(1998年3月6日から)
1ネンいじょーも このランを コーシンするのを おこたってしまった。
きょー これを かこーと おもったのわ 「フソーシャ」と ゆー フジ・サンケー・グループの カイシャが ハッコーする キョーカショが ケンテーを とーりそーだと ゆーことで、 よのなかが さわがしく なっているからである。
まず、キョーカショ モンダイについて、どーしても レキシのジジツと ゆーことを ぬきに ギロンわ できないから、1ネンまえに わたしが かいた 「おベンキョー」を ここで くりかえさせて いただく。
いよいよ3月。 さて、それでは、お勉強。 みなさん、どれだけ しっていますか? 「ああ、ああ、しってるよ。 しってるつもりで、 さあ、確認してみましょう。 1919年の3・1運動は、 それが、中国の5・4運動へと 高宗は朝鮮王朝の 高宗を脅迫して保護条約をせまり、 伊藤博文は1909年に暗殺されますが、 高宗は毒殺されたという説が あります。 それはともかく、 そんなことをしても平気だったのは、 日清戦争は朝鮮で たたかわれました。 朝鮮王朝は、日清戦争の直前、 このとき、朝鮮政府と農民軍は 日本の かかげた大義名分は、 実際、朝鮮から清国を駆逐した日本は、 日本は、 これを、 1894年のクーデターと 最近になって このことを、 朝鮮にとって日本は、 じゃまものは けされ、王宮の抵抗が そして、きょうは その
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さらに1ネンが たち、81年後わ82年後とテーセーしなければ ならないが、このことわ なんどでも くりかえし ゆーヒツヨーが あるだろー。
わたしわ、まず、この モンダイについて、ザッシにでもトーコーしよーと おもい、ブンショーを かいた。そーしたら、あまりに ありきたりのことしか かけなかった。
期待をうらぎった日本
97年末の選挙で韓国の大統領に なったキム・デチュンさんは、日 本について選挙時から「戦後の日 本は おおきく かわった。それを 韓国の国民にもしらせたい」と いっていました。 はたして98年の新政権発足後、 韓国の政府は、日本が一方的に破 棄した漁業協定を政治問題化せず に解決し、日本大衆文化の開放を すすめました。 しかし、このキム大統領のおも いは、日本によってうらぎられて しまったようです。 3年まえの新聞をよむと、いあ んふ問題について「新政権は、歴 史の真実はあきらかにし人権問題 として日本政府が被害者に対し直 接対策をとるのが当然ではないか という立場だ。韓国政府が要求す るというより、日本政府がみずか らすべきだ」と韓国政府高官がか たっています。 日本政府は、この談話をつごう よく解釈したのでしょう。日本の 良心にうったえるという部分には しらんぷりをして、韓国政府がこ の問題でこれ以上要求をしてくる ことはないだろうと「安心」した にちがいありません。 日本国民も同罪でした。そのこ ろから地方議会で教科書からの「 いあんふ」の記述削除の請願が組 織的にされ、3年後のいま、その うごきの延長として、韓国併合を 正当化する内容の中学歴史教科書 が検定申請され「採択か」と報道 されるというところまで きてし まいました。 2月18日、韓国政府は「韓国 側が動けば日本の右翼勢力の立場 を強化すると判断し、穏便な解決 方法を模索してきたが、今後は積 極的に問題を提起し、対日外交の 主要懸案にすえる」と発言しまし た。翌日、韓国紙はいっせいにこ の問題をとりあげました。そこで の論調は「日本に対する太陽政策 はあやまっていた」というもので した。はずかしいかぎりです。
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さて、はなしわ 1かゲツほど まえの ことに さかのぼる。
わたしわ テレビで コッカイチューケーを なんとわなしに ながめていた。 かん・なおと とゆー せーじかが ダイヒョー・シツモンと ゆーのを やっていた。そこで、かん・なおと わ まちむら と ゆー モンブ・カガク・ダイジンに シツモンしたのだけれども、なんとも ハクリョクが なかった。かん・なおと わ、まちむら とわ 「テツガクが ちがうよーだ」 などと いいながら、「いまの モンブ・ギョーセーの めざしているキョーイクが、どうも コクミンを ひとつの カチカンに トーゴーしよーと しているのではないか」、などと せまった。しかし、その ものいーわ この コトバそのものの チューショー・ロンで、あまりにカンカクテキだったから、はじめから そー おもって きーている ひとでなければ、およそセットクリョクが なさそーに きこえた。
まちむらの こたえわ コーミョーだった。まず、かん・なおと の いっていることに キョーメーしている ふりをしておいて、つぎの よーに いったのだった。「センゴの ニホンの キョーイクでわ ビョードーと ゆーことが キョーチョーされすぎて ウンドーカイの トキョーソーでも ゴールの まえで たちどまって てをつないで いっしょにゴールに はいるよーな ことが されている。 これわ まったく こどもたちに サをつけることを みとめない かんがえかたで、コセーをムシしている。 このよーな あしきビョードー・シュギわ やめさせなければならない」。
これにタイして、かん・なおと わ なんのハンロンもせずに、つぎのシツモンえと うつってしまった。よーするに、かん・なおと わ、まちむらの センゴ・キョーイクに タイするコーゲキに てをかしたのである。
まちむらが いっていることわ、まったくのスリカエだ。まちむらわ、コセーをソンチョーすると ゆーことを、こどもたちをキョーソーに かりたてると ゆーことに おきかえている。まちむらわ センゴ・キョーイクわ キカイのビョードーでわなくて ケッカのビョードーを おいかけたことが まちがいだったと はっきりと いったのである。これわ、ジジツの ニンシキからして まちがっている。わたしわ トキョーソーで いっしょに ゴールさせるよーな ことに たいした イミが あるとわ おもえないし、そんな ことを はじめから ケーカクして やらせると したら とても バカげて みえるだろーと ゆーことわ かんがえが おなじだけれども、そんなのが すべての ショーガッコーで おこなわれている わけでわないし、そういうことに しても、それぞれの ゲンバで どのよーな リユーで そーすることに なったのかを みないで、イチリツに いーとか わるいとか ゆーのわ おかしー。 もし、あしの はやい こどもが、 からだが よわくて ゴールまで はしることさえ あやうい こどもと とても なかの よい ともだちで、その ともだちの ことが しんぱいで ゴールの まえで ちゃんと はしって こられるか みまもって いたのだと したら、だれが その あしの はやい こどもを せめられるだろー。 こーゆー ことわ あらかじめ キョーシが きめたら おかしな ことに なるだろーけれども、 ジジョーも しらない ニンゲンが なにが おこっているのかも しらずに ゲンショーだけを みて きめつける よーな ことでわ ないのだ。
そんな ことより、たとえ、ウンドーカイで どんなに 「あしきビョードー・シュギ」をジッコーしたところで、ちょっと シャカイに でたら、だれもが みとめる 「レーコクな フビョードー」が シャカイを おーっていることくらい、だれでも しっている。 この よに ジュケン・センソーと ゆーものが あって、シャカイでわ ガクレキに よって サが つけられると ゆーことわ、みんなが みにしみて かんじている ことでわないか。 「ケッカにおけるビョードー」など、ニッキョーソが どんなに がんばったところで、ガッコーの そとで なにひとつ ジツゲンできなかったことわ メーハクだ。 そんな シャカイの しくみわ わかっていても、 その シャカイでわ みんなが いっしょに いきて いかなくてわ ならない と ゆー ことを おしえるのが すくなくとも センゴ・キョーイクの リネンである。 たとえ ケッカに サが ついたとしても、おたがいを みとめあうと ゆー ことわ それに さきだって いなければ いけない カチである。 さまざまな リユーで いっしょに ガッコーに きて ベンキョーする ことが できない こどもたちが いるときに、 その よーな ジョーキョーを つくりだしている ゲンインを ひとつひとつ とりのぞいたり、 かわりの ホーホーを かんがえて いったり するのわ むしろ 「キカイの ビョードー」に ゾクする ことがらだ。 そして それわ ホンライ、まちむらが とりくまなければならない モンダイでも ある。 それなのに、 まちむらわ、ことさら 「フトーコーの リユーにわ その こどもが なまけものだからだと ゆー ばあいも ある」などと いう。 いろいろと リクツをつけてわ いるが、ケッキョクの ところわ、キョーソーを させて、そのキョーソーに ついてくる ヤツだけわ その キョーソーの ケッカに おーじて うけいれるけれども、キョーソーすること じたいに たえられない ニンゲンわ 「なまけもの」なのだから、かまわなくても いー、と ゆーのが、まちむらの かんがえの おーもとに ある。 そーでなければ、 フトーコーの はなしを している ときに、 かるがるしく「なまけ」などと ゆー ことばわ つかえない はずでわないか。 「なまけ」いがいの リユーが あることも みとめているなどと いくら いったところで、それら 「なまけ いがいの リユー」に タイして ジブンの セキニンを きちんと はたしていない かぎり、 これわ ジブンたちの してきたことの ケッカを ひとの せーにする ギロンでしか ないだろー。
かん・なおと が このよーなスリカエに なんのハンロンも できなかったのわ、この ヤトーのセージカも また、まちむらと 「ちがうテツガク」を もってわ いないからなのだろーか。なんとも なさけない はなしである。
キョーイクに おける「ビョードー・シュギ」と ゆーのわ、なにもケーシキ・テキなキカイのビョードーの ことだけを ゆーのでわ ない。かといって、まちむらが ゆがんで リカイすることしか しない、いびつで コッケーな「ケッカのビョードー」のことを いっているのでも ないことわ、あまりに キホンテキな ことだ。ニンゲンがニンゲンとして、「ビョードーなカチ」を もっているとゆー、ジンカクにタイする おたがいのソンケーのことを いっているのだ。トキョーソーで いっしょにゴールインすることなどでわない。しかし、トキョーソーで いちばんに なった こどもだけが えらいと ゆーのでも ない。なんばんで あろーと がんばった こどもわ みんな リッパだと ゆー ことでわないか。そんなことわ だれだって、しっている。
しかし、まちむらわ そのことを あえて ゆがめて カイシャクして、「センゴ・キョーイク」なるものが まちがっているよーに えがくことで セージ・テキな モクテキを タッしよーと しているのである。
このよーに ひとりひとりの コセーをキョーソー・ゲンリに おきかえてしまうマチムラたちの かんがえているキョーイク・カイカクと ゆーのが、まったく よろこばしー ものでわ ないことわ はっきりしている。キョーソーさせてサをつけることが コセーであり、キョーイクならば、キョーソーに よって かちまけをきめるルールわ ただしーもので なければ ならない。そーでなければ、よーするに 「つよいものわ かつ。かったものわ ただしー。なぜなら、つよいからだ」と いっているのに すぎない。しかし、かりに そのよーな「ただしー」ルールが あるものだとして、この わたしたちの よのなかが、そのよーな「ただしー」ルールの もとに うごいていると だれが かんがえるであろー。 まちむら たち ごく イチブの かねもちカイキューわ そんなふーに おもいたいのに ちがいないだろーが。かん・なおと わ、そこをつかなければ ならなかったはずだ。しかし、それをしなかったのである。
コンカイの キョーカショ・モンダイにカンレンして ケンテー・セードのことが ギロンされているよーである。カンコクやチューゴク・タイワンなど、ちかくの くにからのケネンわ、キョーカショのケンテー・セードをよくリカイしていないところから きているのでわないかとゆー ことである。しかし、よくリカイしていないのわ、そーゆーことをいっている ひとたちの ほーでわないか。いままで、モンブショーわ ずっとキョーカショをケンテーしてきたのである。いまでわ トーゼン、キョーカショに のるよーになったことを、ケンテーで のせなかったことも たびたび ある。そこにわ ニホンのセーフの イシ、ガイコクから みれば、コッカとしてのイシが まちがいなく はたらいていたのである。そして、コンカイも ケンテーをゴーカクさせるにせよ、させないにせよ、そのことをトーして ケンリョクをコーシしているジジツはヒテーできない。シューヘンの くにぐにわ、ニホンのキョーイクの やりかたに チョクセツ カンショーしているのでわない。すくなくともケーシキテキにわ、ニホンのコッカ・ケンリョクの コーシの しかたが、いままで シューヘンの くにぐにえ セーフのダイヒョーが セツメーしてきた ニホンの くにと してのタイドと ハンタイをむいていることが モンダイなのだ。ニホン・セーフの いいのがれわ、ケンテー・セードをカンゼンに なくしてから いうのでなければ、とーらないであろう。
そこで、ふたたび、コッカイでの マチムラのハツゲンを かんがえなおして みよー。マチムラわ、ウンドーカイのトキョーソーで、ゼンインが いっしょにゴールするよーな 「あしきビョードー・シュギ」をヒハンしたのであった。しかし、このよーな 「あしきビョードー・シュギ」を つくりだしたのわ ニッキョーソなどでわなく、まずもって、モンブショーである。そして、キョーカショ・ケンテー・セードわ、この 「あしきビョードー・シュギ」にこそ、そのキバンを もっていたのだし、いえながキョーカショ・ソショーを みるまでもなく、モンブショーわ、みずからのソンザイ・イギを「キョーイクのヘージュンカ」とゆー おダイモクで セートーカし、そーしながら、ジツはキョーイクのナイヨーにカンショーしつづけてきた。
それでわ、まちむらが 「あしきビョードー・シュギ」をヒハンしたと ゆーことわ、ガッコーでのキョーカショのサイタクをカク・ガッコーのジシュセーに まかせ、ジユーでコセーテキなキョーイクをゆるすことをイミしているのであろーか。それわ まったく ちがう。まちむらが 「あしきビョードー・シュギ」の かわりに だしているカチカンわ、「つよいものが かつ」と ゆーことにしか すぎないからだ。フソーシャとゆー いちシュッパンシャが ハッコーしよーとしているキョーカショわ、いままでだったら まともなガクシャなら だれも みむきも しないよーな ことを いいつづけてきた ひとたちが ひとりよがりのことをかいているだけの しろものである。そんな しろものが キョーカショとしてツーヨーしかねないのわ、かれらの ウンドーにわ おおくのシキンが つかわれ、あらゆるシュダンでセンデンが されているからである。このキョーカショを「つくる かい」を なのる ダンタイわ、ほかの ガクシャたちが さかだちをしても できないよーな ホーホーで、ジブンたちのセンデンをおこなってきた。ハンロンなど とりあげずに、ジジツにハンするイッポーテキなキジで ヒハンシャをたたく イチブのマスコミによってケーゾクテキに センデンをする バが あたえられてきたのである。
まちむらわ、このよーなキョーカショが つくれそーに なるのを まっていたのだろー。いままで やろーと おもってきたことが できるよーに なって、いままで ケンエツのために つかってきたケンテーを こんどは いいわけのための タテに つかうことを おもいついたのだ。ガイコクとの カンケーで くにが チョクセツ ケンテーで キョーカショを おもいどーりに トーセーできなくなってくると、こんどわ ミンカンに つくらせて、 それを とーそーと する。 かつてなら このよーな キョーカショが でても、 ゲンバで サイタクされることわ なく、 カイシャも サイサンが とれなかっただろー。 その シンパイを なくすための まえジュンビが ひのまる・きみがよの キョーセーだった。じぶんたちが かてそーな しくみを さきに つくっておいてから あたらしそーな リネンを もちだしてきて カイカクを よそおー まちむらの ホンショーが そこに あらわれている。 いったい、ひのまる・きみがよで ガッコーのゲンバにトーセーをかけ、タイリョーのキョーシをショブンしているなかで、どーしてキョーシが コセー・テキなジュギョーが できるであろーか。どーして、さまざまなカチカンをソンチョーしあうキョーイクが できるであろーか。
まちむらが めざしているのわ、ジユー・キョーソーとゆー なの もとで、ありと あらゆる インチキなシュダンで、カネとケンリョクを もっている がわに ツゴーの いー がわを かたせよーとするシステムである。そこで かちまけをつくり、まけた ほーわ ソンチョーされなくても かまわないと ゆー ゲンリをキョーイクの ばに もちこもーと することである。ケンリョクに ちかい ものほど ただしーと おしえこむことによって、かれわ ジユーの なのもとで ひとつの シソーだけをただしーと おもわせよーと している。かれが みとめている ひとりひとりの コセーとわ、かつ ものと まける ものが いると ゆーよーな ことでしか ないのだから。
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そのうち ここに かこーと おもっていながら、わすれてしまい、いつのまにか 2000ネンを むかえることに なってしまった ワダイが あります。 それわ、おふろやさんの はなしです。
カンコクの おふろやさんの はなしわ 「生活情報」の コーナーなんかでも かいたけれども ホントーに いろんな ひとが でいりしています。 そして、よく みかけるのが、 いれずみを した おにいさんや おじさん。 いれずみと いっても、 やくざエーガに でてくるのとわ ちがって ちゃちな らくがきテードの ものですが。
で、ちょっと おもったんです。ほら、ニホンの セントーって、いれずみキンシじゃないですか。 このひとたち、ニホンの セントーだったら どういう あつかいに なるのかなあって。
わたしわ ボーリョクダンわ きらいだし、 そーゆー ひとたちが イッパン・シミンの セーカツに はいりこんできて みんなを こわがらせるよーな ことが あったら、 これわ ゆるしちゃならないと おもいます。 でも、まえまえから すこし ヘンだと おもってたんですよね。 いれずみと ボーリョクダンわ イコールじゃないでしょう。 いれずみだからって、 ボーリョクダンとわ かぎらないし、 いれずみだから こわいって (ことも あるかもしれないけど いつでも そういう)わけじゃない。 いれずみが いけないのわ それが ボーリョクダンだからなんだとしたら、 どーして セントーにわ 「ボーリョクダンおことわり」と かかないのだろうか? いや、 そう かいているところも あるんだろうけど、 わたしが みるのわ アットーテキに 「いれずみの かたわ おことわりします」なのです。 みるからに ボーリョクダンの いれずみの ひとが きて、 「おれわ ボーリョクダンじゃない」と シュチョーしたら こまるから そうなのか? しかし、それわ おかしな リユーだと おもう。 そしたら、いれずみじゃない ボーリョクダンわ はいっても いいことになる。 そもそも リョーリやなんかでわ 「いれずみ」なんて いわないで、タンジュン・メーカイに 「ボーリョクダンおことわり」と かいてあるじゃありませんか。 そりゃ、たしかに リョーリやで はだかにわ ならないからだけど、 はだかに ならない リョーリやで それが できるのなら、ふろやだって、それで いけない リユーわ ないだろうと おもーのです。
わたしわ おもーのです。 「ボーリョクダン」と かかないで 「いれずみ」と かくことで、 「ボーリョクダン」でわない いれずみの ひとが おいだされることに ムカンシンで いいのかと。 だいたい、 ボーリョクダンだとしても、 それだけで おふろやから おいだす セートーな リユーに なるのだろうかと。 もっと グタイテキに だれもが こまるよーな ふるまいが あってこその 「おことわり」じゃなきゃ いけないんじゃないかと おもうのです。 たしかに あるシュの いれずみや かみがた、 フーボーなどわ それだけで イッパン・ジンを イアツする キゴーとして はたらいているのが シャカイの ゲンジツです。 その「ゲンジツ」を キャッカン・テキに ことばで あらわそーと すると、 なかなか むずかしいと いうのも ジジツでしょう。 でも、 だからといって、 「いれずみおことわり」だけでわ あまりに ザツでわないかとも おもいます。
キョクタンな レーだと おもわれるかもしれないけれども、 ホンニンの イシに ハンして こころならずも いれずみを ほられてしまった ひとだって いることでしょう。 やくざの せかいから あしを あらって でなおそうと している ひとも いる。 ムロン、 いまでわ そーゆー ひとたちの ために いれずみを けすことも できるのだそーですが、 わたしが いーたいのわ、 いれずみだから すぐ 「わるい ヤツだ」と ゆーのわ タンラク・テキじゃないか、と ゆーことです。
カンコクの おふろやさんでわ ときにわ ケッコー リッパな いれずみの かたも みることが ありますが、 こわいと おもーよーな ことわ いままで ありませんでした。 いれずみだろーと そうでなかろーと わるい やつわ わるいし、 フツーにしてれば なんの モンダイも おこらない ひとも たくさん いるはずだ。 それだけのことです。
こんなことを かんがえて そのうち かこーと おもっているうちに、 つぎのよーな ニュースを しるところと なりました。
それは、 2000ネン2ガツ26ニチ・ゲンザイ、 東京エイリアンアイズという ダンタイのホームページに のっている キジなのですが、 トーキョーの なかのクで おふろやさんが、 「ガイコクジンだ」と ゆー リユーだけで カンコクジン・リューガクセーが ふろに はいるのを ことわったと ゆー できごとです。
これを みて わかることわ、 この おふろやさんでわ あるとき ある ガイコクジンの キャクが ながゆを して トラブルと なったと ゆーことで、 それイゴ、 ガイコクジンの キャクを ことわる ホーシンに したと ゆーことです。 ながゆジタイが せめられるべき コードーでわ ないこと、 かりに その ながゆをした ガイコクジンに なんらかの モンダイが あったとしても、 それが その コジンの モンダイであり、 ほかの ガイコクジンとわ なんの かかわりも ないこと などを その おふろやの タントーシャわ みとめているよーである。 しかし、 「やっかいな ことに なると こまるんだ」と いって、 その みせわ ガイコクジンを しめだすことに したよーです。(注)
このことが いかに おかしーかわ、 ひとことで いって、 「ニホンジンの キャクが トラブルを おこしたら、 ニホンジンの ニューテンを ことわるのか」と といかえすだけでも ジューブンわかりますが、 おかしーと おもいつつも ヘーキで そんなことが できてしまう いまの ニホンが より シンコクな モンダイを かかえているのに ちがいないよーに おもえてなりません。
この できごとが トーキョーの ジュータクガイで おこったことに わたしわ びっくりしました。 なかのクと ゆー ところわ、 ベツに サイキンになって キューに ガイコクジンが ふえた ところでわ ありません。 これまで それで ちゃんと うけいれて やってきたはずの ところで、 どうして キューに こうしたことが おきるのでしょうか。
ここまで かいてきて、 わたしは、アレフと なまえを かえたとゆー オウム・シンリ・キョーの ひとたちが ジューミンヒョーすら うけつけて もらえず、 なにかの ショートツを おこすイゼンの ダンカイから、 そこに いると いうことだけで ちかくの ジューミンから おいだされると ゆー はなしに ふれないわけに いきません。 サイキン きいた はなしでわ、 あるカンブの こどもが ガッコーに かよう ことまで ことわるのだとか。それでわ、 だれが その こどもの ショーライに セキニンを もてるのでしょうか。 わたしたちわ いったい、 いつから ジブンたちが よってたっている ルールとか しくみとかを かなぐりすてて、ただただ やみくもに わるものを よってたかって こらしめるよーな ヤバンな ホーシキへと あともどりしはじめたのでしょうか。 ジブンたちが ジブンたちの ルールを ソンチョーしないで、 イッポー・テキに イタンと みなされる ひとたちに ルールを まもれと ヨーキューすることわ ジブンたちの シャカイが なりたっている キバンを ほりくずすことだと いうことに どーして キが つかないのでしょう。
そう。 なにか、ジブンたちと ちがうからといって、 ちがう ものを みんな おなじだと おもって、 くくってしまって、 まとめて おいだすよーな やりかたわ やめなければいけません。
わたしわ いま カンコクで くらしています。 わたしわ いままで、 いちども ガイコクジンだと ゆー リユーで おふろやに はいるのを ことわられたことが ありません。 カンコクで カンコクの ひとたちに フユカイな おもいを させる ニホンジンわ ジッサイの ところ つねに いるし、 また、 ニホンから わざわざ そんな ゲンドーで むかしの フユカイな ことに タイして シンケーを さかなでするよーな ことを いって、 さわぎを おこす セージカも あとを たちません。でも、 わたしが カンコクで フツーに くらして フツーに おふろにも いっているのに、 あるひ トツゼン、 「きょーから ガイコクジンわ おことわりです」などと いわれたら、 きっと はらがたつのを とーりこして、 あばれだすかもしれません。 そして、 あばれだした わたしをみて、 「やはりニホンジンわ キョーボーだ」などと ゆー うわさが つくられていく・・・。 さいわいなことに、 いまの カンコクに そういう フアンを カンじることわ ありません。 しかし、 いまの ニホンにわ それと おなじことが じわじわと ひろがっているよーです。 こーゆー うごきわ いったん ひろがると、 かならず ハンパツを よびおこし、 セカイジューで ガイコクジンを フシンな めで みる キブンが たかまっていく カノーセーが あります。 ニホンに いて これを よんでいる ニホンジンの かたも、 たちばを ちょっと かえれば、 どんなことになるか わかるでしょうに。
コクサイカなどと いいます。 しかし、いま ニホンの おふろやさんから コクサイカの キキが はじまっているのだと いうことを わたしわ ここで いいたいのです。 それわ そとから やってくる キキでわ ありません。 つぎの 100ネンが ヘーワに すごせるかどーかに かかわる うちからの キキなのです。
(注) そのゴ、モンダイの
おふろやさんとわ はなしあいが もたれたようです。その
はなしあいの キロクも、
おなじWEBサイトに のっています。
それによると、 おふろやさんわ、「ガイコクジン・サベツわ
していない」と
シュチョーし、 ガイコクジンということだけで ことわったのでわないと
いって
いるよーに うけとれますが、 ガイコクゴで かかれた パンフレットまで
みせて
ニューテンを ことわった ケーイからみて その いいぶんわ
かなり ムリが あると
いわざるをえません。
モンダイわ
やはり、 いっていることが ただしいか どうかの ジゲンでわ なくて、
もはや
どう みても すじが とおっていないことを いいながら それでも
おふろやさんが ジブンわ
ただしいと おもえる、 その こころの ささえに なって
いる ものが
なんなのか、と いうことの よーな キがします。
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あるメーリングリストで、amlという 別のメーリングリストにのった つぎのような 記事が転載されているのを みました。
>6月26日の日本民主法律家協会の「日の君」反対集会で憲法学者の三輪隆さん
>が、「ドイツではハーケンクロイツを公然と掲げることは犯罪である。日の丸を
>公の場に持ち出すことは、これと同じ種類の行為である。職場にヌード写真をべ
>たべた貼るのを環境型セクシュアル・ハラスメントというが、似たようなもので
>はないか」という趣旨の発言をしていました。
>
>この発言に触発されて、私は<環境型レイシャル・ハラスメント>という表現を
>提案したいと思います。日の丸・君が代は<日本国民分裂の象徴>であるという
>のは、かねてからの私の主張なのですが、加えて<レイシャル・ハラスメント>
>としたいのです。
おもしろい視点だなと おもうので、これに コメントしようと おもいます。
「ひのまる・きみがよ」が ときに、ある ひとびとに 対して はげしい 嫌悪をよびおこすことは、どのような たちばに たつにしても、きちんと 考慮すべきことだと おもいます。 「嫌悪を よびおこす」と かくと、そのひとが かってに おこっているように おもうひとが いるかもしれませんが、 嫌悪をいだくひとは けっして 加害者なのではなくて、いやな おもいをさせられる 被害者なのだということを はっきりと させる必要があると おもいます。 「セクシャル・ハラスメント」という ことばが つかわれる ようになったことの 最大の意味も、抗議をしているひとが 「いやがらせ」をしているのではなくて、「いやがらせ」を うけているからこそ 抗議しているのだということ、そして、 おもてにでた 抗議のうらには、抗議したくてもできない ひとたちが いるのだということを 端的にしめしたこと だと おもうのです。だから、「抗議」は 偏狭な意味での 「政治的アクション」と とらえるべきではなく、その抗議を したかたの くるしみを どのように ときほぐすかという 問題設定のうえで 議論していかなければならないと わたしは おもっています。
そうはいっても、よのなかでは なにが「セクハラ」に 該当するかと いうことばかりが 議論されるように なりました。そして、それが さかんに議論されなければ ならないくらい、いざ、「セクハラ」を 客観的に定義しようと おもうと、どうにも あいまいな部分が でてきてしまうと いうのも、だれしも 感じていることなのではないでしょうか。 それは、そとからみると おなじようにみえる行為でも、 それが おこなわれる状況や経緯、アイテのうけとりかたや その行為者の意図などによって 判断をかえなければ ならないからです。
わたしは、その意味でも、「きみがよ・ひのまる」の ひきおこす嫌悪を「セクシャル・ハラスメント」に たとえる ことは 理解をたすける部分があると おもいます。 それが、どのような状況で、どのような ひとに対して、 「いやがらせ」になるかは、あらかじめ 定義できないもの だからです。しかし、だからといって、「いやがらせ」の やりほうだいでいいとは いえないということにも、わたしは 同意できるのです。
韓国で 最初に もと「慰安婦」として なのりでた 故 金 學順さんは、裁判で日本にきたときに、日航機の ツルの マークをみて、ひのまるをおもいだし、旅館の たたみを みては、慰安所を おもいだし、ひどく くるしまれたそうです。 わたしは、この 事実を ふかく うけとめなければならないと おもうけど、もちろん、ツルのマークや、たたみの へやを なくせと 主張するものではないし、それらの存在が いつでも 「レイシャル・ハラスメント」に なるものだとは おもいません。 しかし、このケースでは、これらのものさえ 「ハラスメント」に なりえたのだということは、同時に しっかりと かんがえる べきだと おもうのです。
ヌード写真の是非と、それを 公共の空間に はりだすことの 是非がちがうように、「ひのまる・きみがよ」そのもの是非と、 それを 国旗・国歌として法制化し、にげようのない空間で 実質的に強制することの 是非は ちがう問題です。ちなみに わたしは、「ひのまる・きみがよ」自体についても いい感情を もっていませんが、かりに それを おいておくとしても、いまでも 問題をひきおこしている これらのものが、法制化にともなって より あたりまえに つかわれるようになることで、わたしたちが それが「ハラスメント」になりうることに より鈍感になってしまう という 危険があることに もっと注意をするべきだと おもいます。
この「環境型レイシャル・ハラスメント」という 提起をみるまで、 わたしは、すこし別のケースを かんがえていました。教育現場で、 学校の方針に 対立しながらも 普通学級に かよいつづけた 障害のある こどもが 卒業式から しめだされたという 事件を おもいだしたのです。 世羅高校の事例をみていても つたわってくるのですが、 「ひのまる・きみがよ」を 強制するひとたちは、単に、それを 式のなかで おこなうだけでなく、斉唱することを もとめています。 しかも、この歌詞の意味も、いまの天皇の時代を賛美する ものだということに なってしまいました。これは、もう、疑問を感じる ひとには、「めだたないように 拒否する」とか 「『君』は『天皇』では ない」と 自分を納得させながらうたうとかの にげみちのない 強制なのです。ですから、圧力のなかで おおくのひとが それに したがったとしても、どうしても したがえない ひとも でてくるでしょう。そのときに、教育委員会の 評価ばかりを 気にする学校だったら、式を粛々と おこなうために、反対しそうな 生徒を 式から しめだすようなことが でてきそうな 気がして なりません。
こういう方向に いかないように するためには、もちろん、 法制化に反対するということも 必要だけれども、もっと根本的には、 「ひのまる」に 礼をできなかったり、「きみがよ」を うたえなかったり するひとが いるのは、そのひとたちが 特別な思想的タチバを とおそうとするための「政治的アクション」を しようとしているからでは なくて、その ひとたちの むねの くるしみによっているのだと 認識すること、そして、これらを強制している がわのほうが、 「ハラスメント」を おこなっているのだという 単純な道理を 理解する やさしさが わたしたち全体に 必要なのでしょう。
わたし自身の なかには、「ひのまる・きみがよ」が 戦争の 記憶などのような はげしい嫌悪を ひきおこす要素は ありません。 だから、それが ひっそりと つかわれている分には あまり 気になると いったところも ないのが 正直なところです。 ただ、わたしは、「はた」にしろ、「うた」にしろ、もともと 人間の ためにあるはずなのに、「はた」や「うた」に むかって、人間が へいこらさせられることに とても 嫌悪感を 感じています。 そして、こういう嫌悪感をけして、へいこらするのに なれてしまう ことが、さきほど いった「単純な道理」を理解できる やさしさを うしなうことに つながるのではないかと おそれているのです。
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ドーリョーの イングランドごの せんせーに よると、テレビで 「にほんゴわ かんこくゴの ホーゲンだ」と シュチョーしている ひとが いたそーである。 かんこくの テレビで そのよーな ことお ゆー ひとが いたと ゆー ことに とくべつ おどろいた わけでわ ないけれども、 これお きーて、わたしわ ある ことお おもいださずにわ いられなかった。 ときえだ・もとき(時枝 誠記)と ゆー ゲンゴ・ガクシャが いた。かれにわ 「ゲンゴ・ガクシャ」と ゆーよりわ コクゴ・ガクシャと ゆー よびかたの ほーが ふさわしーかも しれない。ゲンゴ・カテー(言語過程)セツと ゆー ドクジの ゲンゴ・カンお たずさえ、ときえだ・ブンポーと よばれる にほんごの ブンポー タイケーお つくったことで ゆーめーな ひとである。 ときえだ・もときわ トーダイの コクゴ・ガッカの シュニン・キョージュに なる まえ、1927ネンから 33ネンまで、ケージョー(京城)テーコク・ダイガク つまり、いまの ソウルに つくられた 「ニホン ガイチ(外地)」サイショの テーコク・ダイガクで ジョ・キョージュ、キョージュとして フニンしていた。その カン、ショクミンチ・チョーセンでの 「コクゴ」セーサクに タイして、 セッキョクテキに ハツゲンしている。 ときえだの シュチョーお ひとことで まとめると、「コクゴ・イチゲンカ (一元化)・ロン」と ゆーことに なるだろー。かれわ とーじ チョーセン・ ソートクフが「コーコクシンミン(皇国臣民)のセーシ(誓詞)」の セーショーお チョーセンジンたちに キョーセーしたことに ヒハンテキで あり、「コクゴ」と 「ニホンゴ」に ついても ガイネン・ジョーの クベツを みとめ、ゲンゴケンキューの タイショーとしてわ ほんらい「コクゴ」でわなく 「ニホンゴ」と よぶべきだと のべたことも あるらしー。しかし、これら イッケン リベラルに みえる シセーも、 ニホンの ショクミンチ・セーサクや コーミンカ(皇民化)・セーサクに ハンタイ するものでわ なく、「コクゴの ボゴ(母語)カ」と ゆー シュチョーに まとめられていく。つまり、かれわ ケンキュー・タイショーと しての 「ニホンゴ」 よりも カチが うえの ものと して 「コクゴ」お かんがえ、それお ボゴとして はなす ひとが ふえる ことお のぞんだのである。「ボゴ」と ゆーのわ 「ボコク(母国)ゴ」でわ ない。「ケーサツ・リョクや、バッソクによって イッキョに コーお あげよーと するよーな ケーキョわ ゲンに つつしまなければならない」と のべながら、ときえだわ それ イジョーに チョーセンジンたちが チョーセンゴお すて、こころから ジブンの ココロの ことばとして 「コクゴ」である 「ヒョージュン」ニホンゴお はなすことお もとめたと いえる。「コーコクシンミンの セーシ」の セーショーの おしつけに ハンタイしたのも、キョーケン・テキな やりかたが、カンジョー・テキな ハンパツお まねき、かえって かれの かんがえる 「コクゴの ボゴカ」と ゆー モクヒョーの さまたげに なると おもえたからだったと おもわれるのである。(『植民地のなかの「国語学」』やすだ・としあき 1997三元社 より) ときえだ・もときが チョーセンに いた ジダイにわ チョーセンゴお ニホンゴの ホーゲンと みなす よーな セツお となえる ものも いた。これわ ときえだの シュチョーと それほど ちがっている わけでわない。ときえだの ゆー 「コクゴ」が 「ヒョージュンゴ」に 「ははの ゲンゴ」が「ホーゲン」に おきかわっただけである。 そして、ときえだジシン、ケンキュー・タイショーとして カチの ある ゲンゴであっても ゲンゴ・セーカツ・ジョーの カチが あるわけでわ なく、ホーゲンわ ときにわ ボクメツすべき バワイさえ あると いっている よーに、どちらの バワイも、 サイシューテキにわ 「ハントー(チョーセン)ジンわ チョーセンゴお すてるべきだ」 と ゆー ケツロンが まちかまえていたと いわなければ ならないだろー。 いくつかの ことばの シュルイが それぞれ ベツの ゲンゴと みなされるか、 どちらかが どちらかの ホーゲンと みなされるか、たがいに ユーレツの ない チイキゴと みなされるかわ、ゲンゴの ちかさに よって きまるわけでわ ない。 よく シテキされる ことだが、ヨーロッパの ことなる ゲンゴと みなされている ちかい もの どーしの ちがいわ ニホンゴの ホーゲンと みなされている もの どーしの ちがいより はるかに ちいさい。コッキョーお へだてて、はなせば つーじあう ことばが、それぞれ そこに いる ジューミンの イシキの なかで、 ジブンの くにの よく つーじない べつべつの ゲンゴの ホーゲンなのだと シンじられている ケースも ある。だから、にほんゴが かんこくゴの ホーゲンだと シュチョーすることも、かんこくゴが にほんゴの ホーゲンだと シュチョーする ことも、ことばの ちかさから ゆーのわ かんたんな ことだ。そーゆーことお ゆー ひとの せかい・ニンシキが そー おもわせているだけの ことなのだから。 ただ、こーゆー ムジャキな ギロンが ときにわ ムジャキでわ すまない ギロンに なることお チューイするのも わるくわ ないだろー。それわ つまり、 いっけん ムジャキと おもえる ことの なかに、「ホーゲンわ カチの ひくい もの」と ゆー、ジャアクな シソーが しのびこんでいる ことお しるべきだと ゆー ことでも ある。 TOP メール 感想 投稿
この ホームページも つくりはじめてから ついに 1ネンお むかえることと なった。このかん、いろいろな ことが あったけれども おりに ふれて よんで くださった かたにわ ほんとーに カンシャしている。この ばお かりて おれーお いわせていただきたい。 1ネンまえわ セーシン・テキに フ・アンテーな ジキで あったことも あり、 この ページも コジン・テキな ことや みのまわりの ことえの わるくちの たぐいが おーかったよーな きが する。それが、だんだん ドクシャお えて、 ときおり カンソーの メールお いただいたり している うちに キタイに そいたいと ゆー きもちが でてきて しんぶんの しゃせつの ような ぶんしょーお かくことが おーくなった。それわ わるいことでわ なかったけれども、 だんだん かくのが ふたんに なってきたりも した。 ヒョーオンかながきの じっけんお はじめたのわ もともとわ あそびの セーシン からだったけれども これも いろいろな ギロンに まきこまれないでわ いられない ことに なってしまって、あそびだと だけ いっている わけにも いかなくなった。 そんな こんなで、ますます ちからお ぬいて きらくに かくことお わすれてしまった よーな きがする。 ここらで すこし、げんてんに もどって、みのたけに あった ぶんしょーお こころがけてみたいと おもー。「かべ」わ 「かべ」に すぎないのだから。どー よまれるかなんて きに せずに らくがきお つずける つもりである。
8がつ31にちに タンをハッした、きたちょーせんの ロケット・ハッシャ・ ジケンから、にほんでわ にわかに たかハ・テキな ロンチョーが つよくなった よーだ。 そのことわ、 つたえきく しんぶんの ロンチョーや ざっしの トーショなどからも うかがわれるし、 そのゴの、 ほかの くにと くらべても トッシュツした、 にほんの タイオーにも あらわれていると いえよー。 これまで、アメリカなどの アツリョクを いいわけにして、 コクナイ・ セロンの ハンパツを おそれながら だましだまし やってきた グンビ・ カクチョーと ユージ・タイセーの キョーカも、 こんかいばかりわ よーすが ちがう。 アメリカさえも まじめに かんがえていないよーな、 むかってくる ミサイルを ジドー・テキに うちおとす システムの ケンキューを じぶんたちから もちだして、 さかんに やるんだ、 やるんだと いっている よーである。 この もんだいに カンする わたしの ギモンわ ダイ1ポーが はいった ときから ケージバンに かきつけたり していたから、 それを まとめなおした ものを サンショーしてほしい。 サイダイの ギモンわ、 やはり きょーになっても、 NHKの ニュースでわ あれを 「ミサイル」と ダンテー・テキに よんでおり、 かといって、 そのよーに ダンテーする こんきょは ないと ゆー ことである。 いまの ジテンでも、 あれは、 「きたちょーせんが ジンコー・エーセーだと シュチョーしている ミサイル」なのだと ゆーことに なっている。 わたしは なにか、 ジジツを しることの できる たちばでは ないけれど、 このよーな よびかたを かたくなに かえずにいるのは、 せかいじゅーでも にほんぐらいの ものでわないだろーか。 ジンコー・エーセーでも 「ミサイル」に のってくるとゆー リクツなのかも しれないが、 それなら、 「ロケット」と ゆーべきだろー。 わたしたちの ことばづかいで、「ロケット」わ グンジ・ヨーのものも そーで ないものも さすことができるが、「ミサイル」を ジンコー・エーセーに タイして つかう レーわ ない。 つぎに シテキしたい ことわ、 わたしが ふれることの できる にほんの ホードーでわ にほんわ アメリカがっしゅーこくや かんこくと キョードー・ ホチョーを とって もんだいに タイショしている、 と されている。 しかし、 かんこくの しんぶんや テレビを みるかぎり、 かならずしも そーとわ いえない。 かんこくでわ にほんの キョーコーな タイドにわ リカイわ みせるものの、 いぶかしがる きもちが つよい。 にほんの ゲンドーが かんこくからみても、 きょくたんに うつるからである。 かんこくでわ、 センスイ・テーが カイガンに あがって きたり、 ブソー・ スパイの シタイが ハッケンされても、 セーケー・ブンリ(政経分離)の ゲンソクに したがって きたちょーせんとの ミンカン・ブンヤの カンケー づくりと、ケーザイ・キョーリョク・カンケーを めざす セーサクにわ ヘンコーが ない。 アメリカがっしゅーこくでさえも きたちょーせんとわ グンジ・タイリツ・ ロセンでわない ホーホーで、 ちかづこーと している。 かんこくセーフわ、 アメリカがっしゅーこくが チョーハツ・テキな コードーにでないよーに ギカイを セットクして まわっているくらいである。 それなのに、KEDOの わくぐみさえ あやうくしかねない にほんセーフの タイショの しかたわ、 かなり、ひとりよがりな うごきだったと いわなければ ならないだろー。 こーゆー、やっている ひとたちが ホンライ もっている イデオロギーに てらしてさえ、モクテキ・ゴーリ・セーが あるとわ いいがたい コードーを とるよーに なったのが、コクナイ・ヨロンの せいなのだと したら、 これわ、かなり キケンな ことである。 まさに、レーセン・ジダイの シコー・ ホーシキえの じきはずれの ギャクもどりだろう。 かんこくでわ いま もとの ヨトーの カンブが、まえの ダイトーリョー・ センキョのとき、きたちょーせんの カンブと セッショクし、きむ・でちゅんシが ラクセンするよーに、 パンムンヂョム(板門店)で ジューゲキ・センを おこすよーに イライしたと ゆー ギワクが もたれている。 ここで でてきている ショーコを シンじるなら、 きたちょーせんも より タイワ・ ロセンを とるだろうと おもわれる きむ・でちゅんが ダイトーリョーに なる ことを きらったと ゆーことになる。 かんこくでの ジンケン・ダンアツや グンジ・ドクサイの ジョーキョーが、 きたちょーせんに ユーリに はたらいて きたと かんがえる ひとわ おおい。 わたしわ ソウル・オリンピックまえの だいかん・コークー・キの バクハ・ジケンさえ、 きたちょーせんが かんこくでの セーケン・コータイを きらって おこしたものでわ ないかと おもってきた。 そーゆー にんしきわ トージでわ ショースーだったが、 いまでわ かんこくで かなり セットクリョクと ゲンジツミを もって かたられるよーに なっている。 それわ、 きたのキョーイを あおりたてる ひとたちが、 ケッキョクわ じぶんの セージテキな かけひきや リエキの ために それを リヨーしよーと してきたと ゆー ことが わかってしまったからでもある。 そして、このまえの ダイトーリョー・センキョわ、 そーゆー ボーリャク・テキな セージ・ センデンにわ もはや コクミンの ほーが ひっかからない ほどに セージュクしたことの あらわれで あった。 むしろ、 きたちょーせんが キョヒできない かたちで モンを あけさせ、 すこしでも ケーザイ・コーリューの ジッセキを あげ、カンコー・リョコーを カイキンさせる ことが、 きたちょーせんの タイセーを おいつめることに なると ゆー かんがえも みられる。 しかし、 おなじ おいつめるのでも、 モンを あけさせながら おいつめるので あれば、 そこに ソフト・ ランディングの みちすじも みいだせる。 これを グンジ・リョクにわ グンジ・リョクで タイケツすると ゆーよーな アンチョクな ぎろんに おきかえて しまったら、 しまいにわ センソーを カクゴするしか ない ところにまで いってしまうだろー。 こーゆー ことを かんがえても、にほんの この 1かゲツの たいどわ かんがえが たりないものだと おもえて ならないのである。 さいごに この ロケット・もんだいで みのがされがちな ことだが、 にほんが、 にほんじしんが シューヘンに あたえている キョーイに ついて、 もっと ジカクすべきだと ゆーことである。 ジンコー・エーセーでも グンジ・ テキ・キョーイに かわりないと ゆーのなら、 にほんが あげている ジンコー・ エーセーわ すでに、テポドンを はるかに うわまわる キョーイを シューヘン・ ショコクに あたえていると ゆーことに なる。 もちろん、ハッシャ・ジにジゼン・ツーコクしたか どーかとゆー モンダイわ のこるかも しれない。しかし、それを モンダイに するのなら、 そのこと ジタイに タイしてわ グンジ・テキ・タイコー・ソチでわなく、 ジゼン・ツーコク しあうよーな シンライ・カンケーの コーチクが まっとーな タイショの しかたとして もとめられなければ ならない。 とるべきシュダンを つくさずに、 とるべきでない シュダンに ついて、 さかんに ギロンしている いまの にほんの フーチョーにわ おそろしさを おぼえる。 38ド・センに たって、 かんがえて みれば、 そこに ガイブから さらなる キンチョーを もちこむ ヨーソわ だれであれ、 ごめんなのである。 TOP メール 感想 投稿
こんかいわ ひょーおん かなずかいで かかせて いただく。 さいきん、ろーまじだけで やりとりお する めーりんぐりすとに かにゅーして、ろーまじがきの ぶんしょーお よむ きかいが ふえた。 また、まいにちの にっきお ひょーおん・ろーまじで かいている。 まえにも のべたが、はなしている おとの とーり かくと ゆーのにわ、 いろんな いみが ある。 にほんごお はなす わたしたちわ、 くちが うまい ひとも くちべたな ひとも いるけれども、 それらわ ふつー、その ひとの こせーとして みとめて もらえる。 それなのに、いざ、もじお つかって なにかお かこーと すると、 かなずかいが どーのこーの、かんじの まちがいが どーのこーのと、 いろんなことお きに しながら かかなければならない。 これわ、みんなに とって おもにの はずだ。 もし、いま、わたしが かいているよーに はつおんどーりに もじが つかえれば、めいめいが じぶんの こころの ことばの とーりに おもー ところお かきしるすことが できる はずだ。 ひらがなでわ かくのが むずかしい ほーげんの おとも あるけれど、 すこしの くふーで、それも かいけつ できるだろー。たとえば、あいぬごの おとだって、ひらがなで かくことが できるのだから。 このまえ、おーさか・べんの めーるお ろーまじで いただいたのだけれども、その ろーまじわ よんでいて びっくりするくらい よみやすい ものだった。おーさか・べんが はなせない わたしにも あくせんとまで よみがえってくる よーな かんじがした。ふつーに はなすときに あいてに わかりやすく ゆー やりかたお そのまま かきことばにも あてはめたからだろー。 ごがく・きょーしお していると、がくせーたちが、ことばお はなそーと しないで、きょーかしょお よもーと していることに きがつくことがある。これでわ じゅんじょが ぎゃくだ。これが きょくたんに なると 「つずりじ・はつおん」と ゆー げんしょーが おこる。じっさいの はつおん よりも つずりじに ひきずられてしまうのだ。ちーさい こどもが あそんでいるとき、「ち・よ・こ・れ・い・と」 なんて いっていることが ないだろーか。これなど、じぶんの はつおんお じぶんで ゆがめている。 もし、かなずかいの ちしきが なかったら、こんな へんな はつおんお する ひとわ でなかっただろー。にほんごの がくしゅーしゃでも おなじで、がくせーの たいどの せーか きょーしの せーかわ べつに しても、「とけー」お 「と・け・い」と ゆー ひとが おーい。あるいわ にほんごお だいいちげんごに する ひとでも、ふだんわ 「とけー」と いっているのに、よむときに きゅーに 「と・け・い」が ただしーと おもいこんで そー はつおんする ひとが ふえている。 かきかたに ほしゅてきな たすーはわ、にほんごの でんとーお もちだして、いま いじょーに かなずかいお はつおんどーりに することに てーこーする。なかにわ れきしてき・かなずかい と いわれる ものに もどれとまで ゆー。しかし、もし、ことばが にんげんの しぜんな いとなみの さんぶつで、ひとが あとから てお くわえるべきでないとか、ひとの でで ことばお いじくろーと ゆー かんがえわ よくないと ほんきで ゆーのなら、うえのよーに、はつおんと ずれた かなずかいが、しぜんな はつおんお ゆがめている げんじつお どー かんがえるのか。 かなずかいの ほしゅしゅぎとは、でんとーお まもることでもなく、 ことばお しぜんに まかせる ことでもなく、 ただ、つくられた きはんに ことばお あてはめよーとする こころみに すぎないのだ。 そして、じぶんたちの はなしている ことばさえ、それお じゆーに かくことよりも、「ただしく」かく ことに ばかり しんけーお むかわせ、はなしことばより えらい だれかが かいた ことばの ほーが りっぱだと おもいこませる そーちに なっている。その そーちの きゅーきょくの ものが、 あの、ごーりせーも へったくれも ない 「かんじ」でわ ないだろーか。 そもそも、いんぐらんど・ごお べんきょーするのに かんじがないと よみにくい などと ゆー ひとは いない。それなのに なんで、 にほんごわ かんじお つかわなければ ならないのだろー。 どーせ、こえに だして よむときにわ かんじわ みせられないのである。えぬえいちけーの にゅーすお つくっている ひとたちわ こえだけで りかいできる にゅーすに するために げんこーに くふーお していると ゆー。それが、ことばお わかりやすくするための あたりまえの さぎょーである。わざわざ そんな くふーお しなくてわ きーて わからない ことばに して しまったのが、かんじの つかいすぎである。それでいて、「どーおんいぎご」が おーいから かんじわ なくせない などと ゆーのわ、まやくお きょーせーしておいて 「おまえわ まやく ちゅーどくだから やくお てばなせまい」と ゆーよーな もんである。 もー、こんな ばかばかしーことわ やめよー。わたしわ こーやって、ひょーおん・かなずかいで げんこーお かいているうちに よみかきにも だいぶ なれてきた。いくらかの にんたいが あれば、 ついにわ なれるものである。いんぐらんど・ごお よむために ちの にじむ どりょくお して、 ついにわ そーとーな すぴーどで よめるよーに なるひとが いるのだから、かながきくらい どーとゆー ことわ ないはずだ。あとわ やってみることが たいせつなのである。 TOP メール 感想 投稿
前回につづき、「自由主義史観」と「証言」に かんして かんがえる。
今回は、『歴史とは何か』(河出書房新社)を 紹介しよう。著者のひとり、田崎英明は、学生のとき、なんどか 現代思想を おしえてくれた先輩であるが、せっかく 親切に はなしてくれるのに わたしには ほとんど理解できなかったことを おぼえている。しかし、ふるいマルクス主義の わくぐみでは 解決できない問題群に対して、反動的な対処をすることなく 真摯にむきあっていく しなやかさには、つねづね 尊敬の念を いだいていたのである。
当時は、たいして自覚していなかったのだけれども、わたしは、そういう意味では 友人・知人にめぐまれていた。そんな なかで、はみだしてばかりだったけれども、批判をうけながら ほかのひとたちの かんがえを吸収できる機会があったことは、とても よかった。
この本は、著者である さきやま・まさき(崎山政毅) たざき・ひであき(田崎英明) ほそみ・かずゆき(細見和之) の3人の 5回にわたる対談を 収録しているのだが、そのなかから、すこしだけ ぬきがきさせていただく。
細見 南京では何人かの「幸存者」と言われる人の証言に接したし、京都でも証言集会があったんですが、そのときに、沖縄の語り部の問題で言われたようなことを、もちろんぼくも感じた。幸存者の中にはもう定番になっている人がいて、録音もとられていて、それがテープ起こしされて、プリントされている。京都の集会のときには、証言の筋というものが、ぼくの手元にもあったんです。だいたいはそれに従っていくわけですがやっぱり筋書き通りにはいかない。ぼくはプリントを見ているから大枠はいちおうわかるんだけれども、話が途中で混乱するし、プリントを見ていない人には、時間のずれとか、出てきた登場人物との続柄とか、たぶんよくわからなかったと思います。
水の冷たさとか色とか匂いとか、その手のものがすごく出てくる。川に飛び込んで生き延びたという話のときに、弟の体の重みとか、そのときの水の冷たさとか、匂いとか、暗さとか、そういう五感にかかわるものがその都度出てくる。そこのところで証言が停滞するし、聞いている側は、わかると同時にもどかしくなる。また、南京の言葉は独特で、その言葉がそのままわかる人は留学生でも日本にはそんなにいなかったりして、京都のときには通訳も非常に困っていた。まさしく五感で蘇るようなものが訳しにくい言葉としてそこにあって、それがその場のぼくらにかろうじて伝わってくる。いろいろな断絶があって伝わってくるという感覚がすごくあって、ぼくはそういうものなんだろうなと思った。しかも、証言者自身が途中で非常に高揚して、しかもプツッっと証言をやめてしまったりする。そういう意味では、整理して受け取るのとぜんぜん違うものがある。
崎山 停滞していくというのは、ただ積み重なっていくんじゃなくて、その場所で話されるときにまた別のものを新しく思い起こしてしまったり、証言のただなかに出てくる時間制のゆらぎというか、証言をしている人は出来事が起こった時間を証言している場においてまさしく生き直してしまうんですね。《中略》
それは、自由主義史観の連中なんかが言っているような証言の実証性や証拠能力というような、裁判的、警察的な視線がもっているものとは決定的に違う。 《中略》 途中で感情が高揚したり、どもったりしてしまうというのは、すべて編成されてしまった自白の中ではまったく見えないまま、裁判の中での物語が非常にスムーズに進む。浜田寿美男さんは『自白の研究』で、裁く者と裁かれる者という役割があらかじめ与えられた共同体の中にその両者の共同作業で出来上がっていく自白というものが、いかに矛盾がないのかということを言っています。これは、ほとんどの冤罪事件の自白を読めばはっきりしている。そういた自白と同じレベルで証言というものを取り上げていくやり方というのは、それ自体が、証言に対する鎮圧を行うような意味でのカウンター・テスティモニーとして出来上がっている。
田崎 いま生きている者の目の前に、ある場合には自白という形で警察官や検察官が証言をむりやり引き出してくる。そのような形で自分の目の前に持ち来たらすことができるものだけを信じる。たとえば、我々が決して応答できないにもかかわらず、証人を目の前にして「金をもらっていたのではないか」とか「商行為ではなかったのか」というような形で問いただしていくことができるというのは、いま現在生きている私の目の前にすべてを引きずり出して、それができないものには意味がないんだ、という考え方ですね。すべてを体験に還元していく。
いまの私たちの課題として考えているものは、そういう体験の優位に対して、経験といったものをいま再構築するということは、ベンヤミンが理解していたようにほとんど不可能である。そうすると、経験でもなく体験でもないようなものを何と呼び、どのようなものとしてつくり上げていったらいいのか。たとえば体験だけだったら、決意主義的な倫理主義――テロリズムになるのか、あるいはシニシズムになるのかということがあるけれども――決意主義で生きていくしかないと思う。テロリズムでもシニシズムでもない中間領域をさぐることと密接に結びついた形で、体験でも経験でもない何かを見出すことが大切になるのではないか。
ぼくは、いまのところそれを仮に「思考」と呼んでいるわけだけれども、思考の時間性というのは、体験とはちがう。生きられることがないものも思考することがてきるわけですね。
「過去の おこないを 現在の価値観で さばくな」という主張があるようだ。これが、もしも、「当時の価値観では、慰安所をつくったことなど、おおきな問題ではなかったのだ」というところに はなしがつながるのであれば、自分ひとりの“経験”と いまの“体験”可能なことへの限界に まもられた議論だと いうべきだ。
“経験”されたことは、よみてが かってに同一化している主体の“経験”だけではないのだ。そして、それは たやすく他者に“体験”できることでもない。だからこそ、わたしたちの “みみ”が きくことのなかった “こえ”を “証言”は 発して、わたしたちを つねに 混乱させ、びっくりさせ、たじろがせる。それは、物理的にも かぎられたところでしか 発せられないし、“思考”を媒介にしなければ 気がつくことのない“こえ”かもしれない。しかし、設定された すじがきを うらぎる、そうした“こえ”に みみをかたむけない議論は、どんなに資料をもちだしたところで、「現在のあなたがたの つごうのいい価値観で 過去の できごとを かってに解釈している」に すぎないと いっておこう。それらの文献資料を つくった ひとびとの その当時の精神構造を うけつぐ ひとたちが議論を しているのなら、なおさらである。 TOP メール 感想 投稿
「自由主義史観」に まつわる議論のなかで、被害者の証言をどうかんがえるかというのは、とても重要な論点である。このホームページでも 掲示板に意見をいただき、わたしも応戦したのだけれども、「証言を信じるかどうか」というようなところへ はなしがいくのは、わたしとしても本意ではなかった。
もと「従軍慰安婦」たちの「証言」として しられているものが ハナから架空のものだというのは 論外であって、それらは くりかえしきき、ちかくで 生活をともにするひとたちを とおして 補強・補充され、貴重な記録となって のこされていることは うたがいようもない。しかし、その 詳細には 記憶ちがいもあれば、あとから構成されたものも あるだろう。それらのなかから、50年以上もまえの 事実を よみとるためには、さまざまな 検証をへなければならないことも、同時に指摘されなければならない。しかし、ここで いおうとしているのは、そういう たぐいの「事実」に ついてではない。
「自由主義史観」というのは、結局、日本の国家としての責任のあるなしを きにしていて、それ以外のことには 被害者のうったえから なにも よみとろうとしない態度なのだと おもう。歴史の構成体として、個人は 国家を とおすか、国家に てらしだされるか しなければ その価値をみとめられないという強固な前提をもっており、その点では、マルクス主義史観であっても そうそう えらそうなことは いえないのではないか というのが、わたしの感想である。だから、日本人のこどもたちに おしえる歴史は「日本に ほこりをもてる」ことで 「あかるい」ものになると される。これに対して、反論するがわも、「真に 日本に ほこりをもつために」などという 問題のたてかたをしては、五十歩百歩だろう。むしろ、「日本」という自明にみえる わくぐみが どれだけ人為的につくられたものにすぎないかを あきらかにするためにこそ、「日本史」は必要なのではなかろうか。「日本」になど ほこりをもたなくても 自分の良心(これは ちょっと近代主義にすぎるいいかただけれども)に ほこりをもって 生活をしてきた たくさんのひとの 「ほこり」を うばってきたのが まさにここで かたられているはずの「日本」であったという 事実をしることが大切である。いまさら、「日本」に しがみつくという行為は、伝統への回帰でさえないのだ。それは、架空と虚妄への回避でしかない。われわれの 列島にくらした おおくの祖先たちは、「日本」によって 自分たちの社会をほろぼされた がわだった。そして、われわれの祖先は、それまで、「日本」などという「国家」に 価値判断の基準を ゆずりわたしては いきて こなかった。
ふたたび 自分たちじしんの五感と理性に 価値判断する主体性をとりもどそう。たとえば、公娼制があったから 買売春が わるいことではなくて、売春防止法ができて、違法になった瞬間から わるいことになったなどということが、ありうるわけがない。古来から売春があったように、古来から それが悲劇をもたらす しくみであることは 良心のあるひとは きがついていたし、批判もしたし、部分的には なくそうともした(冗談だが、「水戸黄門」でさえ、それはみとめている)。それが なくならなかったのは、売春がよいことだと おもわれていたからではない。まずしい ひとをつくりだす社会構造と 賎民差別によって、まずしいひとたちを 階層として固定化するちからとが 売春とむすびついていたからだ。現代日本の売春は、まずしさゆえではないと いわれる。はたしてそうか うたがわしい部分がなくはないのだが、これも、急速に肥大化した、性を商品化するという、別の社会構造と売春がむすびついているのだと分析できる。この構造は、あけすけにいって、「商品」にならない女性を いまだにイエにとじこめるための、それとはアケスケには いわない オトコ社会と資本主義システムの結託による、無意識の防衛機構の発動によるものだと かんがえると、みごとに それに みあっている。そんななかでも、カラダをうる少女たちがきずついていることに めを むけられるか どうかは、合法かどうかと いうこととは 関係がない。問題をみつめる 個人の まなざしなのだ。
すくなくとも、もと「慰安婦」の被害者たちが 体験したことは、その当事者のたちばに たって かんがえたら、どう かんがえても 理不尽な しうちでしかない。これは、当時の価値観であれ、いまの価値観であれ、ゆるされるようなことでは ないはずだ。大事なことは、それにもかかわらず、当時も、いまも、その事実をしっても、「法的には くにに問題がない」と いってしまえる ひとが 一方のがわに いるということである。この がわに いるひとたちは、「当時の価値観といまの価値観とはちがう」と いいながら、当時の 加害者たちの価値観と どれほど にかよった価値観で この問題をながめているのか、ということが 問題である。それだから、いま、そこにいる被害者たちに むけて、とわれているのは、いま、日本で あるいは日本人として いきている わたしたちの価値観なのだ。
わたしは、「証言」に じかに むきあうということは、ほかのことにもまして、一次的なことだと おもっている。これは、なにも もと「従軍慰安婦」だけのことではなくて、もと日本軍兵士の証言でもよい。そこには つくられたはなしでない、意図されない 記憶のわきあがりがあるからだ。だいじなことは、「日本」という わくぐみのなかにいて 「証言」を きくのではなく、証言に むきあうことから、「日本」とは なんだったのか、なんなのか、と 確認しなおしていくことだ と、わたしは おもう。
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訂正とおわび 1998.4.12 の記事、『気分的な横並び』に あやまりがありました。くわしくは、ここをクリック、参照してください。
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