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| Article #: 4320 (Res to #4315) Entry Date: 00/07/03 22:43:04 | |
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きんちょ |
| | Re:Re:「どうすると金持ちになれる」? |
| | けんさんの説明は、最初、奇妙に きこえました。可能形になると意志性がよわくなるということは、たとえば、可能形には意志形がないとか、目的をあらわす「ために」と「ように」のつかいわけで可能形は「ように」が つくとか いうときに指摘されますが、その逆の指摘は はじめてきいたからです。 よくよく かんがえてみると、「どうするとお金持ちになりますか」に対して「◆☆するとお金持ちになる」という こたえが あるとして、「◆☆するとお金持ちになる」だと、「お金持ちになりたい」という目的意識すらなく、◆☆したひとが 自動的に金持ちになるという意味にとれるわけですが、「◆☆するとお金持ちにになれる」だと、「なれる」という法則の認識にとどまっており、その法則を利用するかどうかは、はなしてや ききてに ゆだねられています。そこに◆☆することを手段としてとらえる意味がでてくるので、そこに「お金持ちになろうとしてなる」という意志性が感じられるということをおっしゃっているのではないだろうかと、おもいあたりました。 でも、このような意味での「意志性」は、「なる」より「なれる」が もともと 語の性質として もっているものではなく、むしろ、ことば自身には、まったく「意志性」が ないために、わたしたちがコンテクストにいれこんで解釈するときに その欠如をおぎなおうとして発生してきたものなのではないでしょうか。 「〜と」と共起している以上、ここでの「なる」も「なれる」も、その語の意味としては、人間の意志の およばない法則のようなことをあらわさざるをえないということには、かわりないように おもいます。なぜかというと、◆☆に あてはまる語としては「打ち出の小槌をたたく」とか「この宗教に献金する」くらいしか、おもいつかないのです。いったん、それをしたあとは わたしたちには てだしができないチカラで いやおうなく金持ちになるという文脈をかんがえないと、文が不自然に感じられるのです。 |
# of Responses: 1
| VALUE="Re: Re:Re:「どうすると金持ちになれる」?" | |