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このページは (月刊日本語 presents)に きんちょが投稿した記事のログを投稿者本人が保存したものです。 このサイトには きんちょの投稿しか おいてありません。 以下のリンク、および、ログのなかにあるリンクは もとの掲示板に つながっていますので、おまちがいのないように ご注意ねがいます。 |
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| Article #: 6701 (Res to #6679) Entry Date: 01/01/19 23:12:33 | |
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きんちょ |
| | 演繹的な説明について |
| | takeshiさん、こんにちは。いそがしくて回答が
おそくなりました。 > 以前から思っていることなのですが、文法の議論を > するとき、演繹的な説明がほとんどない、… これは、この掲示板での議論されることが、実用的な ことに重点をおいていることが おおいからでしょう。 > しかし、日本語教育の歴史がまだ浅いとは言え、 > 過去の学者達が日本語文法を研究して解明したで > あろう文法の原理原則が既に存在すると思います。 「原理」とまで いえるものとなると、むずかしいのでは ないかと おもいます。また、体系にまでなっている 「原理」が、わたしたちの目的に かなうものかどうかと いう問題も あるでしょうし。 ただ、わたしは「原理」といえるもので なくても、 過去の研究を参照することは当然すべきことだと おもいます。 わたしの投稿で直接、引用文献をかいたものは おおくは ありませんが、なにかの研究を意識して かいたものは すくなくありません。ただ、わたしは ほかの かたの かんがえと 自分の かんがえを つきあわせて議論するような かきかたをすることが おおいので、そういうときには参考文献は かきません。 議論になってしまうと、結局は自分の責任で こたえる しか ないからです。支持できる かんがえかたを 自分なりの ことばで説明するように つとめます。 > そこで最近考えているのは、「と、ば、たら」に > 関する原理原則ってなんだろう、ということ > なんです。 機会があったら、議論したいと おもいます。 |
# of Responses: 1
| VALUE="Re: 演繹的な説明について" | |