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ことばや教え方の質問箱−掲示板2−
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No.489  「私案」を拝見して(訂正版)
発言者: きんちょ
発言日: 01/06/06(Wed) 21:11
 「コメントを」と いうことなので、コメントさせていただきます。

 最初に おことわりしておきますが、わたしは いままでのSakananomeさんの議論のしかたに納得していません。しかし、今回、あらためて ご自分の意見を整理されたので、この整理された意見のみに したがって、コメントします。いままでの ご主張と つきあわせて、「ここは撤回したのか」「ここは、まえの主張と おなじなのか」などと たずねることは、一切、放棄したうえでのコメントだということを了解しておいてください。


1 前提:硬い規則と柔かい規則

●論旨をとると、
    硬い規則:構文的な規則
  柔らかい規則:談話的な規則

というように対応させているようにも とれますが、もし、

    硬い規則:強制的なもの。日本語を
        話す人はすべてこの規則を
        同じように使わなければな
        らない
  柔らかい規則:話者の個性にかかわる。
        学習者はこれらの規則をど
        う使うかかなり自分で決め
        ることができる

という面を重視するのなら、わたしは、この ちがいは、

    硬い規則:日本語の形態をつくる
        規則
  柔らかい規則:規則にしたがって つく
        られた形態のうち、どれを
        使用するか選択する規則

という ちがいなのだと おもいます。談話に かかわらなくても選択的な規則は たくさんあります。たとえば、格助詞であっても、助詞をはぶいて いうことが選択的であることが おおいわけで、格助詞をつけるかどうかという問題は、話者が決定するしか ありません。反対に、談話にかかわる要素、たとえば敬語であっても、敬語を「つかうかどうか」を決定する規則は選択的ですが、「くれる」の尊敬語は「くださる」だというような「形態」の規則は拘束的です。
 「んです」に関しても基本的には おなじことで、ここで かかれていることが「んです」だけに特別ではないと おもいます。ただ、程度の問題としては、「つかう」ときと「つかわない」ときの区別の基準を理解することが むずかしいものだと いうことは、いえるでしょう。


●「柔らかい規則」の習得には経験が必要だということには同意します。ただ、その「経験」が教室活動としては限界があるという意見については、留保したいです。たいていの機関では、教室活動を「導入→練習→訂正」だけのものとしては とらえていないし、「教室」内で擬似的であれ「使用」場面をつくることをめざしているだろうし、必要があれば「教室」外でも授業をするように なってきているからです。



2「んです」の基本的な特徴

●「んです」の基本的な はたらきを、

  「より多くの情報を交換してより良い
   コミュニケーションを持ちたい」という
  話しての気持ちを相手に伝えること

と されていますが、ここで「よりよいコミュニケーションをもちたい」という部分は余計だろうと おもいます。「より おおくの情報を交換する」ことが、「よりよい」ことだという価値観を前提にすることは できないと おもうからです。

 ときには、「より おおくの情報をえたい」という態度が詮索ずきの態度であると評価されて、コミュニケーションが円滑に すすまないことも あるでしょう。よく、

  −「どちらへ いらっしゃるん
   ですか?」
  −「ちょっと そこまで」

というような会話が典型として だされますが、ここでは これ以上、「そこまでって、どこまでなのか」きかないのが礼儀だと されていますよね。それでは、最初の質問で「んです」をつかったことは、この礼儀に違反していないのでしょうか?
 ちょっと かんがえても、このような矛盾に直面しそうです。


●このことと関係しますが、わたしは、「んです」が、「より おおくの情報をえたい」という気もちをあらわすという説明を いったん うけいれるとしても、「より おおく」というときの比較対象は、「んです」をつかわない質問をしたときに予想される こたえでは ないと おもいます。現に、うえの例でも、「ちょっと そこまで」が自然な会話なのであって、かえって「どこへ いらっしゃいますか」と きいたほうが 詰問調に なるため、もし回答が えられるとすれば、はっきりとした場所の なまえが こたえられるのではないでしょうか。(もちろん、あいてが その質問のしかたに反発して、こたえないという可能性も あります。)


●わたしの かんがえでは、「んです」が、「より おおくの情報をえたい」という気もちをあらわすというのは、「すでに いくらかの情報をえていて、その情報を適切に解釈するために、すでに えている情報に くわえて」「より おおくの」情報をえたいという意味に とったほうが いいと おもいます。そうすると、この掲示板で紹介されたOyanagiさんの説明や、いろんな学説などとも説明の しかたが一致してきます。


4 「んです」の使い方

●個々の文意の判断については、微妙に感じかたが ちがうところも ありますが、Sakananomeさんも それは おりこみずみなのでしょうから、いちいち のべたりは しません。ただ、

 ・「んですか」で聞かれた時には「んです」
  で答えた方がいいです。

 ・「カゼをひいたんです」(「どうしたん
  ですか」という問いかけに理由をつけて
  答える時には「んです」を使います。)

これについては、つぎのような現象を「文法的な」現象として とらえたほうがいいと、わたしは おもいます。

  − 「どうしたんですか?」
  −○「いや、だいじょうぶです。」

  − 「どうしたんですか?」
  −×「いや、だいじょうぶなんです。」

あるいは、

  − 「カゼで あたまが いたいん
   ですか。」
  −○「ええ。カゼなんです。」

  − 「カゼで あたまが いたいん
   ですか。」
  −×「ええ。いたいんです。」

  − 「カゼで あたまが いたくない
   ですか。」
  −○「ええ。いたいです。」

もちろん、この「×」も とても特殊な文脈があれば 自然になるかもしれません。しかし、ここでは「○」が ついているほうが文脈が自然に とらえられ、そうなることと「んです」の機能との あいだには関係があると おもわれます。「んです」に「理由づけ」「説明」「関連づけ」などの機能が「ある」と説明しておいたほうが、こういうときの応答の しかたが、なぜ、うえのようになるか、わかりやすいのではないでしょうか。


●もう一点。

 ・「結婚していたんですか」(「結婚して
  いた!」よりも静かで丁寧な驚きの表現に
  なります。)

これは、比較の対象が正確では ありませんね。「結婚していた!」ではなくて、「結婚していましたか」と くらべるのでなければ いままでの比較と おなじように あつかえないし、「んです」について論じているのでは なくなってしまいます。
 ここで「静かで丁寧な驚きの表現になる」と かかれていますが、このうち「静かで丁寧」という成分は「結婚していた!」と「結婚していましたか」の ちがいであって、「結婚していたんですか」と「結婚していましたか」の ちがいだとは みとめられません。ですから、「んです」によって あらわされているのは「驚き」だと しなければ つじつまが あいませんよね。

 ここでも、「驚き」の用法が「ある」ということを説明しておいたほうが、こういうときの表現のしかたを理解するうえで、わかりやすいのではないでしょうか。

●もちろん、わたしが ここで つかった「理由づけ」「説明」「関連づけ」「驚き」などは、別の用語に おきかえても いいし、それらを統一して理解できるような説明(Oyanagiさんが こころみているような)が あれば、もっと のぞましいと おもいます。気になるのは、Sakananomeさんは、どうも これらの用法が「ある」ということからして、ふれないように されているのではないかと おもわれる点です。この項目のコメントをずっと よんでいても「丁寧さ」という要素に すべてを還元しようと されているような印象をうけるんですが、わたしの おもいすごしでしょうか。



5 注意すべきこと

●つぎの点では、まえから一貫した主張が のべられていますね。

  ・「行きますか」と「行きませんか」との
   違いはとても小さいです。ですからほと
   んどの場面で両方とも使うことができます。
   使うか使わないか自分でかなり決めること
   ができます。

 「行きませんか」は「行くんですか」の まちがいだと おもいます。「行きますか」と「行くんですか」の対比だという前提で、コメントします。
 「どちらをつかうのか はなしてが自分でかきめる」というのには賛成ですが、その理由は「ちがいが とても ちいさい」からでは ないと おもいます。「ほとんどの場面」で両者が可能だということは そうかもしれませんが、「場面」と同時に「発話意図」まで かんがえれば、どちらかが適当だということも きまってくると おもいます。

  ・「んです」を使うと「軽い親しみ」を
   表現できますので、「んです」をでき
   るだけ使うようにしましょう。

4の最後のところで、わたしが のべた印象(すべてを「丁寧さ」という要素に還元しようとしている)は、この結論をみちびくためだったのかと、おもってしまいます。しかし、いつも「軽い親しみ」を表現「できる」か どうかは わからないわけだし、「軽い親しみ」が いつも適当かどうかも わからないのだから、「できるだけ使うようにしましょう」は余計ですね。

   「んです」を使うと「軽い親しみ」を表現
   できることがあります。
   それは、どんなときかと いうと〜

という かきかたをしてほしいと おもいます。



● ・「んです」を一つの文で2回以上使うと
   しつこくなります。
   「?きのうは熱があったんですが、2時
   間も勉強したんです。」
   はあまり良い文ではありません。

『新文化日本語』には、「大丈夫だと思ったんです。冷やしたんですが、まだ 痛いんです。」というのが本文に ありますが……。


● ・相手のことを聞く時は、とくに目上の
   人に聞く時は「んです」を使うと
   「もっとあなたのことを教えなさい」
   という意味になってしつこくなります。

一般論として「「行きますか」と「行きませんか」との違いはとても小さい」というふうに いいながら、この点については注意をするというところに、Sakananomeさんの言語観が よく でていると おもいます。「メウエ・メシタ」というような要素、「丁寧さ」という要素も たいせつだけれども、わたしに とっては「理由づけ」とか「おどろき」などの要素のほうが はるかに おおきな問題で、この種の問題は、逆に「とても ちいさい」ちがいだという感覚が あります。
 なぜなら、メウエであっても、「もっとあなたのことをおしえてください」というふうに質問しなければならないことは あるのであって、そういうときには「んです」が必要だからです。

 これは たしかに言語観の問題ですから、Sakananomeさんと あらそうつもりは ありませんが、わたしにとって「んです」は、「丁寧さ」の問題ではなく、あくまで「意味」に かかわる選択の問題として大切な領域です。「丁寧さ」に関することは、そこから副次的に でてくる、あるいは、「意味」に かかわる部分で適切に使用できなかったときに生じるトラブルとして とらえられることになります。



6 教え方

●これについては、コメントをひかえます。「んです」を「丁寧さ」の問題だとして とらえるのなら、その使用の適・不適をうまく説明することは たしかに むずかしいだろうし、「使用」の練習を教室活動に くみこむことも むずかしいかもしれません。
 しかし、各種の教科書に でてきている おしえかたのプランは、もうすこし ねられたもののように わたしには おもえます。



 それでは、失礼します。
akizuki.pr.co.kr/
▼関連発言

484:「んです」の教え方について(私案) Sakananome 01/06/06(Wed)
 ├489:「私案」を拝見して(訂正版) きんちょ 01/06/06(Wed)
 │├491:さらに訂正 きんちょ 01/06/06(Wed)
 │└517:Re: 「私案」を拝見して(訂正版) Sakananome 01/06/09(Sat)
 └494:柔らかい規則の練習。例えば「敬語」 01/06/07(Thu)
  └515:Re: 柔らかい規則の練習。例えば「敬語」 Sakananome 01/06/09(Sat)
   └516:説明がゆれすぎ。実践報告でしょうか。 01/06/09(Sat)
    └518:Re: 説明がゆれすぎ。実践報告でしょうか。.. Sakananome 01/06/09(Sat)
     └522:Re^2: 説明がゆれすぎ。実践報告でしょう.. 01/06/09(Sat) ←last


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