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| Article #: 8590 (Res to #8589) / Entry Date: 02/09/01 18:53:11 | |
| From: | きんちょ |
| Subject: | こんな見解も |
| Message: | こんな見解もあります。
『教師用日本語教育ハンドブック4 文法2 助動詞を中心にして 改訂版』 (国際交流基金 日本語国際センター)凡人社 より p.72 ---------------------------------- 「山田君を助ける」ということを可能表現の形式にする場合、「山田君が助けられる」とすると、「助ける」行為を行う主体とまぎれたり、受け身の表現に誤解されたりすることがあるので、そのような際には「山田君を助けられる」と「ヲ」が用いられるのが普通である。また、「少数民族が自己の存在を主張するのは…」を可能表現にした場合にも、「少数民族が自己の存在を主張できるのは…」とするのが自然で、「少数民族が自己の存在が主張できるのは…」とすると、どこか不自然さがつきまとう。最近は一段とその傾向が強まってきている。 ---------------------------------- ---------------------------------- 現実の発話では「ヲ」であることも珍しくない。 ……………… 新聞記事の中からでも、拾い出したらきりがないほど例を集めることができる。 ---------------------------------- これは、1993年の著作です。 この本では それでも「が」のほうを「規範的」だと しているのですが、同時に「規範と現実は一致しない」ということも いっているわけです。10年まえから「を」が ふえる傾向にあるということですが、わたしは その傾向は とまっていないと おもいます。 うえの記述で「を」が えらばれる場合としているのは構文的な あいまいさが生じる例ですが、わたしは それ以外に、 1.可能形が より意志的に つかわれるとき 2.対象語と動詞の むすびつきが より つよいとき に「を」が えらばれると かんがえます。 1.の例としては、 30分で100個、ギョーザをたべられたら無料です。 2.の例としては、 自分の体は自分で気をつけられるといいですね。 などが かんがえられますが、いかがでしょうか。 |
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