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| Article #: 5033 (Res to #5030) Entry Date: 00/09/10 10:35:50 | |
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きんちょ |
| | Re: Re:規範的態度とことばの応答性について |
| | 現実には、どんな教師でも それなりの規範をもちながら おしえているはずですし、それが まったく なくなってしまえば、「訂正」ということも できなくなります。ただ、わたしたちが「訂正」できるのは、学習者が なにをいいたいか わかっているからです。ある意味で「訂正」できるということは、すでに「通じて」いるからですね。一方、発話が訂正の対象になるまえの段階で中座されてしまったり、放棄されてしまったり することは とても おおいはずで、それを すこしでも意志疎通可能な かたちにまで すくいあげることも教師の しごととして 重要です。それを「すくいあげて」いく行為が あってこそ、どうしたら その文を規範的なものに するかという問題設定も でてくるわけで、そこの部分を無視した規範主義なら必然的にインプットだけの教授法に なってしまうでしょう。(誤文は即時に訂正するというオーディオ・リンガリズムを厳格に適用しようとすれば そうなる。)
ことばの多義性とか、世代間・地域間の問題も ありますが、日本語教師の ばあいは そもそも規範を共有しないひととのコミュニケーションをあつかっていて、しかも最終的に それを「母語の規範」(これは、つくられた「規範」ではなく、言語活動をする個人の意識のなかにある体系としてのラングのこと)に おきかえることをのぞんでいない成人をあいてに しているのですから、規範をはずれながら すすめられるコミュニケーションを 規範によって制限しようとするばかりではなく、それにどう対処したら ゆたかな発話をひきだせるかという課題とも つねに むきあってなければなりません。「応答性」という基準が必要な理由としては、そのことが 一番おおきいのではないでしょうか。(たとえばTPRは、応答性の原初的な かたちを基盤にすることから学習活動をくみたてた教授法だと みることができると おもいます。)ことばの「ただしさ」が大切なのか「ゆたかさ」が大切なのか、ということです。 |
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