日記
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2005年11月4日(金) 存在すること自体が
「日本語教師と国際交流」であるとか「日本語教育の社会的意義」とか「異文化交流における日本語教育のやくわり」と いったような題目での議論は よく あるけれども,そういうときに意識にのぼるのは 「日本語教師が だれかに日本語をおしえる」という おこないを通じた効果についてであることが おおい。
しかし,一歩ひいてみると,日常的かつ継続的に国籍の ことなる ひとたちと非敵対的に接するという たちばに いる ひとは そんなに おおいわけではない。そういう 位置に そういう たちばで存在しているということ自体に 意味があるのではないかと おもわせるようなことが 最近 おきた。
「かけはし」とかじゃなく,国境に ひきさかれたり 国家の暴力によって はざまに おとしこまれた ひとたちのことをもっと かんがえたい。