは ありません。 |
| | こういうことをかくと、イヤミだとしか とらないひとが おおいのですが、#4326の つぎの部分、ヘンだとおもいませんか? 以前、「行かれる」というのは尊敬語との混同で日本人が よくする間違いの一つだときいたことがあります「日本人がよくする間違い」って? 日本人以上に ただしい 日本語をはなす くにのひとたちなり、民族なりが あるんでしょうか? 現状では日本人の ほとんどが 日本語の母語話者(無論、日本人でない日本語の母語話者も おおぜいいます)で、そのひとたちが はなしているのが「日本語」なのですから、「日本人がよくする間違い」とは、「まちがい」ではなくて、きっと「日本語のひとつ」なのだと かんがえなければなりなせん。 ところで、いま かいたことが あげあしとりではないと いうのは、つぎのような事情が あるからです。現在、日本の公教育で おしえられている「国文法」では、動詞を可能の意味にするには、「れる・られる」という助動詞を動詞に接続させることによって つくられると、説明されており、その説明に したがえば、「行く・書く・聞く」の可能のかたちは「行かれる・書かれる・聞かれる」に なるはずなのです。自発・尊敬・うけみと、おなじかたちですね。 伝統的な文法にしたがえば「行かれる」こそ「ただしい」のであり、「行ける」は「日本人がよくする間違いの一つ」だったのかもしれません。ちょうど現在「見れる」が、そのように あつかわれているように。結局、国文法では、五段動詞にかぎり、「行ける・書ける・聞ける」などを「可能動詞」と よび、単独の動詞として あつかうことで、その地位を公認しました。 日本語教育では、そんな ややこしいことに つきあう必要はないので、各動詞の、現在いちばんよく つかわれている可能のかたちを「可能形」と よんでいるのです。つまり、「日本人がよくする間違い」などという、現実につかわれている形式よりもうえに規範をたてるような かんがえかた自体に反対するところから、日本語教育で「可能形」という概念をつかう思想が でてきているのだということを理解することが大切なのではないかと おもうのです。 |
# of Responses: 1
| VALUE="Re: これは あげあしとりでは ありません。" | |