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| Article #: 6947 (Res to #6935) Entry Date: 01/02/19 12:02:11 | |
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きんちょ |
| | 「三宅島の」事態をとりたてるときの母集合の問題? |
| | はなしが錯綜して、どこにレスをつけたらいいのかわからないので、みーさんの もとの投稿につけますが、ひょっとすると、
「三宅島の噴火がまだ続いているなんておよそ最悪だ」 というときの「三宅島の」という部分にも問題があるんじゃないかと おもいました。 「噴火がまだ続いているなんておよそ最悪だ」 としたら、どうでしょう。なんか、ありそうな気がするのですが。(議論しているうちに、わたしの正誤感覚は完全に破壊されてしまったので およそ/b>あてにならないのですが…) この「三宅島の」という語があることによって、どんな範囲のことを比較するなかで「最悪」なのかが、わかりにくくなっていると おもうのです。三宅島の状況をずっと観測していた人物が、予測される事態のなかで現状が「最悪」だと いうのであれば、ここで「三宅島の」は でてこないでしょう。それが すでに話題として もちあがっているからこそ、その話題となっている範囲のなかで「最悪」と判断できるわけですから。この「三宅島の」をとることで、「最悪の事態だ」と いいかえるときと おなじような効果(どんな ことがらのなかで「最悪」だといっているのか、意味が とりやすくなる)が うまれるような気がします。 で、もし、そういう意味でなくて、よのなかで おきている ありとあらゆる できごとをシミュレートしている ひとが、この「三宅島の」できごとを とりたてて「最悪」というのなら、こういう文も あるのかもしれませんが、そんなことをいう発話者の視点なんて/b>、およそ/b>神にも比すべき存在でないかぎりは もちえないものではないかと おもうのです。 |
# of Responses: 1
| VALUE="Re: 「三宅島の」事態をとりたてるときの母集合の問題?" | |