本章では、前述の研究課題
[1]「ところだ」に前接する形式がアスペクト的段階を表すとする寺村 (1978a,
1978b)や川越(1995)の説が、「テいたところだ」の形式の文においても成り
立つかどうかを検証する
を解明するために、「テいた」の文と「テいたところだ」の文の異同を調べ、後者における「ところだ」の機能を明らかにする。
すでに寺村(1984a;1984b)では、「ところだ」が発話時現在に焦点をあてて「そういう段階にある、という状況の説明」をする「説明のムード形式」であることが述べられ、川越(1989)では、「トコロダ文」の「ところだ」は「先行成分のテンス・アスペクト表示形式のいかんにかかわらず、発話時の瞬間的現在を示す」機能をもつとされている。しかし、これらは「時点の解釈」をうける「ところだ」全般について検討されているだけで、「テいたところだ」の形式について帰納的に分析したものではない。また、「テいたところだ」では「ところだ」の先行成分に「タ」が含まれ、この先行成分については、寺村(1984b)のように「過去の状態」という規定がされたこともあり、従来から、はたして「ルところだ」「テいるところだ」「タところだ」のときと同じようにうえにあげた性質が保たれているのか判然としていない部分があった。本章はそこで、「テいたところだ」の文のみについて「発話時の瞬間的現在を示す」形式であると言えるのかどうかを改めて検証するものである。
「テいたところだ」における「ところだ」の機能を調べるために、その有無における異同をさぐってみる。以下、a.,b.によって次の文型を表示する。
a.−テいた
b.−テいたところだ
まず、テンスとアスペクトについて、a.とb.の用法の幅の違いを考えてみる。
工藤(1995)によれば、a.−テいた には、叙実法的な用法と叙想法的な用法がある。このうち叙想法的な用法については後述することとし、まず叙実法的な用法についてみていくと、大きく分けて<継続性><動作パーフェクト性><反復性>の3種類のアスペクト用法に分類できるとされている。これをU.1.にあげた表からぬきだして表示すれば、以下の表のようになる。

このように叙実法的な「テいた」の3用法は、すべて「過去」のテンスに属せしめられている。このなかで、文脈の中でのできごと間の時間的関係をあらわすタクシスは、<継続性>のアスペクトのときも<反復性>のアスペクトのときも、基本的に<同時>を表しているの対して、<動作パーフェクト性>のアスペクトは<一時的後退>のテキスト的機能をはたしている。以下、これを具体的にみていく。
「テいた」が<継続性>を表す用例は以下のようである。
1)かれは、追われるように崖に近い岩陰にとび込んだ@。その狭い空間には、
多くの兵と住民たちが身をかがめていたA。兵の一人が、子どもを抱いた女
に銃をつきつけていたB。「いいか、子供が泣いたら殺すぞ。敵に気づかれれ
ば、火炎放射器で全員がやられるんだ」
女は、機械的にうなずきつづけていたC。《ア》
ここでAとBは<結果継続>、Cは<動作継続>とみられるが、これらは、テクストにおいて過去に設定された時点である@との同時性を示している。
次に<反復性>の用法であるが、この場合も文脈により設定され、焦点となっている他のできごとの時点に対して時間的に拡大された同時性を示す。たとえば、以下の 2)では、「挨拶した」というできごとを包み込むように「呼んでいた」という、「お延」と「正太」の関係性が背景に存在したということがわかる。このような<背景的説明性>をもつことが、この用法の特徴である。
2)「兄さん、いらっしゃい」とお延は正太に挨拶した。従兄弟同志の間では
あるが日ごろ正太のことを「兄さん、兄さん」と呼んでいた。《ア》
次に<動作パーフェクト性>の用法であるが、この用法は、焦点となっているできごとに対する同時性を示さない。
3)明くる日、私は彼の机に近寄って、その番組の話をしたD。彼も番組を
見ていたE。《ア》
ここでは、叙述が進行していく時間の流れに逆らってEが、過去に設定された時点であるDに対する一時的後退性を示している。これは工藤が<過去パーフェクト>(設定時点が過去である<動作パーフェクト>)と呼ぶものである。
このように、工藤(1995)による分類では、「テいた」が<後退性>のテキスト的機能をみせるのは、<過去パーフェクト>のときであるとされている。しかし、「テいた」が一時的後退性をみせるのは、この限りではない。会話において頻繁に使われる文型に以下のようなものがある。
4)すてきですね。前からこんなネクタイがほしいと思っていたんです。《ブ改》
5)「本をさがしているんですか。」「ええ。弟がほしがっていた日本の本をさが
していたんですが、ここにはないようです。」
6)そのとおりです。僕もさっきから同じことを言おうとしていました。《イ改》
工藤(1995)は、これらの文について特に言及していないが、これらは、
[1]設定時点が過去ではなく、発話時現在であると考られる
[2]「思う」「さがす」「言おうとする」などの動詞が表す事態の<完成性>と<効力>
とがはっきりと分離しておらず、過去において「思っていた」「さがしていた」「言おう
としていた」という事実の<効力>は現在や近い未来においても「思っている」「さ
がしている」「言おうとしている」に違いないという、<断続的進行>として捉えられ
ている
という2点で、<過去パーフェクト>とは異なっている。これらの文は現在テンスの会話の中にはさまれており、過去における事態と設定時点である現在の状態とを複合的に表現していることは<現在パーフェクト>と共通であるが、
[1]これらの文の「テいた」を「テいる」に書き換えれば、<動作継続>を表してしまう
[2]これらの文には「思いおわった」「さがしおわった」「言おうとしおわった」というよう
な完了のニュアンスは現れない
[3]したがってこれらの文の「テいた」を「タ」には書き換えられない
という点で、<現在パーフェクト>とも異なっている。そこで、 4)〜 6)のように現在に対する後退性を示す性質を仮に<途切れ性>、それを具現する形式を<途切れ相>と呼ぶことにして 7)のような<動作パーフェクト>の例から区別しておく(1)。これを図示すれば、次の表のようになる。
|
|
完成相 |
継続相 |
パーフェクト相 |
途切れ相(2) |
反復相 |
|
現在 |
/ |
テいる |
テいる タ |
テいた★ |
スル テいる |
|
過去 |
タ |
テいた |
テいた |
|
テいた タ |
|
|
↓ |
↓ |
↓ |
↓ |
↓ |
|
タクシス |
継起性 |
同時性 |
後退性 |
背景的同時性 |
|
|
【表の注記】 ★が、「テいた」の<現在に対する後退性>の用法 |
|||||
最後に叙想法的(モーダル)な現在の用法とされるものがある。それは以下のような<発見・想起>の用法である。
7)「ほら、やっぱり起きてた。」 《ア》
8)「きょうも来ていたの、君は。」 《ア》
9)「おれ、おふくろから菓子を頼まれていた」と、いまそのことを思いだしたよう
に言った。
《ア》
これらが 4)〜 6)と異なるのは、 7) 8)のように事態が眼前の事実として<継続>していたり、 9)のように<効力>の限界がはっきりしている点である。いずれもそれが現在の事態であることが明瞭に確認でき、かえって過去における事態としては確認されていなかったり、意識されていなかったことであるにもかかわらず、「テいた」形を使用することから叙想的であると言われるものである。
では、b.−テいたところだ に移ろう。川越(1989)は、「トコロダ文」全般について「先行成分のテンス・アスペクト表示形式のいかんにかかわらず、発話時の瞬間的現在を示す」と述べているが、b.に関してはどうであろうか。
10){×以前/○ちょうど}先生の話をしていたところです。
11)ゆうべの今ごろはテレビを見て{○いた/×いたところだ}。
10)をみると、「テいたところだ」は過去をあらわす時の副詞句と共起しないことがわかる。11)における「ゆうべの今ごろ」も同様で、a.テいた では<継続性>を表しうる文がb.テいたところだ では非文になっている。に関して、常に、設定時点を発話時現在に置いた言及をしているといえる。b.の形で表される文は、a.において<現在に対する後退性>とよぶことにした用法に相当するものに限られる。 4)〜 8)の「テいた」が、そのままb.の形に書き換えられるわけではないが、多少の修正をすると以下のように自然な文を作ることができる。
4')わあ、ネクタイですか。ありがとうございます。ちょうどこんなネクタイがほしい
と思っていたところなんです。
5')この本は品切れですか? 弟がほしがっていたので、さがしていたところなん
ですが。
6')そのとおりです。僕もいま同じことを言おうとしていたところです。
修正を要した理由についての考察は後述する。
同じ<現在>を設定時間にする用法であっても、a.でみられた<想起・発見>の叙想的な用法にあたる文は、b.には見られない。ただし、
9')「おれ、おふくろから菓子を頼まれていたところだった」と、いまそのことを思い
だしたように言った。《ア》
とすることはできるので、<想起・発見>の用法をもたらす「タ」は、「ところ」に前接する「テいた」の「タ」ではありえず、「ところ」に後接する「だった」の「タ」でなければならないということがわかる。
なお、b.には以下のような<反事実>の用法が存在する。
12)知らせていただかなければ、とっくにあきらめていたところです。 《ジ》
ただ、これは仮定条件が前提になっている場合のことであり、これと同じことはa.でも表現できるので、b.に<反事実>の機能があるということではなく、ある条件下で<反事実>の意味をより積極的にさせる作用があるというように解釈するべきだろう。
次に、前接する動詞の種類について比較してみる。
a.は、「テいる」形がつかないとされる「いる」「ある」、形容詞につく「すぎる」、可能動詞などを除き、さまざまな動詞につくことができる。<継続性>の用法についてみると、能動態の文においては、動作動詞に接続して過去のある時点における<動作継続相>を表し、主体変化動詞に接続したときは、<結果継続相>となることができる。これら<継続性>のアスペクトについての性質は、「テいる」のときとおなじであり、金田一(1950)以来、用語は違っていても同様の内容のことが知られている。工藤(1995)においては、この事実にくわえ、「かたり(会話)」のテクストにおいて内的情態動詞に接続した場合にアスペクト対立が部分的に変容することが指摘されている。内的情態動詞は、アスペクト形式の対立に人称が関係する。その概要を表で示せば、次の表のようになる。

工藤(1995)によれば、内的情態動詞の非アスペクト形式、アスペクト形式が担うアスペクト・テンス的な性質はうえの表のように<全一性><発生性><継続性>ということになる。すなわち、<継続性>の用法が以上のような制限や変容を受けるのと同時に、以下に述べる外的運動動詞がアスペクト形式(「テいる」「テいた」の形式)で担いうる<動作パーフェクト性>や<反復性>を帯びることはない。
そこで、以下の<動作パーフェクト性><反復性>の用法について前接可能な動詞の検討は外的運動動詞のみが対象となる。
それでは、<動作パーフェクト>となりうる動詞についてみてみよう。工藤(1995)があげている例文は、つぎのようである。
13)戦争が始まる前まで、彼は日本にきていた。<結果継続> 《ア》
14)戦争が始まる前までに、彼は日本にきていた。<動作パーフェクト> 《ア》
15)彼は結婚している。<結果継続> 《ア》
16)彼はスイスの教会で結婚している。<動作パーフェクト> 《ア》
17)「わかっています。そのお話は、大統領にはたらきかけようとしたときに、すで
に聞いています。覚悟はできています。」 《ア》
18)警察医は吉田医師の推定と同様の過失死と断定した。ただ笠井の胃袋の中
から相当量の山桃の実が未消化のまま出て来たのに首をかしげた。「妙なも
のを食べていますな」 《ア》
14)16)は主体変化動詞が動作パーフェクトになる例であり、17)18)は動作動詞が動作パーフェクトになる例である。このように、外的運動動詞はすべて<動作パーフェクト>となりうる。
<反復性>の用法に関しては、用例を省略するが、これも外的運動動詞はすべて<反復性>の用法で使用されうる。
ところで、上述したように、a.テいた には、工藤(1995)が触れていないもう一つの用法があった。<現在に対する後退性>をしめす<途切れ性>の用法である。この用法の用例を採集すると、 4) 6)のように、思考・心理状態を示す内的情態動詞が際立って多いが、その限りではない。 5)もそうであるが、以下の例も同様である。
19)「今、なにしてる?」「ねてた。」
20)(行方のわからなくなった人物をみつけて)「あなたをさがすために、あちこちに
連絡をとってみていたんですよ。」
例文を採取したところ、このように、<現在に対する後退性をしめす>用法には、動作動詞がつかわれる場合と内的情態動詞がつかわれる場合があった。再帰性のない主体変化動詞は、この用法で使えない。
21)「今、なにしてる?」「×起きてた。」
ここで、内的情態動詞に<現在に対する後退性をしめす>用法があるという事実は、前掲の工藤(1995)による表は修正を要するということを意味する。その表は人称についての考察を含んでいるが、 4) 6)のように、思考・心理状態を示す内的情態動詞に「テいた」がついて<現在に対する後退性をしめす>用法としては、
22)彼もちょうどそんなタイプのネクタイがほしいと思っていたな。
23)彼女もさっきから同じことを言おうとしていましたね。
などの文が可能である。この場合、感情は<表出>されるのではなく、客観的に<確認・記述>されることは、 4) 6)と同様である。しかし、19)20)を含めてこれらが単なる過去の<継続性>を表すのではないことも、過去の設定時点が示されていないこと、現在の状態をとらえて発話していることなどから明確である。そこで、上記の表は下の表のように修正されるべきである。
|
スル |
|
1人称 |
態度表明/感情・感覚表出<現在> |
|
シタ |
体験的確認・記述<過去> |
||
|
シテイタ |
<途切れ性>(3) |
|
(客観的)確認・記述 |
|
シテイル |
<継続性> |
(客観的)確認・記述<現在> |
また、工藤(1995)、益岡(2000)によれば、叙想的な用法として<想起・発見>の文が成立するための条件は状態性の表現であることなので、<継続性>の用法と同じく「テいる」がつくことのできる外的運動動詞は意味的に齟齬がなければ、すべてa.の形式で<想起・発見>の意味になることができる(4)。
次に、b.に前接する動詞の種類を調べてみる。例文を集めると、以下のように動作動詞につくことと、思考・心理状態を示す動詞につくことがあることがわかる。
b.が動作動詞につくときは、少なくとも発話時現在の直前まで動作・行為や変化が進行または継続していることと、話者がその状況を把握していたことを表している。
24)話をしていたところです。
25)テレビを見ていたところです。
このとき川越(1989)が指摘しているように、b.が表すのは動作・行為や変化の進行または継続していたことであって、結果の状態が現在の直前までを継続していたことは表さない。「(服を)着る」は主体変化動詞であるが、主体の動作という側面もあわせもっている再帰動詞であるため、「きものを着ています」は<結果継続>にも<動作継続>にもなりうることがしられている。しかし、
26)今、きものを着ていたところです。
における「着ていた」は、更衣中であったことを示しているのであり、着衣後の状態を表してはいない。また、
27)Sは日記に「東京へ行く」と書いて{○いた/×いたところだ}。
28)ちょうど日記を書いて{○いた/○いたところだ}。
からもわかるように、動作の結果生じた状況に焦点をおくことはできない(5)。これは、「テいるところだ」にも共通の現象である。
29)すでに社員全員の安全を確認して{○いる/×いるところだ}。
30)現在電話で社員の安否を確認して{○いる/○いるところだ}。《ニ》
また、
31)いま強い風が吹いて{○いました/×いたところです}。
32)その人の名前を忘れて{○いました/×いたところです}。
からわかるように、b.には自然現象や話者の意志に反する動作は接続しない。川越(1989)はこのことに関連して、b.の先行成分は「話し手のなわばりに属し、話し手がその状況の段階の把握をしているものでなければならない」としている。したがって、多くの場合、「テいたところだ」に先行する動詞は話者自身の行為であるか、第3者の動きであっても話者が把握する計画や法則どおりに運行する動きである。
次に、b.が思考・心理状態を示す内的情態動詞につく場合をみる。
33)使い方がやさしくなって、よかった。難しくて不安を感じていたところです。
《イ改》
34)何か大事故が起こるのではないかと心配していたところなんです。
これらをみると、知覚や思考によってもたらされた認識や、その心理状態が、少なくとも発話時現在の直前まで継続していることを表していることがわかる。
なお、寺村(1978b)などにあるとおり、b.が<反事実>の用法につかわれるときには特に動詞に制限はないが、これはもともと本稿の考察の対象外であるので詳細は省略する。
2.1.でみた特徴をまとめると次の表のようになる。「○」をつけた箇所が、その用法が存在しているところである。
|
ムード |
タクシス |
用法 |
テンス |
テいた |
テいた |
|
叙実的 |
同時性 |
動作継続相 |
過去 |
○ |
× |
|
結果継続相 |
○ |
× |
|||
|
後退性 |
動作パーフェクト相 |
○ |
× |
||
|
途切れ相 |
現在 |
○ |
○ |
||
|
叙想的 |
「想起・発見」 |
○ |
× |
||
|
「反事実」 |
○ |
○ |
|||
さらに、本稿の考察の対象外である「反事実」の用法以外について、各用法別に前接可能な動詞の種類を表示すると、次の表のようになる。

これらの表からも明らかなように、b.が可能になる動詞は同様の意味をa.でも表しうる。付録「アンケート調査の集計結果」にあるように、採取したb.の用例や作例32問について、a.やb.の形式で文としての正誤判断を行うアンケート調査をしたところ、b.の形式で自然な文として成立するという回答がa.の形式で自然な文として成立するという回答を上回って半数以上存在したものは3件しかなかった。この調査の設問はごく短い文脈しか書き加えなかったので、文章の中ではb.が自然でありa.であると文脈が不自然になるケースが調べられていない可能性があるが、少なくとも単文としてはb.が可能になる文はa.でも可能な文でなければならない。
また、b.が可能になる動詞は、a.において<動作継続相>を表しうるものでなければならない。a.において<動作継続相>をあらわしうる条件をそなえた動詞だけが、<途切れ相>の用法になることができ、b.に置き換えられる可能性がある。このことは、<途切れ相>の用法が、<動作継続相>の用法から派生してきたものであると予想させる。
しかし、このような条件を備えているa.の文が、すべてb.の形式をとりうるわけではない。上記 8') 9')10')は、 8) 9)10)を修正することでb.に適した文にかえたものだが、修正点は<出来事時点>をより現在に近づけるということであった。ここから、a.に比べてb.のほうが、より焦点が<現在>に限られた文でないと受け付けられないということが言えそうである。つまり、ここで修正が必要になったということは、アスペクト用法の分類のなかでテンスが<過去>であるものはb.の文として成立せず、成立させるためには<現在>にひきつけられた文になっていなければならないということをかえって強く裏付けているのである。
また、筆者が行ったアンケート調査でb.の形式の許容度がa.の形式をうわまわったのは、「ちょうど」がある文であった(7)。「ちょうど」があるときは「〜テいたところだ」が好まれるようである。この場合でもb.の形式の許容度は半数を超えているので特別にa.の形式だけが許される例とはいえない。この現象も、b.に「ところ」があることによって、設定時点である発話時現在を中心としたより短い時間の範囲にだけ焦点があてられるようになったためだと考えることで説明がつく。
以上のことから、「ところだ」はテンスを現在に固定する機能をもっていることがわかる。また、ここではひとつひとつ検討をしなかったが、寺村(1978a,1978b)が指摘したとおり、「テいたところだ」は否定形に接続せず、みずから否定にもならない。また、基本的に全体が疑問にもならないというモダリティー形式の特徴を有していることは、「ルところだ」「タところだ」「テいるところだ」などと同様である。本章では、このことにつけくわえる事実として、「テいたところだ」における「テいた」も、これらの「ル」「タ」「テいた」とおなじく<現在>の話者のなわばりにあるできごとをとらえているものであり、<過去の状態>ではないということを述べた。
なお、「ところだ」が<反事実>の叙想性をもつ場合については、ここでは考察の対象外であるとしたが、この用法で「ところだ」に前接する「ル」「タ」「テいる」「テいた」などの形式は、「ところだ」がなくとも<反事実>の叙想性をもちうるものである。したがって、この用法があることが「ところだ」特有の性質を示しているとは言えず、ここで考察の対象外とすることは不当ではない。ただし、「ところだ」の形式が、この<反事実>の用法で頻繁に出現するということと、<途切れ相>の用法の間には、それらを成り立たせている共通の性質があるからではないかと推察することはできる。12)のような<反事実>の用法はある仮想的な条件下で現実性をもつ事態を表しており、一方<途切れ相>の用法も、事態の効力が現在にかかわり、事態そのものも完全に終了しているとはいいきれないものを「タ」で表すという特徴をもっている。両者は現在の状態に対する“みなし”を含んでいるという意味での共通点があるからである。
以上、述べたように、b.テいたところだ において「ところだ」は、a.テいた が「テいる」と対立している<過去>の表示機能を奪い去り、テンス対立を中和するとともに、叙述を<現在>を中心にしたごく短い時間の局面にしぼりこもうとする機能をもっている。
いうまでもなく、「ルところだ」「テいるところだ」「タところだ」は、「ちょうど」「いま」などと共起し、現在の状態について説明をする文型である。それは「テいたところだ」についても同様であることが、ここまでの考察で明らかになった。すなわち、「時点の解釈」を受ける「ところだ」は、テンスを現在に固定するのである。
本章では、次のことを述べた。
1.「ところだ」は、言表事態が発話基準時における状態に言及していることを表す
説明のムードの形式である。
2.「テいたところだ」は「テいた」よりも現在のできごととの関係や、それにともなう
事態の展開を積極的に示している。
3.これは、「ところだ」によって「テいた」はテンス的性格を失い、アスペクト対立の
なかに置かれるからである。
3.について補足する。アスペクト対立のなかに置かれることによって、「ところだ」に前接する「テいる」は動作継続性の用法に、タ形は完了(終了限界達成後性)の用法に固定されるのだと説明されることが多い。だとすれば、前述の「テいたところだ」に前接する動詞の制限も「ところだ」に前接する「テいた」があるアスペクト相の用法に固定されることと関係があるのではないかと予想される。
「ところだ」に前接する「テいた」は「テいる」とのテンス対立から解放されている。しかし、後述するように、「テいたところだ」は「テいるところだ」とは異なった使われ方をする。その理由は、「ところだ」に前接するとき「テいる」と「テいた」はアスペクトの上で違った性質を帯びるからだと考えるべきである。
「テいた」について使用できる<途切れ相>の文例は、「テいたところだ」にくらべて時の副詞句との共起の制限が弱かった。それは「ところ」が設定時点を中心に時間的にせまい範囲のみに焦点をあわせることを要請しているからだと思われる。それ以外の面では、両者は同等に扱うことができるのである。
このように、「テいたところだ」の文は、「テいた」自体が全体として潜在的にもっているアスペクト的な性質が「ところだ」の働きによって固定された文型だと言うことができる。それでは、アスペクト対立のなかで「テいた」が表す局面とはどんなものであるだろうか。U.3.ではその性格を具体的に考察する。
【注】
(1) 4)〜 6)の「テいた」は「テいる」に書き換えると、ニュアンスが変わってしまう。もし「テいる」であれば、過去のある時点で「ほしいと思った」「さがしていた」「言おうとした」というべき事態がはじまり、現在も「ほしいと思っている」「さがしている」「言おうとしている」ことが続いている<継続性>の用法であることがはっきりしている。
しかし、「テいた」を使うのであれば、現在の直前までは「ほしいと思った」「ほしがった」「言おうとした」というべき事実があったということは確実であるけれども、現在から先も「ほしいと思っている」「ほしがっている」「言おうとしている」かどうかは文脈から推定する以外にない。これらは<継続性>の用法ではなく、過去の事実の<効力>が現在にまで及んでいるということであるので、その<効力>が以前とまったくおなじように「ほしいと思っている」「さがしている」「言おうとしている」と言えるものであるかどうかは明言せず、話者自身が推測しているか、話者が聞き手に推測させているかのどちらかに過ぎない。さらに、「テいた」を使うと、
4”)前はこんなネクタイがほしいと思っていたんです。
5”)弟がほしがっていた日本の本をさがしていましたが、絶版だとわかったので、
あきらめました。
6”)僕もさっきまで同じことを言おうとしていましたが、Cさんの意見をきいて考え
が変わりました。
のように、動作継続が過去のある時点までは続いたが現在に至る前に消滅してしまったという<過去継続相>の用法と形のうえで区別がつかない。「テいた」が<過去継続相>を表示することが叙実的な用法であるとするならば、
4)〜 6)が現在も「ほしいと思っている」「さがしている」「言おうとしている」という動作継続の状態であることが明らかな場合にも「テいる」形式を使わず、「テいた」を使用しているときには、叙想的だということになるだろう。その中間に、現在の直前で「ほしいと思っている」「さがしている」「言おうとしている」ことが中断してしまい、それが再開するかどうかわからない状況をさすという意味用法がある。これが、U.3.でいう「途切れ相現在」である。
なお、
4)に「テいた」「テいる」形式のどちらが適合するかについて筆者が実施したアンケート調査によれば、すでにネクタイを手にしている状況、ショーウインドウにあるものをみている状況、友人が着用しているものを見ている状況の順に「テいた」の許容度が下がり、「テいる」の許容度が高くなることがわかった。これも「ほしい」と思うだけの段階が次の段階に移行するかどうかが関係していると思われる。
(2) 「途切れ相」がどのようなアスペクト的性質のものであるかは、U.3.で定義する。
(4) 叙想的な<想起・発見>の用法では、「タ」につく用言が状態性でなければならないという条件がしられている(寺村1984
; 益岡 2000 など)。しかし、これは「テいた」が接続しうる動詞であれば、a.−テいた の形で状態性になっているのだといえるわけだから、「テいた」に前接する動詞としては、ごく一部の状態性の動詞でない限りは特段の制限はないということになってしまう。
(5) 「寝ていたところです」などの例があり、動作や変化の進行の継続ではなく、主体変化の結果継続であると言うべきであるが、「寝る」の例でいえば「今夜から明日の朝まで8時間寝る」というように、これらはル形であっても結果継続の期間を表す語と共起する動詞である。このように動作進行の継続であると言えない場合でも、単なる「結果の残存」ではなく、主体による行為の少なくとも発話時の直前までの継続を表しているとは言えるのである。
(6) 「途切れ相」には叙実的なものと叙想的なものがあるとおもわれる。U.4.参照。
(7) 異なるインフォーマントに対する2種類の調査で、a.,b.の形式を含む32の文に対し許容度を調査したところ、両方の調査でb.の許容度がa.を上回ったのは「ちょうど先生の話を〔 〕」「ちょうど日記を〔 〕」の2例、一方の調査でb.の許容度がa.を上回ったのは「ちょうどテレビでそのニュースを〔 〕」の1例しかなかった。