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| Article #: 6930 (Res to #6922) Entry Date: 01/02/15 22:49:42 | |
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きんちょ |
| | Re: 「みえる」と「みられる」の違い 考察編 |
| | 「見られる」と「見える」について、よく意図性の有無が問題になります。しかし、実際に これらが あらわしているのは、なにかをみるときの条件の充足であって、現実の場面では、それらの条件が段階的に あらわれてくるのではないかと おもいます。そもそも対象物が存在しなかったり、見ることを許可されていなければ、「見られない」わけですから、まず、「見られる」という段階があって、そのあとで「見える」かどうか ということが問題になるのではないでしょうか。しかし、そういう段階をふむのは、何かを「見たい」と思って正当な手段で それを見にいくときであって、偶然に何かを見てしまったときや、あらかじめ何が「見える」か考えないで何かを見るときには、最初から「見える」しか登場しないわけですね。このようにかんがえてみると、「見られる」も「見える」も それ事態は意図性と関係ない客観的な状態をあらわしていて、前者が「見る」場面に到達するための外形的な条件、後者が実際の「見る」場面での技術的な条件が みたされていることをしめしているのではないかとおもいます。「見られる」の「意図性」というのは、まだ前者の条件がそろっていないのに後者の段階へいくことをのぞむときに、それが使用されるところから感じられる副次的な性質ではないでしょうか。 |
| VALUE="Re: Re: 「みえる」と「みられる」の違い 考察編" | |