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| Article #: 8461 (Res to #8460) / Entry Date: 02/06/11 08:59:54 | |
| From: | きんちょ |
| Subject: | 自分の ことばを自覚することの むずかしさ |
| Message: | 「受身形と区別したい」などと おもいながら はなしをする ひとは、まず いませんよね。
みーさんも、そんなことを意識して はなしたわけではないでしょう。(もし、意識していたら「なぜか」などと自分のことを不思議には おもわないですよね。) 無意識に したことだとすれば、その「無意識」の理由を「受身形と区別するため」などという 「意識」の ことばで解釈するのは、かりに いくらか あたっている点が あるのだとしても、みえないものをみるための方便のようなもの以上では ありえないですよね。 かりに そういう「解釈」が なりたつとすると、なぜ わたしたちは意識せずに「受身形と可能形の かたちが かわるような選択をしながら はなすこと」が できるのか、という あらたな疑問が わいてきます。 そうではなくて、何回も「みれる」というのをきいているうちに、みーさんも「みれる」を学習した、というふうに かんがえたほうが いいのではありませんか。東京うまれの ひとでも 大阪にいけば 大阪ことばを学習して ふとしたときに でてくることが あるように。 自分の ことばの習得課程は自分からも意識されない部分が おおきいですよね。だから わたしは、日本語教師が「わたしは そういう いいかたは しません」などと いうことを額面どおりには信じないことに しています。そのときの日本語教師が いっている「わたしの ことば」は、その ひとの意識が再構成した自分の ことばなのであって、ほんとうの その ひとの ことばには本人の意識に とらえていない部分が たくさんあるはずだからです。 |
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