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Article #: 5354 (Res to #5330) Entry Date: 00/10/03 14:12:41
From: きんちょ
Subject: 「国家にまつわる幻想」のこと
Message:  話題をなるべく日本語教育に ひきよせるようにして おこたえしようと おもいます。
> 特定されてない以上、「みなす人もいる」という
> 意味に取ります
というのは、それで結構です。「その程度の幻想は何に
関しても存在する」というのも、そうでしょう。ところ
で、なぜ この掲示板で そんなことが話題になっている
かというと、わたしは、こう おもいます。日本語教師の
しごとと いうのは、「日本人でない ひとが 日本語を
つかう」という、まさに いまの日本の国家に まつわる
「幻想」の一部をゆるがす事態に かかわる ものだからです。
 たとえば、日本にいる日本語学習者は、日本人選手
ばかりを応援するテレビ中継をみたり、その日本語を
きいていたりします。しかし、テレビ中継のなかでは
その事実は わすれられることによって あのような
中継の ありかたが なりたつのです。「わすれられる」
ことの もとには、[言語=国家=民族=住民]という
ひとつひとつの概念が きちんと区別されずに混然と
なったままの幻想があります。そして、日本語教育の
現場は、どうしても そういう幻想との衝突を回避
できないのです。
 念のためにいうと、わたしは別にオリンピック中継を
糾弾するつもりはありません。ただ、マイノリティーの
存在をわすれたうえで なりたつ幻想が、理不尽な おもい
をしている ひとの存在を けす やくわりをはたすように
なってしまったら、それは問題だろうと おもいます。
 今回のオリンピックでも、1936年の「日本人」選手の
マラソンの金メダルの問題は おおくの場面で 高橋の
優勝へのコメントに まつわる言説に 問題をひきおこした
にも かかわらず、その問題性は終始、隠蔽されたままでした。それは、その言説をきかされる韓朝鮮人の 気もちをひどく さかなでするものであるにも かかわらず。
 この問題をsaitoさんの比喩に おきかえれば、つぎの
ようなことです。たとえば「六年一組にまつわる幻想」
など とるに たらないことだとも いえます。が、こども
たちが 自分かってな「クラスの秩序」を構築し、そこか
ら特定のメンバーを排除するような深刻な いじめを ひき
おこしているとしたら、それは無視できない問題だといわ
なければなりません。いじめというのは異質の排除です。それは、幻想の秩序、秩序の幻想と不可分のものでは ないでしょうか。

# of Responses: 1

  1. "Re: 「国家にまつわる幻想」のこと" from saito (00/10/04 01:50:42) #5357

VALUE="Re: 「国家にまつわる幻想」のこと"