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Article #: 4284 (Res to #4272) Entry Date: 00/07/02 06:18:36
From: きんちょ
Subject: すみません、もう一度かきなおしました(#4328とさしかえ)
Message:  chaboさん、はじめまして。プサンで おじさん学生兼日本語教師をしているものです。 「行く」の可能形は「行ける」ではないかとのことですが、おっしゃるとおり、ほとんどの日本語教科書では「行ける」を「行く」の可能形にしています。 それはいいのですが、> 以前、「行かれる」というのは尊敬語との混同で日本人が> よくする間違いの一つだときいたことがありますにある説のほうには問題があるとおもいます。 「行かれる」を可能の意味でつかう つかいかたは、かつては一般的な用法でした。ですから、いまでも「学校文法」では、むしろ このほうを正統な かたちとして あつかっており、現実に つかわれている「行ける」のほうは、「可能動詞」という一語の派生動詞だとして、いわば例外あつかいのような処理が されているのです。 このような「学校文法」の説明は、古典との つながりや伝統を重視したものでしょう。それに対して、日本語教育で「可能形」という概念をつかうのは、「実際につかわれている語形を標準の語形として おしえよう」という かんがえかたに のっとっているのです。そこでは、すでに ふるい かたちになった「行かれる」よりも、「行ける」が標準として採用されます。 うえの某氏の発言では、可能の「行かれる」を「よくつかわれているが まちがい」だと いっていますが、このように現実よりも 規範をうえに もってくるタチバは、「可能形」という概念をつかう日本語教育の発想とは反対で、むしろ伝統文法のものです。ところが、かりに伝統的な文法を規範にかかげるタチバにたったとしても、「行かれる」は「行ける」よりも ふるくから つかわれた表現であったことを わすれており、この議論は順序が反対なのです。 結論だけは おなじように きこえてますが、そうなったのは、このように まちがいを二重に おかしていたからなのです。 よのなかには、暴論をもっともらしく のべたてるひとがいますが、そういうのに ふりまわされていると、検定試験のための勉強にも支障をきたすのではないかと心配です。「可能形」なら「可能形」という概念をささえている基礎になる日本語教育文法のかんがえかたを理解して、それに即して用語を把握するのが、合格へのちかみちではないかと おもいます。

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