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| Article #: 7126 (Res to #7125) Entry Date: 01/03/25 18:09:49 | |
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きんちょ |
| | 気分と気持ち【番外】 |
| | あらためて「気持ち」と「気分」の ちがいを
まとめてみて、それらの類例にみられる対立の 共通点は なにかと ながめてみたんですが、 全般的に「気持ち」のほうが輪郭の はっきりした 具体的なモノやコトガラに むすびついている ように おもいます。あと、まえから気になって いることですが、幼児の言語獲得の過程では かならず「気持ち」が さきに習得されて、「気分」 というのは すこし おとなに ちかづいてから つかわれるようです。 そこで、かなり大胆な仮説なのですが、つぎの ような解釈は できないでしょうか。 「きもち」は 「意識」 「きぶん」は 「意識下」 「意識下」とか「無意識」とか いわれるモノが実在 するとか しないとかの議論は おいておいて、心理学 をもちだすまでもなく、わたしたちのココロは、本人 ですら じゅうぶんに とらえることができない部分を かかえていることは、だれしも みとめるところで しょう。「きもち」に対する「きぶん」というのは、 その ココロの おくの部分に対応しているのでは ないでしょうか。 あと、これとは別のことですが、どうして 「気持ち/気分が 悪い」という表現は、感覚や心理 よりも生理的な状態をさすことが おおいのでしょう か。韓国語との比較でも、これは ちょっと日本語の ふしぎな点としてうつります。 |
# of Responses: 1
| VALUE="Re: 気分と気持ち【番外】" | |