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No.495  スコープの「のだ」についての若干の学説紹介
発言者: きんちょ
発言日: 01/06/07(Thu) 22:01
 Oyanagiさんと やりとりをしている(471)「形態面をくみこんだモデル」に はじまる議論をこちらに ひっこししたいと おもいます。まず はじめに、いままでの議論の背景となる学者たちの研究の内容を簡単に紹介しておきます。




 「スコープ」に関する議論(おぼえがき)




 「のだ」「んです」に関して、「スコープの「のだ」」を「ムードの「のだ」」と区別する説を紹介しました。これに関連して、簡単に、現在まで どのようなことが議論されてきているのか、メモしておきます。


 このような掲示板で、専門家の いうことをいちいち そのまま引用することは けっして のぞましくないと おもいますが、あくまで議論をよんでくださる かたの参考のためということで、研究の ながれを整理するのが意図です。また、わたし自身も、今回の議論がなければ、ここに かくことは しらずにいたでしょう。そういう意味では、掲示板から えたことを掲示板に すこしでも還元したいという意図も あります。

 なるべく わたしの意見は まじえず、紹介に つとめるつもりですが、無理に要約するので、どうしても わたしの理解が介在するところが でてきてしまうかもしれません。そこで、そこからくる誤解をさけるために、末尾に わたしの観点が わかるような感想をつけくわえました。



● 久野ワ 『新日本文法研究』1983

 以下のような記述があるそうです。(いまのところ、『モダリティの文法』益岡 からの マゴびきです。すみません)

 日本語の否定辞「ナイ」と疑問助詞「カ」のスコープは
 極めて狭く、通常、その直前の動詞、形容詞、「Xダ/
 デス」に限られる (P.140)

この原則により、

 (5) 君はパリで時計を買いましたか。
 (6) *君はこの時計をパリで買いましたか。
 (7) 僕は終戦の年にはまだ生まれていなかった。
 (8)??僕は終戦の年には生まれなかった。

を説明し、(6)が非文なのは、焦点であるべき「パリで」が疑問の「カ」のスコープに おさまらないからで、(8)が非文なのは、焦点であるべき「終戦の年に」が否定の「ナイ」のスコープに おさまらないのに対して、(5)(7)の焦点は「買いました」「生まれている」だから、それぞれ「カ」「ナイ」のスコープに おさまるのだと主張したそうです。

 そこで、
 (9) 君はこの時計をパリで買ったのですか。
(10) 僕は終戦の年に生まれたのではない。
が文法的なのは どうしてかという はなしになり、「の」が付加されることで、これらの表現全体が「Xダ/デス」のXの部分に くみこまれ、スコープのなかに はいってくるからだと いうこうに なるようです。


● 小金丸 春美(野田 春美と同一人物)
 「ムードの「のだ」とスコープの「のだ」」
         1990『日本語学』9-3

 この論文は、1988年10月の日本語教育学会大会での口頭発表をもとにしているそうです。

 小金丸は、上記、久野の例文をひきながら、
(11) 君は、終戦の年に生まれたのか。
    いや、終戦の年に生まれたのではない。
(12)??いや、終戦の年には、生まれなかった。

について、(11)の応答の「生まれたのではない」のなかにある「ノ」は必須であるとし、このような「ノ」をふくむ「のだ」をスコープの「のだ」と なづけました。

 このスコープの「のだ」が あらわれる例文として、

  「琴の糸、何本ですか」
  さと子が答える前に、動転してしまったのはたみだった。
  「あ、何本だったかしら。やだ、何本だっただろ」
  「馬鹿、お前にきいてんじゃない」
  仙吉がどなり、さと子が、
  「十三本です」と答えた。 (向田邦子『あ・うん』)

という例をあげ、このなかに でてくる
 「お前にきいてんじゃない」は、
 「お前にきいていない」
とは ならないことをスコープのちがいにより説明します。後者は「きいている」ことを否定し、前者は「お前に」を否定するという ちがいが みられます。同様に、
 「私に聞いてるんですか?」
という疑問文や、
 「おまえに聞いてるんだ」
という肯定文でも、このようなスコープの ちがいが つかわれていると、主張するのです。

 さらに、「あ、買ったんじゃないよ、借りたんだ」というような文で「のだ」が必須であるのも、「買った」「借りた」という述語が焦点なのではなく、そのなかにある「買う」「借りる」という語義の実質部分だけを焦点に とりいれるので、このように焦点が述語より ちいさくなる ばあであっても「のだ」が必須だと主張します。

 このようなフォーカスの「のだ」が、ムードの「のだ」と別ものである論拠として、

 「お前に聞いてるんじゃないんだ」

という文が可能であることが あげられています。この文では、「聞いているんじゃ」の「んじゃ」に ふくまれる「のだ」は、スコープの「のだ」であり、文末の「のだ」はムード(状況との関連づけ)の「のだ」だと分析するわけです。このように、2種類の「のだ」は別々に あらわれることもあれば、ひとつの「のだ」が両方をかねることもある(たとえば、「さと子に聞いてるんだ」の「んだ」)、というのが、小金丸の主張です。


● 益岡 隆志 『モダリティの文法』1991

 益岡は、久野の「ナイ」と「カ」のスコープに関する説そのものをみとめていません。

(13) − 君は今日車で来ましたか。
   −×はい、来ました。

(14) − あなたは一生懸命働きましたか。
   − はい、働きました。

のように、疑問文には もともと ちがう種類のものがあり、「あなたは一生懸命働きましたか」のような「存在判断型」の文は、「事態が存在するか否かの判断にかかわる」もので、「君は今日車で来ましたか」のような「叙述様式判断型」の文は、「事態の叙述様式が適切であるか否かの判断にかかわるもの」だと します。
 そして、こたえかたの ちがいは、この2つの性質の ちがいによるもので、どちらの ばあいにも久野の説は なりたたず、「カ」のスコープは述語ひとつだけに限定はされないと主張するのです。

 益岡の主張によれば、「の(だ/です)」の有無と「カ」のスコープのひろさとは直接の関係はないということに なり、
久野や小金丸が観察した現象は、

  「のだ」が「存在判断型」の文を「叙述様式
  判断型」に かえる

ものと解釈できると おもいます。
 しかし、動詞文のなかには、「のだ」がなくても、「叙述様式判断文」に はいるものも あります。
 実は、久野(1983)も それと おなじことを みとめていて、それを「マルチプル・チョイス式」と よんでいるそうです。たとえば、

(15) 君は今日車で来ましたか。

と きけば、焦点は「車で」であり、「歩いて/自転車で/バスで/車で」といった具体的な選択肢が想定される疑問文や、

(16) 君は東京で生まれましたか、大阪で生まれましたか。

というような選択疑問文では、「カ」のスコープが述語だけに限定されないということを久野も例外として みとめているということです。
 久野においては例外であった これらの文を、スコープに関する久野の説をみとめない益岡は、例外としてではなく、「のだ」を必要としない「叙述様式判断文」だと みています。

 結局、益岡は、「のだ」がある疑問文と「のだ」がない疑問文をくらべて、「叙述様式判断の課題設定」を経て提示する疑問文かどうかという ちがいだと説明しました。つまり、もともと「叙述様式判断」の文に なっていなければ、小金丸が観察したような ちがいが観察できるでしょうが、もともと「叙述様式判断」の文に なっていれば、「のだ」の有無による ちがいは、「課題設定」をするかどうかという点に もとめられるわけで、それは「説明の「のだ」」と構造としては おなじだという結論に なるようです。

−−−−

● 感想

 さて、最後の益岡の説は、一冊の本になっているので、ここで簡単に要約することは困難です。あえていえば、Oyanagiさんの説明は、だいたい益岡の説に そったものだと いえそうなので、それを参照してもらったほうが いいかもしれません。ただ、ここで のこされた問題として、

・益岡の説をみとめるとしても、「叙述様式判断型」という文が形態面からは定義されていないので、日本語教育に どこまで応用できるかという問題が ある。

・おなじく、益岡の説については、「んです」ぬきの「叙述様式判断型」の疑問文(マルチプル・チョイス式の文ということになると おもわれる)と、それに「んです」が つかわれたときの ちがいが「課題設定」をへているかどうかの ちがいだというが、結局は おなじことに なるのではないかという疑問が のこる

という印象が いなめません。

 むしろ、すでに文脈や状況から「課題設定」されているときに、その「課題」が疑問文じたいのなかに とりこまれてしまっているのが、マルチプル・チョイス式の文に「んです」がついた疑問文だというふうに いえないでしょうか。

 逆に、教育上は、形態から きめて いける部分は、きめていったほうが わかりやすい部分があり、そういう意味では、小金丸の指摘は「こういう現象がある」というふうに うまく教育に いかせないかと おもいます。その目的のために、スコープの「のだ」をたてることにも意義があるように おもいました。
akizuki.pr.co.kr/
▼関連発言

495:スコープの「のだ」についての若干の学説紹介 きんちょ 01/06/07(Thu)
 ├496:Re: 若干の学説紹介につての私見 Oyanagi 01/06/07(Thu)
 │└525:ありがとうございます きんちょ 01/06/09(Sat)
 └504:Re: 小さなコメント Sakananome 01/06/08(Fri)
  ├506:ちゃんと こたえてからに してください きんちょ 01/06/08(Fri)
  │└509:Re: ちゃんと こたえてからに してください Sakananome 01/06/08(Fri)
  │ ├512:もうすこし確認させてください きんちょ 01/06/08(Fri)
  │ └513:●これでいいんですよね!確認 01/06/08(Fri)
  │  └593:Re: ●これでいいんですよね!確認 Sakananome 01/06/20(Wed)
  │   ├601:活用のちがいは、意味や機能の ちがい... きんちょ 01/06/21(Thu)
  │   │└614:Re: 活用のちがいは、意味や機能の ... Sakananome 01/06/23(Sat)
  │   │ └616:共通要素を抽出することからの「出.. きんちょ 01/06/23(Sat)
  │   │  └618:学校文法での あつかいについて .. きんちょ 01/06/23(Sat)
  │   │   └619:辞書でも「助動詞」 きんちょ 01/06/23(Sat)
  │   └622:コメントありがとうございます。 01/06/24(Sun)
  │    └624:筑波の『S.F.J.』の説明について きんちょ 01/06/24(Sun)
  │     └632:あること−ないこと 01/06/25(Mon)
  │      └633:Re: あること−ないこと きんちょ 01/06/25(Mon) ←last
  └524:引用の事実関係について きんちょ 01/06/09(Sat)


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