発言者: きんちょ
発言日: 01/03/01(Thu) 15:44
これから かくことは、反対意見も あるものと おもいます。
ですから、きまった正解であると おもわずに、ご自分でかんがえるときの参考に してください。
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もちろん対象者や学習目的にも よりますが、一般的な日本語教育の現場では、実用的な日本語をおしえています。しかし実用的というのが、現実にネイティブがつかっているとおりという意味なのかというと、わたしは ちがうと おもいます。
現実に どのように つかわれているか、ということが まず第一の基準ですが、現実に それをどこまで おしえることが できるのか、また習得に必要な努力と比較して、目的のために大切なことなのかという問題も あります。この教育上の観点を第二の基準と よびましょう。最後に学習者や教師の言語観という問題も あります。ことばは それをつかう ひとたちが どのように
つかうかによって かえていけるという面も あります。あえて大勢に したがわないという自由が ことばをかえていっています。
この側面は、むしろネイティブ・スピーカーでないからこそ大切です。日本語が とざされた言語であっても かまわないと かんがえるので ない以上は。
ご質問は、この3つの基準すべてに関連していると おもいます。
1つめの基準について、スタンダードは 点 さんが おこたえになったとおりだとおもいますが、「現実のすがた」を重視するのであれば、「『なる』を漢字で どう かくか」という問題設定じたいが「漢字で かかれるべき/はずだ」という前提をふくんでいて、それは「現実」をありのままにみる姿勢からは はずれていると おもいます。
わたしは、「なる/成る/為る」などは並存しているのであって、どういうときに「成る」・「為る」なのかと きくのであれば、同様に「どういうときに『なる』と ひらがなで かかれるのか」ということもおなじレベルで とわれるべきだと かんがえます。
2つめの基準についてですが、これは学習者が どういう動機で質問したかということにも かかわっています。「漢字で かかなければならない」という強迫観念から質問したのであれば、「かなで かいても いいんだよ」ということをおしえるほうが先決でしょう。この件について なぜ漢字の知識が必要なのかによって、どこまで おしえるべきかも かわってきます。
3つめの基準についてですが、これは わたしが どのように のべても わたし個人の見解になってしまいますから、最終的には ご自分で かんがえていただくしかないのですが、わたし自身は、こう おもいます。
「なる」という日本語は日本語の単語としてユニークなものなので
あるから、それを漢字で「成る」「為る」などに ひきさくのは日
本語に対しても失礼である。また、「なる」という日本語は、「成」
にしろ「為」にしろ、もともとの漢字の意味(中国での意味にまで
さかのぼらなくても、現代日本語での漢字熟語のなかでの意味をか
んがえれば じゅうぶん)には ない用法をふくんでいる。つまり、
どちらの漢字をつかっても、その漢字をあてることが不適当な
ばあいが おおい。(たとえば、「つめたくなる」など)
したがって、わたし自身、この語は つねに ひらがなで かきます。このような言語観は、他人に おしつけるべきものでは ありません。しかし、学習者が漢字に くわしい ひと(たとえば中国人)ならば、むしろ わたしたちよりも敏感に このようなことを感じとる可能性があります。そのようなときに、日本語教師は また、第1・第2の基準だけをもって、学習者の もつ 第3の基準を侵害することも するべきではないでしょう。
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