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| Article #: 6944 (Res to #6939) Entry Date: 01/02/18 20:41:24 | |
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きんちょ |
| | スネカジリであるがゆえ可能な冒険? |
| | きんちょ です。本論のほうにも ひとこと。
| 「最悪」というのはちょうど両方の中間に位置する | ような語彙ではないでしょうか。 すでに のべたように(3-b)に ちかいというのが、わたしの かんがえですが、「中間」と いわれれば、そんなふうにも おもいます。(1)では近似値であることをいい、(3-b)では一般的に なりたつような例であることを否定することをいっているわけですが、この ふたつの意味づけは たがいに排他的である必要は ないので、「どちらでも ありうる」グループというのが あっても いいですね。 「およそ最悪」というときの「最悪」は、ある「限界」をあらわしているという点ではOyanagiさんの おっしゃるように「およそ」に対する(1)のような解釈ができる余地が生じるのでしょうが、わたしは それが「比較」→「異質化」という意味づけを されることで「およそ」に(3-b)のような解釈をもたらすのではないかと おもいます。(1)の発想は量的な比較から きていますが、(3-b)の発想は「最悪」→「ほかの大多数とは異質の事態」というように比較の意味が質的な差異に転化され、一般例から『排除』をうけることが『否定の意味概念』をよびおこしていると いえないでしょうか。 ここから さきは、たぶんに感覚的な いいかたで もうしわけありませんが、「最悪」に関して わたしは(1)か(3-b)か どちらかであるというよりは、(1)のような解釈も なりたつということが(3-b)に転用できることを保証しているような関係であるために、(1)のように つかうときの比較対象となるべきものを想定しにくい文脈では(3-b)も なにか不自然に感じられるのではないかと おもいます。その点、「最低」なら、(1)の可能性を完全に排除しても(3-b)だけで つかえるように おもうのですが。 |
| VALUE="Re: スネカジリであるがゆえ可能な冒険?" | |