本論文で用いた「途切れ相」という用語は、当初「切断相」と名付けていたのを指導教授の金玉英先生に言葉が強すぎるので書き換えるように言われて誕生しました。この「途切れ」という言葉を探し出すまで、2日くらい考えあぐねたことを覚えています。
そのとき、ふと頭に浮かんだのは意外なことに韓国語の知識でした。韓国語では、泥酔した翌日、前日の記憶がなくなってしまった状態を「フィルムが切れた(
)」と表現します。この表現のイメージが、わたしがアスペクト対立のなかにおかれた「テいた」が表す文法的意味であるとして考えていたこととぴったり重なったので、「途切れ相」と言い換えることにしたのです。
この「途切れ相」のアイディアは、もともと大学院のゼミでの発表資料の中に書かれていた例文に目が止まったことから生まれました。釜山大学大学院に同期で入学した金奈映さんが「ところ」と「ばかり」の違いについて発表したときの資料の例文に、「今、先生の話をしていたところです」という文があり、それを見ながら「なぜ、『今、先生の話をしているところでした』ではないのだろうか」と思ったのがきっかけでした。私はこの疑問を、いつもインターネットの掲示板で日本語文法の問題について議論をしている仲間にぶつけてみました。「『ところ』の前はアスペクト表示がくるはずなのに、『していた』という『過去形』が現れるのは何故なのか」と問題提起したのです。その際、この論文の元になる貴重な意見を多くの日本語教師の皆さんからいただいたことを、この場を借りて感謝したいと思います。特に、議論の場を提供してくださった大内泰夫さん(http://www.geocities.jp/yassan0518/)と、『していたところ』の『タ』を「確認のムード」として解釈するという有力な説を提供してくださった小柳昇さん(http://www3.tky.3web.ne.jp/~oyanagi/)には大変お世話になりました。
こうして形を得た考えを最初に発表する機会を与えてくださったのは、金昌奎先生のゼミでした。インターネットでの討論をもとに金奈映さんの発表のあと数週間後に金昌奎先生のゼミで発表した内容が、本論文の骨子となっています。その際にも、中間発表や本審査の際にも金昌奎先生には貴重な御指導をいただきました。
論文作成の段階に入ってからは、指導教授の金玉英先生に何回となく御指導いただき、そのたびに的確なアドバイスを頂戴しました。きちんとした語学の論文を書いたことがない私が、本論文を論文の体裁に整えることができたのは、ひとえに金玉英先生の御指導があったればこそであります。実をいえば指導を受けた瞬間には些末なことを指摘されたように感じたこともありました。ところが、それをいわれたとおりに書き直してみると、文章が整うだけでなく、自分の考えまでも明確に整理されていくのを実感したことが一度ならずありました。先生の隻眼に恐れ入った次第です。
論文執筆の過程では、他にもたくさんの方のお世話になりました。予備調査のためのアンケートに協力してくださった外語ビジネス専門学校の職員、生徒のみなさん、要請を取り次いでくださった北井詠美子さん、インターネット上でのアンケートに回答してくださった皆さん、それから、快く文献の抜き刷りを送ってくださったうえ、心和むコメントを添えて下さった帝塚山学院大学の川越菜穂子先生、どうもありがとうございました。
そして、論文審査の際には遠方よりお越しいただき、穏和な表情で声をかけて私を落ち着かせてくださった趙
煕先生、私の発送が遅れて論文が届かなかったことも許していただき、申し訳なくも有り難く思っております。
末尾になりましたが、大学院在学中に多くのことを学ばせていただいた高陽柱先生、柳
和先生、呉京煥先生、盧仙淑先生にお礼を申し上げます。また、同期でただ一人日本人であり、男性であった私を特別扱いせずに受け入れてくださった同級生や、諸先輩、後輩たち、そして中年を迎えてもなお学校に通いたいという私のわがままをきいて、援助までしてくださった両親に感謝の意を捧げたいと思います。
どうもありがとうございました。
2001年12月10日
秋月 康夫