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Article #: 8998 (Res to #8997) / Entry Date: 03/04/17 08:47:50
From: きんちょ
Subject: Re: 「正しい標準語」
Message:  てっちゃんさんは,いま「正しい標準語」をはなしている ひとが この世に どのくらい いると かんがえていますか。

 日本語教師が「まちがった」日本語しか はなせなくても よいなどとは どなたも いえないでしょうから,「正しい標準語」が必須かと きかれたら,「いいえ」と こたえることは むずかしいですよね。質問のなかに すでに結論が ふくまれているような気がします。

 しかし,「標準語」というのは理念的なモデルであって それに ちかい はなしてであるか そこから とおい はなしてであるかの ちがいは あるにしても,「標準語」といえるものだけをはなしている人間は実際には いないと かんがえてみたら どうでしょうか。わたしには この かんがえかたのほうが現実に則していると おもえます。

日本語教師として,どんな ことばづかいが標準的だと されているかということをしっておくことは重要です。
また,必要なときには自分の ことばを その「標準」に ちかづけるようにコントロールする能力が必要だと おもいます。

しかし,その能力は「ただしい日本語」をはなしているかどうかということ以上に,「教科書で あつかわれた既習の項目の かたちにそって はなす」能力の一部として必要なのではないかと おもいます。

たとえば,「しなければいけません」を中心に だしている教科書と「しなければなりません」を中心に だしている教科書が ありますが,初級のうちは 自分たちが おしえたほうの いいかたをする必要が でてくると おもいます。そういうことができる能力のなかに,「標準語をはなす能力」というのも ふくまれるのではないかという気が します。

(現実の日本語は諸方言の集合体で,共通語とされているものも その集合体の中核部分に すぎないのですから,実践的な会話をインプットするときには 当然,方言的な要素や はばが でてくるのは自然なことだと おもいます。問題は,文法文型シラバスで かたちを重視して おしえているときに その かたちから逸脱したものを まぜてしまうことでしょう。)

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