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ことばや教え方の質問箱−掲示板2−
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No.467  かかれた文章のなかでの「のだ」について
発言者: きんちょ
発言日: 01/06/02(Sat) 12:38
 たとえば、「そうじゃありません」が はなしことばで おおく つかわれ、「そうではありません」が かきことばで おおく つかわれるからといって、「じゃ」と「では」が 別の はたらきだと 主張する ひとは、まず いません。今後、はなしことばで「では」が ますます つかわれなくなり、かきことばで「じゃ」が ますます つかわれなくなったとしても、それだけの理由で両者が別のものだという主張は でてきそうに ありません。

 ところが、これが「そうなんです」と「そうなのです」の ちがいということになると、そうは いかないようです。この掲示板でも、それが「はなしことば」と「かきことば」に わかれていることの ちがいから、「別のものだ」という主張が かきこまれていたりします。

 しかし、うえの 「じゃ」と「では」の たとえのように、はなしことばと かきことばに それぞれが偏在しているということ自体が、「別のものだ」という理由に なるわけではありません。
 念のためにいうと、「おなじだ」「ちがう」と ここで いうのは、もちろん、ある「観点」に対する判断です。もし、その「観点」が、「はなしことばか、かきことばか」ということなのであれば、両者が「ちがう」のは、あきらかでしょう。
 ちなみに、わたしの学校の ある先生は「職能文法」というのが専門で、その「観点」からみると、「〜んです」の「ん」と「〜のです」の「の」は、おなじようには分析できないそうです。前者は一次的な分割が「〜ん・です」なのか「〜・んです」なのか どちらとも きめられないが、後者は「〜の・です」と分析されるべきだという主張なのですが、そういう意味で「ちがう」というのなら、それは それで ひとつの主張でしょう。

 しかし、ここで問題にしたい「観点」は、それらが 文の意味に およぼす はたらきです。ですから、その はたらきが どんなものであるかをみるのでなければ、「おなじ」とも「ちがう」とも、いえないわけです。それを判断するのに、「職能文法」をつかったり文体の ちがいを論じたりしても、直接には関係が ないのです。(間接的には重要なヒントを提供することは ありえます。)

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 ここで、かきことばの なかでの「のだ」と「んです」との関係について本格的に論じることはスペースも わたしの能力も不足していて できません。ただ、それが どういうふうに なされうるかという ひとつの みほんのようなものくらいは しめせるかもしれないので、ちょっと やってみようと おもいます。「みほん」といっても、よのなかには「ダメな みほん」も あるということで、けっして これが すぐれたものだという意味では ありません。

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 つぎの文は、たまたま てもとにあった 星 新一の「おーい でてこーい」という小説の一部です。「新潮ピコ文庫」から とりました。

 つぎのばめんは、ある村に突然、奇妙な「穴」が あらわれて、みんなが都会から その「穴」に いろんなものをすてにくるようになったという はなしの なかに かかれています。

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| 穴は都会の住民たちに、安心感を与えた。
| つぎつぎと生産することばかりに熱心で、
| あとしまつに頭を使うのは、だれもがいや
| がっていたのだ。この問題も、穴によって、
| 少しずつ解決していくだろうと思われた。
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ここで、「だれもが いやがっていたのだ」は、その まえの文にある「安心感を与えた」ということの理由を説明しています。また、理由の説明だということが わかるので、「いやがっていた」ということが、時間的に「安心感を与えた」に先行しているということも、母語話者なら ごく自然に納得できるでしょう。

これをもし、「だれもが いやがっていた」としか かかなかったら、この文章は ひどく わかりにくくなります。それだけでなく、「安心感を与えられた」はずの ひとたちが、「いやがっている」理由は なんなのだろうと読者は かんがえこまずには いられないでしょう。

これだけの例から、「のだ」が「理由をあらわす」とか、「時間的な先行をあらわす」ものだと結論づけるのは、あやまりです。しかし、“この文章において”、「のだ」が、前節部分が、そのまえの文の理由であり、時間的にも先行しているということをしめす“「はたらき」をしている”ということを確認することも大切です。そこからは「のだ」が意味にかかわる なんらかの機能をもっていることが みいだせるはずです。


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さて。このような文章での機能は、会話文では みつけられないのでしょうか。それほど苦労しなくても、みつけることはできます。たまたま てもとにあった 映画「月はどっちに出ている」劇場版から、引用してみます。

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| 忠男 「いつまで、寝てんだよ」
| ホソ 「(イヤイヤをしながら)頭が割れんだよ」
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 ここで、忠男が「いつまで、ねてんだよ」と いったのは、はなしことばに特有の いいかただと いえるでしょう。かきことばで こういうことを「*いつまで、ねているのですよ」とは いえません。しかし、これは「のです」が かきことばであるせいではなくて、「よ」の はなしことば特有の つかいかたの ためだと みられます。なぜなら、はなしことばの ここの部分を「いつまで、ねてるんだ!」と することも可能だし、それに対しては「いつまで ねている{のか/のですか}」と いうふうに かきかえが できるからです。

 ここで注目したいのは、ホソが「あたまが われ(る)んだよ」と いっている部分です。これが「あたまが われるよ」では、会話が つながらないでしょう。ここでの「あたまが われる」というのは、時間になっても ねていることの理由であって、「あたまが われそうに いたい」から 「おきられない」という つながりに なっています。まえの星 新一の例では、理由であることから時間的先行が よみとれましたが、ここでは、理由であることから、ほんらい未来の表現である「あたまが われるよ」という表現が、「われそうに いたい」という現在の意味であることに自然に気づくのです。おなじことは、化粧をしいてる妻と夫の会話で、「なに、してるんだ?」−「外出するのよ」など、例をあげれば キリがありません。


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 ここで あげたのは、「のです」「んです」の機能のうちの ごく一部ですが、これだけ みても、かきことばでの機能と はなしことばでの機能に 相似性が あることが わかると おもいます。その あらわれかたで、たとえば かきことばではモノローグが おおくなるから、時間的な関係表示の機能が多用され、はなしことばでは 理由づけの機能が多用されるというよはな あらわれかたの ちがいは もちろん あるでしょう。そして、日本語教育では、そのような<ちがい>にも着目することが有効な ばあいも あることを わたしは みとめないわけではありません。

 しかし、同時に、両者に共通した<構造>をみいだすことも その理解のためには たいへん有効であると おもいます。そもそも 母語話者にとってみても、かきことばにおける「のだ」「のです」の機能を 文字の学習後に文法知識として理解するわけでは ありません。それなのに、「のだ」の つかいかたが自然に習得されるのは、はなしことばでの「んです」が習得され、その規則が「のだ」にも適用されているからに ちがいないと おもわれます。わたしたちの目標は、ここでいう 「んです」と「のだ」に共通な<規則>を どのように とりだし、どのように提示するかということでは ないのでしょうか。
akizuki.pr.co.kr/
▼関連発言

467:かかれた文章のなかでの「のだ」について きんちょ 01/06/02(Sat)
 └500:Re: かかれた文章のなかでの「のだ」について Sakananome 01/06/08(Fri)
  └502:論旨をよみとってますか? きんちょ 01/06/08(Fri) ←last


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