U.本論

 

 1. 先行研究

 

 本章では以下の作業を行うために参照した先行研究をまとめた。

 [ア]研究対象を定義する

 [イ]研究対象についての研究課題を設定する

 [ウ]研究課題を考察するうえで関連領域の知見を利用する

 [エ]研究課題を考察するうえで本稿が依拠する文法概念を取り出す

これらの目的によって参照した先行研究は異なっており、同じ研究であっても、目的によって参照している箇所は同一ではない。したがって、以下、この[ア]〜[エ]の順に先行研究を整理して記すことにする。

 

 

 まず[ア]については、寺村(1978a,1978b)、川越(1989)を参照した。以下、それぞれの論文で取り扱われている対象がどのように分類・定義されているかをまとめる。

 

 寺村 秀夫 

 寺村(1978a)は形式名詞の研究論文である。寺村自身のいいかたによれば、連体修飾の「底」として使われる名詞が「本来持っている実質的意味が希薄になり、次第にいわゆる形式化すると共に、名詞としての身分からはみ出して、多岐な構文的機能に分化するさま」を観察したものである。

 このような「多角的機能をもつ抽象名詞」のひとつとして、この論文で寺村は「ところ」をとりあげて、まず、A.実質名詞、B.接続助詞化した「トコロ(+助詞)」、C.文末心態助動詞化した場合の3種類にわけている。Aについては、

 a 場所
 b 単なる「場所」でないスポットライトを当てた全体の一部分

に下位分類している。Bについては、

 c 前節が表す事柄が起って、その結果……ということが分かった、という表現
 d 接続詞化。あるでき事、動作を、物事の進行の過程の一点として捉える
 e 「(イクラ)……(シタ)トコロデ」という句をつくる
 f 副助詞的

と、いうように下位分類し、c には「タところ」、d には「ところ+助詞」、f には「……どころか」という形式を対応させた。また、Cについては、「ル/テいる/タ/テいた+ところだ」を対応させている。

 そのうえで、同論文は「トコロ」に共通するのは「物事をある拡がりをもった線、軌道を進んでいく動き、移り変わりと見、その線上の一点を、必ずしもその全体をでなくても、少なくともその点の前後を視野において、そこにスポットライトを当てる」表現だということであり、さらに、話し手が「スポットライトを当てる」ような捉え方をしていることを相手に分からせようとする気持ちの反映だと結論づけている。

 

 寺村(1978b)は、いわゆる「形式名詞」の特徴づけとその本質について論じるなかで「ところ」を位置づけようとした論文である。寺村(1978a)の3か月後に同じ執筆者によって書かれたものなので「ところ」の用法の分類については内容がそれと酷似しているが、分類の基準はより明快になっている。

 寺村(1978b)は、「ところ」をまず、「前後の語句を変えても意味が一定している」かどうかによって分類し、一定しているものを実質名詞、そうでないものは「特定の構文的機能を担う」とした。また、それ以外に単独で助詞化したり、成句化したものを別扱いとした。

 「実質名詞」の下位分類は、意味と修飾成分の修飾のしかたとによって、具体的、抽象的、比喩的なものに3分されている。以下、例文をつけてその内容を列挙する。

 ◎〔指示的な用法〕「場所」「位置」
    ◇〔具体的〕:おもに「内の関係」で修飾される
                  ¶ここはコピーをとるところです。
    ◇(抽象的):おもに「外の関係」で修飾される
           ¶百メートルほど行ったところに野井戸があった。
 ◎〔比喩的な用法〕「全体の中の一部」
                   ¶ここがわたしのいいところだ。

「特定の構文的機能を担う」ものの下位分類は、構文的機能によっておこなわれ、大きく、副詞的に次にかかっていく要素をつくるもの、文末助動詞をつくるものに分けられる。前者はさらに、助詞をともなうものと、単独で副詞的にふるまうものに分類された。その詳細を例文をつけて列挙する。

 ◎助詞を伴わずに副詞的に次へかかっていく
          ¶警察が調べたところ…(中略)…がはいっていた。
 ◎助詞を伴うが、その助詞が書く表示の機能にとどまらず、全体として副詞的に
  次へかかっていく
    ◇「事態の自然な進展があるできごとによってさえぎられる」
       ・〔多くの動詞を伴う〕  ¶お忙しいところを邪魔します。
       ・「来ル、呼ビカレル、デクワス」などを伴う
    ◇「かりにあることが実現しても、目標に達するには不充分である」
             ¶模倣したところで程度は知れたものである。
 ◎「ダ」の類を伴って文末助動詞化する。「アスペクト的な事実の認定を承けて
  前後の文の流れ、あるいは事態・状況の中で、現在の焦点を当てる」
 ◎条件づけが先行する。「当然予想される状況がそうならない」
                 ¶普通なら即座に断るところだが……

なお、「単独で助詞化したり、成句化したもの」として分類されるのは、副助詞化した「……どころか」と成句化した「このところ」「ところで」などの語句である。これらは、寺村(1978b)の考察の対象からははずされた。

 

 川越 菜穂子 

 川越(1989)は「〜ガ〜トコロダ」という形式をそなえた文を「トコロダ文」と呼び、その性質について「情報のなわばり理論」との関連で分析をすすめた論文である。

 そこで分析対象としている「トコロダ文」の範囲を示すにあたり、川越は「トコロダ文」は「場所、場面、時点」の3つの解釈を持ちうるとしている。これら3つの解釈について、川越は次のように区別している。

 まず、「飛行機が飛び立つところだ」という文は2種類の構文分析が可能で、それは、

  a.〔〔〔飛行機ガ飛ビ立ツ〕トコロ〕ダ〕

  b.〔〔飛行機ガ飛ビ立ツ〕トコロダ〕

と書き分けられる。具体的には、この発話は滑走路のある地点を指さして言えばa.であるとみなされ、「トコロ」は「場所」とも「地点」とも言い換えられる。これに対して、「(今)、飛行機が飛び立つところだ」というふうに使うときがb.であり、この場合は「トコロ」を「場所」「地点」には書き換えられない。さらにa.ではいわゆる「がの可変」が成立し、「飛行機の飛び立つところだ」と言えるが、この形式でb.の意味にはならないとする。ここでのa.の解釈が「場所」、b.の解釈が「時点」の用法である。川越はさらに、飛行機が離陸しようとしている写真を見せたり、ビデオをみながら説明したりするときの発話として「(これは)飛行機が飛び立つところだ」というような場合、構造上はa.であるが「ところ」が意味するのは「場面」であり、「瞬間」などと言い換えることができる。この「場面」の用法は意味のうえでは「時点」の用法に似ているが、b.の構文と違うのは「これは」を前につけることができる点である。実際、「時点」の用法では「これは」とは共起しえない。

 さらにb.の構文がもつ特徴として、川越は主格を主題化する操作が可能であることをあげている。b.の構文、すなわち用法で言えば「時点」の用法のみが、

  b'.〔〔飛行機ハ〕〔飛ビ立ツ〕〔トコロダ〕〕

となりうるが、a.の構文に属する「場所」「場面」の用法では「は」が対比を表さない限り不可能である。

 川越(1989)には書かれていないが、「これは飛行機が飛び立つところだ」というふうに「これは」に伴われることができるのが「場面」の用法であるように、「ここは飛行機が飛び立つところだ」のように「ここは」に伴われることができるのは「場所」の用法であるということは明白である。

 以下、このことをくわえながら、川越(1989)による「トコロダ文」の3分類の分類基準を明確にし、なおかつ寺村(1978a;1978b)と対照させて表を作れば、次のようになる。

川越(1989)

本稿

寺村(1978a;b)

用法

構文

代替語

Sの

これは

Sは

発話状況

ここは

分類

機能

場所

「場所」
「地点」

×

×

場所の説明

実質名詞

指示的
具体的/抽象的

場面

「瞬間」

×

写真やビデオ

×

実質名詞

比喩的
全体の中の一部

時点

なし

×

×

眼前のでき
ごとの説明

×

形式名詞

文末助動詞化
現在の焦点

 【表の注記】
     構文:上記a.b.の直接要素分析を参照
    代替語:それぞれの用法の文中で「ところ」に代替可能な語
     Sの:「SがVところだ」から「SのVところだ」への書き換え
    これは:「これはSがVところだ」とすることの可否
     Sは:「SがVところだ」から「SはVところだ」への書き換え
    ここは:「ここはSがVところだ」とすることの可否
 文末助動詞化:「ダ」の類を伴って全体として文末助動詞化するという意味

 

 本稿で取り扱う「テいたところだ」の形式をもつ文は、川越(1989)のいう「時点の解釈」をうける「トコロダ文」に限られる。そのなかで「ところだ」に動詞の「テいた」が前接する形式を中心に扱う。これは、寺村(1978a,1978b)では、「ダ」の類を伴って文末助動詞化する形式名詞としての「トコロダ」の用法にあたり、「アスペクト的な事実の認定を承けて前後の文の流れ、あるいは事態・状況の中で、現在の焦点を当てる」とされたものと一致する。

 [イ]に属する先行研究の文献としてはうえに定義した用法での「テいたところだ」という形式をとりあげて記述をしたものを参照した。このようなものは多くはないが、鈴木(1972)、森山(1984)、寺村(1984)、川越(1995)にこの形式に対する論者の記述をみいだすことができる。また、学術文献以外では、『日本語文型辞典』(1998)の「ところだ」の項に「V−ていたところだ」という下位項目が立てられている。以下、それぞれの文献がどのように記述しているかをみていく。

 

 鈴木 重幸 

 鈴木(1972)は文法全般について概説した本であるため、ひとつひとつの項目についての記述が少ないのは当然であるともいえるが、「テいたところだ」の形式については「動作の進行中の状態であったことを表す」という以上の記述はない。

 

 森山 卓郎 

 森山(1984)も、制限された分量のなかで掲載された雑誌の特集のなかの一論文であるので、「テいたところだ」の形式についての記述は数行しかない。そこでは「シテイタトコロダは、アスペクト的には、とりあげた時、すなわち現在まで、シテイル形であらわされるような状態であっ事をあらわす。シテイル形の意味は、進行中が普通であって、結果の状態では少し不自然である。」と述べている。この説明のなかに森山自身が傍点をうって「現在まで…状態であっ事」と書いているが、この説明のなかにある「あった」がテンスとして過去に属するということをいうものであるのか、現在の時点で完了しているということを示すものなのか、そのどちらでもないのかといったようなつっこんだ分析は書かれていない。

 

 寺村 秀夫 

 上にみたようにすでに寺村は、寺村(1978a)で「物事をある拡がりをもった線と見、その線上の一点に、その点の前後を視野において、スポットライトを当てる」ことを「トコロ」に共通する表現だと指摘している。本書ではその認識をもとに、文末助動詞化した「トコロダ」は否定形にはならず、疑問の形も「実際には用いられない」こと、単に「雨が降っている」という進行のアスペクトを表すのに「雨が降っているところだ」とは言わないことなどをあげて、「動詞+ところだ」全体をアスペクト形式であるとするのは適当でないとした。寺村によれば、次頁の表のように、アスペクトを表すのは「ところだ」に前接する動詞の部分であり「ところだ」自体は説明のムード形式の一種である。だが、「ところだ」に前接する「テいた」については「過去の状態」という規定しか与えていない。

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 川越 菜穂子 

 川越(1989)では「トコロダ文」の分類を行い、「時点の解釈」となる文の意味と機能、用法上の制限について一般的な分析をしたものの、そのなかでの「テいたところだ」という形式の持つ特徴をとりあげての記述はされていなかった。「ところだ」と「ばかりだ」の比較を主題にしたこの論文では、心理動詞につく「テいたところだ」について説明を試みている。

 川越(1989)は「ところだ」について、あるできごとが発生した時点が「ところだ」に前接する動きのどの段階であるかを指定することが基本的な意味であるとし、それは「ところ」の名詞出身の性格が保たれているからだと論じている。そして、「ばかりだ」にはない用法として次の例文 1)のように心理動詞に「テいたところだ」の形式が使われることを指摘した。

   1)「君か。助かったよ。容易なことではここを通してもらえそうもないんで
    困っていたところだ。」

川越(1989)は、これら心理動詞に使われる「テいたところだ」の文については、厳密には「現在」の段階をいっているのではないとするが、その一方で「ところだ」が非過去形であるのはその発話が「テいた」が表す動きの段階に生起したできごと、つまり 1)においては「困っている」という段階に生起した「君が来た」というできごとの直後のものであり、完全に現在から切り離されないからであるとする。一方、「困っていたところだ」というように「テいたところだ」の形式がつかわれる理由は、「ふつう心理動詞はタ形で動作の完了としてとらえにくい」からだという。であるから「*困ったところだ」とは言わず、「困っていたところだ」と言わなければならないということだか、ここでの「テいた」が表す「動きの段階」についてのこれ以上詳細な説明はない。

 

 学術書以外では、『日本語文型辞典』(1998)が次のように説明している。

くわしくは後述するが、実際に文例を採取するとこの指摘があてはまることが多く、この記述は妥当であると思われる。そこで、なぜこのような文例が多いのかということを文法的に説明することが求められる。うえに紹介した先行研究では、その課題がじゅうぶんに解けているとは言い難い。

 たとえば、鈴木(1972)、森山(1984)の説明は最大公約数的で、『日本語文型辞典』での説明の後半にある「思考や心理状態を説明するような場合が多く、その状態に新たな変化・展開が起きたような場合によく用いられる」のがなぜなのかということがわからない。「思考」「心理状態」などを「現在」の時点で捉えたときに「新たな変化・展開」が見いだされるということが、『日本語文型辞典』が捉えた「テいたところだ」文の特徴である。「動作の進行中の状態であったこと」「現在まで進行中の状態であったこと」という説明は、その特徴を記述するために踏み出そうとしておらず、発話時の直前の事態について演繹できることを消極的に述べただけである。これでは「テいたところだ」の形式が持つ、他の形式が持つのとは異なった文法的な性質が何なのかを明らかにはできない。

 寺村(1984)は、「ところだ」に対して「そういう段階にある、という状況の説明」であるという「説明のムード形式」という規定を与えている。このことにより、「テいたところだ」が話者が発話時「現在」においてとらえた状況に焦点をあてて、なんらかのアスペクト的な特徴を表現しているということに対しては文法的な説明が与えられた。しかし、そのアスペクト的な特徴がどのような性格のものであるのかについては、じゅうぶんに解明されていない。「ところだ」に前接する「テいた」の形式について「過去の状態」というだけの規定では、『日本語文型辞典』に示されているような「テいたところだ」に顕著な文例の特徴を説明することは難しい。また、寺村自身が「ところだ」について述べたように「過去の状態」とはいっても、「テいたところだ」が示しているできごとは「テいるところだ」が表すことのできる現在のできごとの時間を過去に置き換えたものではなく、むしろあるできごとを現在の時点で把握したときのすがたである。

 寺村(1984)は、上記の表において「ところだ」が後接する以前の素材としての「〜スル」「〜シタ」「〜シテイル」「〜シテイタ」が本来持っているアスペクトの性格を示したのであって、それが「ところだ」と一体化したときに全体として表すアスペクトを表現したのではないのだろう。しかし、一方で寺村は「アスペクト(進行過程の中の段階)を表すのは、トコロダに前接する動詞の形であって、〜トコロダ全体ではない」と書いているのであるから、素材として本来持っているアスペクトの性格と、「ところだ」がついて全体として帯びることになるアスペクトの性格が一致しないのであれば理論が一貫していないことになる。また、ここでアスペクトといいながら「過去の状態」というのは、テンス概念をしのびこませたことにならないであろうか。ここには何か整理し切れていない問題が残されているのである。

 川越(1995)も、ある時点が「ところだ」に前接する動きのどの段階であるかを指定することが「ところだ」の機能であると論じることで、それが焦点をあてている部分が「直前までその動作がつづいていたことを示すと説明したのではわかりにくいだろう」とかいている。ここで「動きのどの段階であるか」と書いてあることは、寺村(1984)が「アスペクト的段階」と表現したことと同じである。しかしここでも、「テいたとこだ」が示す「動きの段階」についてくわしい言及はない。

 「テいたところだ」は「テいたところだった」とちがい現在から完全に切り離されないと川越は言うのであるが、それでは「テいるところだった」と比べたときはどうなるのだろうか。川越があげている 1)の「困っていたところだ」は「困っているところだった」としても不自然な文にはならない。実際、川越(1995)には、 1)をパラフレーズすると「君が来てくれたのは、ちょうど私が困っているところだった」となるとある。この説明からは「テいたところだ」と「テいるところだった」の違いが明瞭であるとはいえない。

さらに、話者をとりまく状況が同様の場面で、

   2)「君、よく来てくれたね。実は、容易なことではここを通してもらえそうも
    ないんで、困っているところなんだよ。ちょっと助けてくれないか。」

などと言うこともありうるだろう。この時、「困っている」は発話時現在の心境を語っていると理解することができるが、仮に発話時現在も「困っている」という前提で考えても「困っていた」と言いかえることができそうであるし、そうである以上、反対に「困っていた」と言ったからといってもそれが「厳密には現在でない」と常に言えるわけではない。このような場合も含めて、「テいたところだ」の文を説明するためには別の接近方法が必要なのではないだろうか。

 以上の先行研究を読んで感じることは、「テいたところだ」の文法的性格を明らかにするためには、

 @.「ところだ」に前接する形式
 A.「ところだ」自体
 B.「ところだ/ところだった」の対立のような「ところだ」の活用形式

という、これを構成する3者がどのような役割関係で結合しているかをよくみる必要があるということである。この3者それぞれの位置における形式が、どのようにテンスやアスペクトに関わっているかをみないと、他の形式とのつじつまの合う説明をすることは難しい。

 そこで本稿では、「テいたところだ」文という研究対象について、以下の研究課題を設定する。

 [1]「ところだ」に前接する形式がアスペクト的段階を表すとする寺村 (1978a,
   1978b)や川越(1995)の説が、「テいたところだ」の形式の文においても成り
   立つかどうかを検証する

 [2]「テいたところだ」文においても「テいた」がアスペクト的段階を表すとすれ
   ば、それが表す「動きの段階」、すなわちアスペクトの性格がどんなもので
   あるのかを解明する

 [3]解明した「テいた」が表すアスペクトの性格と「ところだ」の機能から、「テい
   たところだ」文において「思考や心理状態を説明するような場合が多く、その
   状態に新たな変化・展開が起きたような場合によく用いられる」という特徴を
   文法的に根拠づける

 [4]以上の接近方法により、「テいたところだ」と「テいるところだった」などの類似
   してみえる表現の相違点を明らかにする。

 以上の研究課題について関連する周辺領域の研究が、うえに先行研究のなかで[ウ]に属するとしたものである。具体的には川越(1989)、工藤(1995)、藤城(1996)、益岡(2000)を参照する。以下、それぞれの論考から参照する部分を要約して紹介する。

 

 川越 菜穂子 

 上記[ア]に属する先行研究としても挙げた川越(1989)は、その本論で「時点の解釈」をうける「トコロダ文」一般についての考察を行い、以下の点を明らかにしている。

 1.「ところだ」は先行成分のテンス・アスペクト表示形式のいかんにかかわらず、
   発話時の瞬間的現在を示す

 2.「テいるところだ」「テいるところだった」の先行成分は恒常的状態(「結果の状
   態」をふくむ)や習慣的動作ではなく、一時的状態/動作を表すものでなけれ
   ばならない

 3.「ところだ」の先行成分に否定形は取られない。また、「ところだ」自身も否定形
   にはならない

 4.「ところだ」は会話において話し手が発話時の状況を聞き手に伝えるムードの
   形式であり、「ところだった」は地の文(物語文)において指定されたある瞬間
   における人や物の状況を描写する形式である。それ以外の用例は非常に少
   ない。

 5.「ところだ」の文が伝える情報は、話し手のなわばりのみに属する。

 6.「ところだ」の文が伝える情報は、話し手がその状況の段階の把握をしている
   ものでなければならない。

これらの特徴は、「テいたところだ」の形式のときにも変わらないものであるとされている。本稿では、上記研究課題[1]に関連して、この先行研究の成果を参照した。また、研究課題[3]においても、「ところだ」が前接する内容に要求する性格をみるうえで、この先行研究の成果を参照した。

 

 工藤 真由美 

 工藤(1995)は現代日本語の時間の表現をテクストの種類を区別しながら論じているものだが、そのなかで「テいた」という形式の一般的な用法について整理している。

 工藤(1995)はこの本で、主文の述語としての「テいた」の形式と、複文構造の従属節での「テいた」の形式をわけて分析しているが、まず前者の主文の述語としての「テいた」の分析について、「テいた」の用法の分類を、研究課題の[1]に関連して参照した。

 同書によれば、「テいた」には、事実確認的(叙実法的)な過去のテンスの用法と叙想法的(モーダル)に現在のことをあらわす用法がある。このうち叙実的な過去のテンスの用法についてみていくと、大きく分けて<継続性><動作パーフェクト性><反復性>の3種類のアスペクト用法に分類できるとされている。次に叙想法的な用法であるが、「テいた」の形式でつかわれるのは<発見・想起>の用法があるとしている。これらは工藤(1995)が論じる「アスペクト・テンス体系」のなかで論じられるべきことなので、[エ]に属する先行研究をまとめる項において詳細を記すことにする。

 くわしくは後述するが、本稿では、本稿で取り扱う「テいたところだ」の文における「テいた」が表すアスペクト・テンスの性質は、工藤が主文の述語としての「テいた」形式を分類したこれらのどの用法にも属していないと考える。よって、「テいたところだ」の文における「テいた」をテンス対立から解放されたアスペクト表示の機能をになうものであるとの結論に至る。

 そこで、研究課題の[2]においては、工藤(1995)において複文構造の従属節でのテンス・アスペクト体系を論じた部分が参照された。工藤は「時間の従属複文」において、うえと同様にテンス対立が中和される現象をみとめているからである。工藤は「時間の従属複文」の分析にあたり、<共起><後続><先行>のタクシス(出来事間の時間関係)の分類と、<絶対的テンス><相対的テンス><アスペクト>の3種類の対立の位相を区別して、その仕組みを論じている。そして従属節における「テいた」の形式については、<絶対的テンス><相対的テンス>を表しながら<同時>タクシスである例と、<相対的テンス>での「以前」を表しながら<先行>タクシスである例を示している。本稿では、そこでつかわれた概念を参照しながら、「テいたところだ」のなかでの「テいた」がどこに位置するかについて論じる。

 さらに「叙想法的(モーダル)な用法」についても同書を参照した。工藤(1995)は「叙想法的用法」あるいは「モーダルな用法」として、「テンス形式と時間的意味との、基本的な対応関係が変容し、現在あるいは近未来のことを、シタ、シテイタという過去形で表現し、逆に、過去のことを、スル、シテイルという非過去形で表現することが起こってくる」ことを認めている。それらの例を表にまとめると次の表のようになる。

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 このうち、「タ」あるいは「テいた」の形式が関係するのは、「感情・感覚表出」「差し迫った要求」「発見、想起」である。それぞれの例をあげると、次のようになる。

 ●「感情・感覚表出」:「あーあ、腹が減ったなあ。」「そいつは困りましたなあ。」

 ●「差し迫った要求」:「さあ、行った行った」「ちょっと待った」

 ●「発見、想起」  :「ほら、やっぱり起きていた」「きょうもきていたの、君は」

また、表の中の「動詞のタイプ」の欄に書かれている「内的情態動詞」の定義については、[エ]に属する先行研究の項で後述する。なお、うえの表で工藤(1995)が「シタ」と表現しているのは「タ」の形式をもつもののなかでも、いわゆる動作性の動詞のタ形をさしているのであり、「テいた」の形や、いわゆる状態性の動詞のタ形を含まない。

 本稿では、工藤(1995)のいう「叙想法的(モーダル)な用法」についての考えを、研究課題の[3]において「テいたところだ」の文の「テいた」が叙想的な性質をおびる場合についての解釈をするために参照した。また、[4]の研究課題において、「テいるところだった」の形式の文における「タ」が叙想的に使われる条件を満たしているかどうかを考察するためにも、この先行研究を参照する。

 

 藤城 浩子 

 藤城(1996)は、「テいた」の派生的意味として、できごとを感知したときの感知者の視点を表すという機能について考察したものである。このような機能が働くのは「テいた」が「新しい視野が広がったと考えられるとき」と「話者ができごととを外から感知したものモノとしての提示し、できごととの接点のありかたを示そうとするとき」であるとした。このような「テいた」の機能は、基本的にはアスペクト的な対立を表す「タ」と「テいた」にムード的な要素が関わってくる側面があることを明らかにしている。

 この論文で扱われている「テいた」の文は、過去におけるできごとを描写するときの視点の表しかたに関わるものであり、現在の状況に焦点をおく「テいたところだ」の文とは直接、関係がないが、「テいた」がムード的な機能をもつことを示している点で、研究課題の[4]に関わっている。

 

 益岡 隆志 

 益岡(2000)に収められている「第3章 叙想的テンスについて」は、一般に過去を表すとされる主節の述語に現れた「タ」という形式が必ずしも過去を表さない「叙想的テンス」と呼ばれる用法について事例を分類した後、考察を加えたものである。

 益岡(2000)はこのなかで、この叙想的テンスの「タ」を次の6種類に分類している。

   a.発見(ああ、こんなところにあった。)
   b.想起(そうだ、明日は休みだった。)
   c.確認(君は確か岡山の出身だったね。)
   d.命令(さあ、行った、行った。)
   e.判断の内容の仮想(早く帰ったほうがいいよ。)
   f.反事実性(僕に財産があったなら、何でも買ってあげられるのに。)

そして、a.b.c.は、「過去に焦点を当てるためにタが使用される」とし、d.e.で「タ」が用いられるのは「完了を表すため」であるとの結論を出している。さらにf.については、「過去性と反事実性との関連性による」という見解を提出した。

 前述の工藤(1995)での「モーダルな用法」と比べると、工藤が「差し迫った要求」としたものが「命令」にあたり、工藤が「発見、想起」としたものが「発見」「想起」「確認」というように別々に分類されている。また、工藤が「感情・感覚表出」としたものは、ここには見当たらない。これは、何を「叙想法的」であるとみるかの違いであると同時に、工藤(2000)では用法の意味を分類するまえに、その用法で使われる動詞のタイプや構文的条件によって分類をしているためであると思われる。

 本稿では、[4]の研究課題において「テいたところだ」の文の「テいた」が叙想的な性質をおびる場合についての解釈をするためと、「テいるところだった」の形式の文における「タ」が叙想的に使われる条件を満たしているかどうかを考察するために、この先行研究を参照する。

 さて、上記(A)の工藤(1995)のところで述べたように、アスペクト・テンスに関する概念や動詞分類の基準は、その一部だけを先行研究からかりてきて都合のいい部分だけを使用するというわけにはいかない。それらが一体となって体系をなしているからである。一般にテンスとは、表現しようとするできごとが外的な時間軸の上でどの位置にあるかということを指す概念で、アスペクトとは、できごとの内的な展開の軸の上でどの局面を表現しようとしているかということがらを指す概念であるといわれている。しかし言語表現のなかでは現実には両者は混じり合った形で存在する。そこで論者によりさまざまな定義がなされることになると思われる。ここでは、アスペクト・テンス体系に関する先行研究のうち本稿のテーマに関係する部分のある代表的なものをあげたうえ、本稿で採用する見解を明らかにさせておきたい。

 

 寺村 秀夫 

 寺村(1971)は、一般に過去形をつくるといわれる「タ」のさまざまな側面を考察したものである。このなかで寺村は、「きのうは昼飯を食べた」という文のテンスが過去であるのに対して「もう昼飯を食べた」という文のテンスは現在であり、「タ」は完了のアスペクトを表示するものだと論じている。

 

 鈴木 重幸 

 鈴木(1979)は、寺村(1971)を批判し、上記のふたつの「タ」をどちらも「単なる過去である」と認めるべきであり、なおかつアスペクト的には完成相であることに変わりはないと論じた。これは、テンスの意味とアスペクトの意味が排他的に存在するのではなく、両者がとけあって現実の文のなかで表現されていることからきている。

 

 寺村(1971)が指摘した二つの「食べた」の違いは重要であるが、それをテンス・アスペクト体系のなかでどのように位置づけ、表現するかは、「テンス」および「アスペクト」の定義次第であるといえよう。しかし、「テいたところだ」とそれに近似する文型の異同を調べるにあたっては、上で寺村(1971)が指摘したような二つの「食べた」の違いに相当する区別は重要である。そこで、鈴木の批判を踏まえてこの違いをアスペクト・テンス体系のなかに位置づけた研究に工藤(1995)がある。

 

 工藤 真由美 

 前述したように、工藤(1995)は現代日本語のアスペクト・テンスの表現をテクストの種類を区別しながら体系として論じているものである。そこではまず、以下のような動詞の分類がされている。

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これは、金田一(1950)が「状態動詞」「第4種の動詞」と呼んだものを「静態動詞」としてひとつにまとめ、「継続動詞」「瞬間動詞」と呼んだアスペクト対立のある動詞を「外的運動動詞」としていったんひとまとめにしたものである。工藤(1995)は、思考・感情・知覚・感覚に関する動詞はアスペクト対立が典型的にはあらわれない動詞であるとして、この「静態動詞」と「外的運動動詞」の中間的なカテゴリーである「内的情態動詞」という分類に属せしめた。

 次に、「外的運動動詞」の下位分類であるが、金田一(1950)において「継続動詞」「瞬間動詞」に分けられていた分類を<主体動作動詞><主体動作・客体変化動詞><主体変化動詞>の3種類に分類しなおしている。これは、奥田(1977)が金田一(1950)の「継続動詞」を「主体の動作をあらわす動詞」、「瞬間動詞」を「主体の変化をあらわす動詞」であると定義しなおしたことを承けて、さらに受動態が「テいる」形をとるときのアスペクトに対する考察を加味して分類を試みたものである。工藤は、<主体動作動詞>と<主体動作・客体変化動詞>をあわせて<動作動詞>と呼び、これは能動態の「テいる」形で動作継続を表す。また、<主体動作・客体変化動詞>の受動態と<主体変化動詞>は「テいる」形で結果継続をあらわす。工藤は<主体動作・客体変化動詞>と<主体変化動詞>をあわせて<内的限界動詞>と呼んでおり、奥田(1977)とは異なり<変化動詞>と言うときにも、この<内的限界動詞>と同義に使っていることがある。

 以上の分類を表にまとめると、次のようになる。

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 前述したように「テいたところだ」には工藤(1995)のいう「内的情態動詞」が現れることが多い。これは「内的情態動詞」のアスペクト・テンス的な特徴が関係していると予想される。そこで本稿ではこのような特徴を捉えるために、この工藤(1995)の動詞分類を採用する。

 次に、アスペクト・テンス体系の概念構成であるが、工藤(1995)は一回性の動きについて<完成性><動作パーフェクト性><継続性><単なる状態>、繰り返される動きについて<反復性>というアスペクト的な意味を設定し、「はなしあい(会話)」の終止形の文においては、それぞれの設定時点がどこにあるかによって<過去><現在><未来>のテンスを区別している。これらのアスペクトとテンスのとらえかたを一部、概念図で描けば次のようになる。

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 以上のように工藤(1995)ができごとのおきる時点とは別に「設定時点」というものを設け、その設定時点に従ってテンスを区別することによって<パーフェクト>という捉え方を可能にしている。さきほどの「もう昼飯を食べた」という例についてみると、「食べた」というできごとが<過去>に属することは疑いの余地がない。しかし、これを単純な<過去完成相>の表現であるとすれば、この文全体の否定が「昼飯を食べなかった」ではありえず、「まだ昼飯を食べていない」としなければならないという事実や、「さっきはまだ食べていなかったけど、いまはもう、食べました」などというように「食べた」というできごとの時点を表す時の副詞句と共起せず、「今は」などと共起することもあるという事実を見過ごしてしまうだろう。このような「もう昼飯を食べた」における「タ」のアスペクト・テンス的な性質は「もう昼飯を食べている」における「テいる」のそれと共通であり、「タ」「テいる」それぞれの用法のなかの一部に重なる部分がある。その重なっている部分のアスペクト・テンス的な性質を、それぞれの形式の他の用法から区別して呼ぶために、<現在パーフェクト>という区分が必要になってくるのである。

 工藤(1995)によれば、<現在パーフェクト>には<動作パーフェクト相現在>と<状態パーフェクト相現在>があり、後者は<結果継続相現在>というのと同じことを指している。<結果継続>であるところの<状態パーフェクト>が、「テいる」の形式で変化動詞 について動詞の表す動作や変化の結果として「主体や客体に必然的にあらわれざるをえない変化の直接的な<結果>」を<現在>の設定時点から捉えているのに対して、<動作パーフェクト>は、「タ」あるいは「テいる」の形式で「運動動詞すべてが表す偶然的な間接的な効果」すなわち<効力>を<現在>の時点から捉えているものである。そこで、「もう昼飯を食べた」のような文は<現在パーフェクト>のなかの<動作パーフェクト>として分類されることになる。以上のアスペクト・テンス体系とそれを表す形式との関係を図示すれば、次頁の表のようである。

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 なお、工藤による<動作パーフェクト>の詳細な定義は、以下のとおりである。

  @発話時点、出来事時点とは異なる<設定時点>が常にあること。

  A設定時点にたいして出来事時点が先行することが表されていて、テンス的要素
   としての<先行性>を含んでいること。

  B運動事態の<完成性>とともに、その運動が実現した後の<効力>も複合的
   に捉えていること

工藤(1995)は、<動作パーフェクト>のテンスを設定時点がどこにあるかによって決めているが、そのことについて同書は、

と述べている。しかし、それとは別に設定時点によってテンスをとらえることにはテクストを分析するときの視点からの要請も含まれている。同書には

ともある。ここでいう「出来事間の時間関係」は「タクシス」と呼ばれるもので、テキストのなかでの時間的展開順序を指す。結論からいえば、通常のテキストでは、スル・シタの<完成相>が<継起・前進性>を表し、<継続相>のシテイル・シテイタが<同時性>を表している。これに対して<動作パーフェクト相>は<一時的後退性(フラッシュバック性)>を示すタクシス機能を持っているとされる。ここで示されている<継続相>と<パーフェクト相>とのタクシス機能の違いは「テいたところだ」の文を分析する際にも重要な意味をもつ。それはただちに「テいたところだ」が<動作パーフェクト>の形式であるということではないが、後述するように、この<動作パーフェクト>を特徴づけている<一時的後退性>は「テいたところだ」の文型をつかった文にも現れているからである。

 本稿では、その基礎的な概念を工藤(1995)に依拠して使用した。その理由は、後述するように、工藤(1995)の体系のなかで<パーフェクト>というテンスとアスペクトを複合的にとらえる概念が提出されており、その概念が「テいたところだ」の性質を考察する上で有用であるからである。同時に、そのこととも重なるが、アスペクト・テンスの分析を行ううえで「タクシス」という「出来事間の時間関係」をみる視点が導入されており、これも「テいたところだ」文の特徴をとらえ、他の形式との弁別特性をとりだすのに有効な考え方であったからでもある。

 以上が工藤(1995)の考える基本的なアスペクト・テンス体系である。なお工藤がこのほかに「叙想法的(モーダルな)用法」を設定していることは、すでにのべた。