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Article #: 5039 (Res to #5038) Entry Date: 00/09/10 17:32:48
From: きんちょ
Subject: Re: Re: Re: Re:規範的態度とことばの応答性について
Message: 「私は最初の投稿のエピソードにもありますように、日本語教師がことばに向かう時の感性はどうあるべきかという観点から規範性を捉えていたので、」……

教室活動ということをぬきに、日本語教師自身が ふだんの自分の ことばづかいをどうするべきかと いうことでしたら、わたしは ひとそれぞれで いいと おもいます。女性と男性、関西と関東、ふるい規範と あたらしい規範などが まじりあって現実のすがたが つくられているのですから、教師が その どれかだけに属すると かんがえるほうが ヘンです。もちろん、学習者の目標言語という ある程度のワクのなかでの はなしですけれどもね。いずれにせよ ひとりで日本語のバリエーションをすべて代表できるはずは ないのですから、そのへんは教材に いろいろな話体・文体のものを採用することで おぎなう必要が あるのではないでしょうか。「正統」でない日本語でも学習者のニーズによっては必要とされることは あるのですから。

 もとの投稿の話題に かえると、異文化交流における会話を成立させるためには、日本語自体が ひらかれていく必要が あるのではないか、という問題が提起されようとしたのではないかと わたしは とらえました。日本語の習得という意味ではネイティブと学習者の関係ですが、コミュニケーションのうえでは平等でなければならない以上、日本語学習者とのコミュニケーションでは日本語話者のほうも あいてに あわせて 日本語を理解したり、わかりやすい日本語の はなしかたをすることが もとめられる、というような問題提起ではないでしょうか。しかし、ひらかれた日本語をはなすといっても、わたしたちは そのような訓練をうけたことが ありません。でも日本語教師は日常的に そのようなことをしているので、直感的に それが どのようなことなのか わかるはずです。それを日本語話者に なげかえしていくのも日本語教師の職能からくる社会的な やくわりではないでしょうか。

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